恋は桃色
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   愛という純情を君に捧ぐ













 結局、それが最良の策だったのかどうかは、今でもわからない。



 かみ合ったかに思えた心は、またあっと言う間に離れてしまった。例年より若干早めの入梅以降、託生はどんどん情緒不安定になっていったが、オレにはその原因がよく分からなかった。好きだと伝え好きだと言葉を返してくれたことで、オレが託生の心を癒せるのだと思い始めていたのに、そんな考え方はただの思い上がりだったのだろうか。言葉で態度で何度も伝えてきたものが、すべてゼロに返ってしまったような気さえした。
 それでもオレが好きだと言ってくれた、あの託生に嘘はなかったのだと思う。オレは託生の言葉や態度を見誤らない自信があったし、こんなに心が見えない今でもそれは変わらない。思いを外に出せない託生の、だがだからこそ時折垣間見える真情を、オレはもう見逃さない。あの冬に受けとめたまなざしのように、託生からのシグナルはどんなちいさなものでも見間違えたりしたくない。
 しかしだとしたら、託生は何故不安な目をして一人で悩むのだろう。オレは託生を愛しているのに、その気持ちだけでは力及ばなかったのだろうか。今の託生には、何が必要なんだろう。間断なく続く雨の日々に、オレもまた少し不安になった。託生は何を恐れている? 何に怯えている? せめて、それがわかったなら。

 そうこうしている内にあの雨の日曜、託生は倒れた。校医の往診ではただの微熱との見立てで、倒れた原因はおそらくは心因的なものだろうとのことだった。託生はやはり心の不調が身体に出てしまうのだなとオレは改めて思った。その原因はやはり判然としなかったが、託生と別れる前にした最後の会話は郵便受けでのものだと思い至った。丁度倒れた場に居合わせたという章三から一葉の封筒を受け取り差出人の名を見て、オレはそのことを確信した。
 託生を接触嫌悪症にしてしまったのであろうあの事件は、結局オレなどにはどうすることも出来ない傷だったってことなんだろうか。託生が託生らしさを取り戻すために、オレは何でもすると決めたのに。春からこちら、自分なりに愛を伝え、自分なりに努力してきたつもりだったのに。結局そんなものは、すべて無駄だったというのだろうか。オレは託生のためだったら、どんな努力も犠牲も厭わないのに。今ではこんなに近くにいるのに、オレには何もしてやれることが無いのだろうか。
 オレは自分の無力さが辛かったが、それ以上に、未だに過去に苛まれている託生のことを思うとやりきれなかった。託生が過去から開放されるためには、一体他に何が必要だというのだろうか。時間、気持ち、ルール──あるいはオレではない誰かの言葉、感情。

 夕方、灯りを落とした薄くらい部屋の中、そんなことを思いながらオレは眠る託生の顔を眺めていた。眠りを邪魔したくはなくて、それでももっと近くで顔を見たくて、ヘッドボードに手をついて枕元に顔を近づけると、託生の瞼がひくり、と動いた。名前を呼ぶと、また瞼が微かにふるえる。目が覚めているのに寝たフリをする意図は何だ、と少し苛立って、オレはふと瀬踏みをする気になった。
「託生、まだ起きるなよ」
 わざわざそう予告をしてそっと唇にキスをおとす。今度は身体全体がふるえた。それは嫌悪のせいではないのだと、今のオレにはもうわかる。オレは更に深くくちづけて、そっと託生の身体に手を這わせる。受け入れまいと努力しているのが伝わって、ますますオレは確信する。
 キスの度に、未だに緊張している託生。それは、自分が感じやすいことを本能で知っているからだ。そしてそれを禁忌としているせいだ。
 その規制をはずしてやれたなら、禁忌などではないのだとわからせてやれたなら。
 あるがままに感じて構わないのだと、教えてやれたなら。
「…………やだ、いやだ、ギイ、やめて」
 涙交じりの声で懇願されても、オレはもう躊躇わなかった。
「託生、愛してるよ。それだけは忘れるな」
 届いているのか最早定かではない言葉を囁いて、再び深くくちづける。舌をからめるとゆっくりと熱が交じり合い、託生の身体は少しだけ緊張が解けてやわらいだ。
 それでも閉じられた眸はオレを映さず、託生の心が今何処にあるのかオレにはわからない。ここから先は未踏の領域だ。こうして託生の身体がオレの熱を求めても、それはオレのものでなければならないのか、それとももしかしたら──確信が持てない。
 でももう理由はなんでもいい。
 オレが欲しいか、託生。
 託生が今必要としているのが、たとえオレではないのだとしても、それでも。今オレがお前を救えるというのなら、それでいい。
 お前が欲しいと言うなら、オレを全部やる。

