春へ急ぐ人
好きだ、というたった一言を伝えるのに、丸一年がかかった。
一年前、それまでずっと焦がれていた託生その人にやっと再会できたものの、オレは随分長い間近づくことさえ出来ずにいた。再会した託生は、以前の託生からは全く連想も出来ない程の人間嫌いになっていたからだ。
人間嫌いというよりも、接触嫌悪症。人から触れられるのが苦手で、人と関わるのも苦手で、うまくまわりの色に馴染めない。そんなふうに人との関わりをただ拒絶し続ける託生に対してオレもまた怯み、それでもせめてクラスメイトとしての関係を作りたいと思いいざこざを起こす度に我慢できずに庇ってやったけれど、結局お節介な級長だと疎ましがられるだけだった。そう思っていた。
「ギイは級長体質だから」
章三はそんな言葉でオレをからかって、そして時にはあまり託生にかかずらうのはよせと率直に諫めもした。章三にとっては、そして他の多くの人間にも、オレは思いやり深く自己犠牲精神に溢れた級長に見えていたらしい。そんな評言を耳にする度、オレはこっそり自嘲した。こんなのは親切でも献身でもなんでもない、単なる利己主義だ。疎ましがられながらもそれでも託生を見つめずにはいられず、そしてトラブルが起これば庇ってやりたくなってしまう──たとえ、託生にとってそれが迷惑でしかなくても、だ。オレはやり場のない感情を持て余して、どうすればいいのかわからなくなっていった。託生にとってオレのお節介が疎ましいものであるならば、せめて託生に気付かれないようにして力になろうなどと、オレにしては卑屈で卑怯なことまで考えた。そうして二度目の季節を迎える直前に、不意に託生と目があった。
あの黒い眸がオレにまっすぐ向けられた瞬間、拒絶の色のない眸に迎えられた一瞬、この手を差し出してもいいんだとやっと理解した。くだらないことを考えてしまったのは、怖気て怯んでいたオレの弱さだったのだと。
だからこの手を必要としてくれるのなら、どんなことをしても護ろうと思った。託生に触れないままに託生を護ること、そして可能であれば接触嫌悪症をも治してやることが出来たなら、と。
託生の接触嫌悪症は託生の本意ではなかったのだと気付いたのは、だからほんの数日前のことだった。
入寮日の夜、オレは高林の親衛隊の姦計で託生と一緒に音楽堂に閉じ込められてしまった。彼らの暴力により意識を失った託生に何もしてやれなくて、夜の寒さからなんとか守ってやろうとオレはただその身体を抱きしめて過ごした。暗闇の中で託生の身体を抱いてその重みにふらちにも心をときめかせながら、一方で今託生の目が覚めたらどうしよう、とオレはぼんやり考えていた。託生にとって、今のこの状況は本意ではないことだろうから。
ふと身じろいだ託生に、不意に胸に感じる体温を意識してしまい、オレは少し動揺した。
「託生……?」
「ん………………」
覚醒を促すためにそっと声を掛けると、託生はため息のような声を洩らしてまた身じろいだ。軽く頬に手を触れると、ひくりと瞼がうごく。だがまだ拒絶はない。尚も呼びかけると、託生は心地よさそうにオレの肩に頬をすりよせて──ふっと微笑んだ。そこにぬくもりを確認して、安堵したかのように。
覚醒の手前のあの一瞬、託生は人の体温を求めていたんだとオレはそう思う。無意識での行動は、それが無意識のものだからこそ、託生の本当の願いをそのままに表していたはずだ。
託生に残された心の傷は、託生の心と身体とを人間嫌いにさせてしまった。けれど心と身体とが他人を拒絶しようと、それは託生が願ったことではなかったのだ。接触嫌悪症でありながら、託生は本当は人の手と心とを望んでいたのだ。自分の身体が、そして心までもが思うままにならない託生を知ってこれまでのことを思い返せば、言葉にならない程に切なくなった。オレなどには想像も出来ない程の痛みを今まで一人で抱えてきたのだろうと思うと、胸が痛んで仕方がなかった。そして、そこまで託生を傷つけてしまった環境──誰か、ではない、彼を取り巻いていた状況そのものに、激しい憤りを覚えた。だが、過ぎてしまったことは今更どうしようもない。それよりも、今目の前で辛い思いをしている託生を援けることの方がオレにとっては最重要課題だった。
オレは何よりも、託生自身でさえ気付かないでいる、託生の本当の願いを引き出してやりたかった。そのためにはまず、オレがオレ自身の心をさらけ出す必要がある。だからせめてオレだけはあるがままに居たい、自分の気持ちに嘘をつきたくない、と思った。心も身体も、こんなにお前を求めているのだと知らせたかった。