 シャツの下から現れた白い肌にキスを落す。まだ拒絶しようとする言葉を唇で塞いで下腹に手を伸ばすとぎゅっと腕を掴まれた。感じまいとする託生を否定するために、何度でもキスを繰り返す。
 オレは自分のシャツを脱ぎ捨てて託生の肌に肌を合わせた。託生はまた少しふるえて、けれどオレの体温を受け入れた。無意識にその目でその指先で、身体中で何かを求める託生に、ただ与えるためだけに何度でも触れる。
 初めて触れる身体に胸の鼓動を高鳴らせながら、頭のどこか一部だけが冷静で、これが最初で最後かもしれない、と考えていた。もしも最後まで託生が拒絶し続けるなら、もうオレがしてやれることはなくなるかもしれない。そうなればもう、オレは託生に一生触れられなくなるだろう。自分で自分が赦せないだろうし、託生もきっと赦さないだろう。理不尽で身勝手な不安だとはわかっているものの、そんなことを思えば託生の表情ひとつでも忘れたくないとついまばたきも忘れて見つめてしまう。託生のためにと身体中に触れながら、それを記憶するという欲望を忘れられなかった。
 長い時間をかけたつもりだけれど、目を閉じたままの託生に不安になり、呼びかける。
「託生、……託生?」
 託生はオレの声が聞こえないかのように、首を横に振った。
「……っ、…………や……いや……いやだ、」
「託生、………………何も怖がる必要はないだろ……オレの目を、見ろよ」
 ふっと目を開く、その髪を撫でながら、焦点が定まらない託生の眸を辛抱強く見詰めると、やがてふいにそこに明かりが灯ったような力が生まれた。
「…………ギ、イ?」
「うん?」
「ギイ……」
「ああ、オレだよ」
「ギイだ」
 オレの名を三度呼んで、そうして託生はふわりと微笑んだ。
 ただ、それだけで。
 全てが赦されたような幸福感が胸を充たし、オレはそれ以上もう何も言えず、ただ託生の身体をぎゅっと抱きしめた。

 結局、それが最良の策だったのかどうかは、今でもわからない。
 結果から考えれば、それはやはり正しかったのだと言えるのかもしれない。それに、心の状態が身体に直結してしまう託生にとっては、身体をひらくことで心に触れることもやはり有効だったのだろうとも思う。
 だが過程はあまりにちぐはぐで、オレのしていた決心に至っては、今となっては苦笑するしかないものだった。
 過去の事件を語ってくれた後、託生はオレを見上げ、それが一番重要なのだという目で少し震える声で言った。
「ギイ、ぼくを嫌いになった?」
 ……どうしてだ?
 問いの意味を理解するのに時間がかかり、とりあえずは不安を取り除いてやりたい思いだけでオレはぎゅっと託生を抱きしめた。
「オレ、愛してるって言わなかったか?」
 何が何だかわからない。力の限りを込めてオレを抱き返す託生の腕を感じながら、混乱する頭で考えた。
 つまり、なんだって?
 オレが、託生を嫌いに? なる訳がないだろうが、馬鹿。どうしてそんなことを不安に思う必要があるのか、あったのか、オレにはさっぱりわからない。



 もう、オレの気持ちの僅か一片たりとも疑えないように、徹底的に愛してやる。そう決めた。







DAYS へ続く












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 本当を言うと、当初この題で考えていたのは全く別の主題系のお話だったのですが、実際書いてみたらばあまりにつまらなかったので(笑、そっちはボツにしました。
 ほとんど観念だけの内容で、今回のテキストの中では一番言葉足らずな気もしますが、逆に既に饒舌に過ぎる気もします。こういうのは難しいですね…。でもやっぱり読み返すと説明不足な気もします…R18な場面が特に!もっと修行しなければ!(笑
 ただひとつ、こういう話であっても絶対どこかに軽さがなければ(ギイの気持ちにも、文章にも)という気持ちがありまして、その辺りは頑張ってみました。軽いということは悪いことでは絶対なくって、大事なことだという気がしているんです。

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せりふ Like
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