そうして心さえもが自分の思い通りにならない託生に、自分の願いを気付かせたい。自分が本当は何を望んでいるのか、何を欲しているのかを気付かせたい。そうすれば、オレは。それがどんな願いであれ、叶えてやりたい。たとえそれが、オレの望みとは違った形のものであるとしても、だ。
だから、そんな思いで贈ったキスが受け入れられたのだ、と感じた瞬間オレは安堵と歓喜で我を忘れてしまいそうになった。そんなオレを現実に引き戻したのは、託生の嫌悪症の再発だった。いくら託生がオレを受け入れてくれたからといって、接触嫌悪症が一気に改善されるなんて虫のよい話はなかった訳で、これは当然のことだったのだろう。ただ後から考えれば、託生がオレに返してくれたキスもまた、まだ新しい感情の始まりに過ぎなかったのだ。
□■□
「なーに怒ってるんだよ」
「わからないのかよ!」
すたすたと速足で歩いていく託生を追って寮に戻る道を歩きながら、オレは悪びれずに話しかける。
「お前を愛してるって言ったことか? なんで怒るんだ?」
「わ!」
驚きの表情で振り返り、すぐにまた怒ったように目をつり上げる。
「だ、だからっ、と、時と場所をわきまえろよ!」
「誰も居やしないって」
大抵の生徒は寮に戻る前にのんびりと教室で雑談を楽しんだり、部活の準備に向かったりしているので、放課してすぐのこの時間帯に寮への並木道を通る生徒はあまり居ない。喧騒は遠く、ここがどこだかつい忘れそうになる程に辺りは静かだ。きょろきょろと周囲を見回す託生の髪に、青い銀杏葉の間からきらきらと零れる陽が乱反射してとても綺麗だ、とオレはぼんやり考えた。
託生は周囲に誰も居ないことを確かめてほっと息をつき、思い出したようにオレをきっと睨んだ。
「また、そんなこと言って。さっきだって、授業中に……」
「さっきだって誰も聴いてなかったじゃんか、そもそも殆どの奴が寝てたし」
「そ、そういう問題じゃ、ないだろう!」
ああ、そういう問題じゃないさ。ここが何処だとか、誰に聴かれるとか、そんなことは些細な問題だ。
「託生」
真面目な顔でそう呼び掛けると、託生はびくりと身体をふるわせた。
「な、に」
そんなに、怯えるな。
「愛してる」
託生は困惑し、けれどもうオレを非難するだけの理由は見つけられないらしかった。
「愛してるんだ、託生」
オレは託生にちゃんと伝わるように、同じ言葉を繰返す。
同じ言葉を返してくれとは、まだ言わない。だが、せめて。
ただ、受け取って欲しいんだ。
我ながら感心するほどに辛抱強く待っていると、託生は木の間から射す光に少し目を眇めて、しぶしぶという感じで頷きを返した。
「信じたか?」
「う、ん……」
「じゃ、キスしていいか?」
途端、託生はまた頬を真っ赤に染めて、あわてて身体ごと引いた。
「だ、だめだよ!」
「どうして」
「どうしてって、……いつ人が通るかわからないし」
「じゃ、部屋でならいいのか?」
「は?」
「じゃ、早く戻ろう。ほら、急げ!」
「ちょ、そ、そんなこと、言ってないだろ……」
呆れている託生を笑って誤魔化しながら、先に立って歩き出した。
好きだと告げる度に、キスをする度に託生が怯むのは、人の耳目を気にし過ぎるせいだけじゃない。
言葉やキスを贈る度に照れて困って動揺してくれる託生はとても可愛いのだが、一方でオレの気持ちをどう受けとめたらいいのか、いやどう感じたらいいのかさえ自分で分かってはいないように見えるんだ。人間はそう容易く変われるはずもないのだし、仕方がないことだけど。
そう理解はしていても、心が急いてしまう。
だって、わからなくなるんだ。
託生の心を、オレへの気持ちをはっきりさせてしまいたい。少なくとも嫌われているということはないし、好意を持ってくれている──はずだと、思うけど。
触れて、キスをしたら欲が出た。同じ言葉を返して欲しいとか、託生からキスして欲しいとか、そこまでは望まない。けれど、せめてオレが特別だと感じさせてくれたらいいのに。
いずれにしても、互いの愛情の比重があまりに違うなら、やはりそれは片恋なのだ。
□■□
せわしなく左右を顧みて、きょろきょろと誰かを捜すような視線で周囲を見渡す。
掲示板の前で見つけたその小さな頭に声を掛けたのは、こちらも人待ち中の気まぐれだった。
「よ、元気そうだな」
「あ……、ギイ!」
びっくりしてこちらを見あげる表情は、ほんの少しの間に随分険がとれたようだ。
「誰か待ってるのか? 当ててやろうか、吉沢だろ」
「……うん」
高林は困ったような顔を少し傾けて、それでも結局頷いた。
その返事に笑い返してやると、高林もようやくにっこり微笑んだ。
「ギイも元気そうだね。その、葉山も元気?」
「お陰様でな」
高林はちょっと、いやかなり我儘だけど、友人としては多分いい奴なんだと思う。頭の回転が早いし、直観に優れている。ちゃんと話したらきっと面白いだろうなとは前から思ってたんだ。
高林は意味深に含み笑いをすると、オレの顔を覗きこんだ。
「そう、ならよかった。よかったね、ギイも」
「おいおい、お前が言うか」
オレがつい口にしてしまった皮肉にも、高林は茶色い頭を振って真面目に頷いた。
「だって、葉山には……その、悪かったってちゃんと思ってるんだけどさ。でもギイ達見てたら、あー結局これでよかったんだなー、って思ってた。雨降って地固まる、っていうの? あ、僕が雨なのはわかってるけど」
「そうか?」
「うん、なんていうか、こう、オーラが違うって感じ?」
「オーラ? オレの?」
「ギイと、葉山の、かな」
オレはまじまじと高林の顔を見返した。高林はオレの動揺には気付かぬ様子で、忙しなく視線をあちこちに遣っては待ち人の影を捜している。
「オーラが違うって、どんな風に?」
高林は気もそぞろな様子を隠そうともしないで、軽く目を眇めて口を少しとがらせた。
「どんなって、……んー、幸せオーラ? みたいな」
「へえ?」
「あ、ギイの方はね。葉山の方は、ちょっとビビってるっていうか、困ってる、って感じ?」
……高林は頭の回転が早くて直観に優れて、更に正直者だ。
オレが思わず黙り込むと、高林は急いで付け足した。
「でもそれだって、前とは違うってことだよね、だから大丈夫だよって……あ、吉沢!」
「大丈夫、……って、高林…………おーい」
遠くから近づいてくるその人影を認めると、高林は花が咲きほころぶ瞬間のようにぱっと笑顔になり、そちらに走って行ってしまった。そんな高林に気付いてあわてて駆け出して来るのがいかにも吉沢らしいと思って眺めつつ、一人取り残されたオレは相手の居なくなった問いを一人反芻していた。
一体、何が。何が大丈夫だっていうんだ、高林。
まあ、あまり考えてのものではない言葉だったんじゃないかという気もするけれど。
あてずっぽうでも第六感でもなんでもいいから高林の言葉の先を聴きたかったなと思い、人に保証してもらいたくなる程に自分は不安なのかと少し自省した。
丁度向こうからやってきたオレの待ち人に気付いたので、軽く手をあげて合図を送った。
□■□
その日は朝からやけに寒く、特に陽が落ちてからは冷え込みが厳しくなっていた。
寒さには自信があるオレも流石に、シャツの上にニットをかさねた。託生などはニットの上に更にフリースのジャケットを着こんでそれでもなお寒がって、ブランケットにくるまって予習に取り組んでいるので、オレは思わず笑ってしまって怒られた。
「三月上旬並みの気温、なんだってさ」
「それって静岡基準で言ったら、真冬並みってことなんだよ」
談話室で仕入れてきた情報を教えてやると、託生は顔をしかめてぶるりと身震いした。
「暖房、つけてくれればいいのにね」
部屋の隅にある据え置き型のエアコンに目をやって、託生は今日何度目かのため息をついた。
寮の部屋の空調は集中管理になっているので、各部屋で室温を調整することは出来ない。託生の言う通り、こんな日には暖房を入れてくれたっていいじゃないかと流石にオレも思う。寮監にかけあってもみたのだが、冷暖房の開始日終了日は毎年一定日に決まっており、彼一人の裁量では稼動出来ないということだった。融通がきかないにも程があると思うし、これで風邪を引く生徒が出たらどうするんだという気もする。だが尤も、四月になってこれほどまで寒くなることは確かに珍しいことなので、仕方がない気もする。
だから暖房については託生本人も既に諦めているらしいが、あまりに寒がる託生がかわいそうなので、オレは何か温かいものを作ろうと給湯室でお湯を貰ってきたのだった。手早くインスタントのコーヒーをつくって、ブラックでは飲めない託生のためにあたためたミルクを追加する。自分の分のブラックを片手に、殆ど白に近くなったコーヒーカップをベッドに座りこんで小さくなっている託生まで届けてやる。
「ほら、カイロの代わり」
「ありがとう、ギイ」
託生はカフェオレのカップを受け取ると、両手で包み込むように持って、そっと口をつけた。
「あちち」
笑いながらオレは、託生の隣りに腰を下ろした。
「舌、やけどするなよ。今日は牛乳もあっためてきたからな」
「え、わざわざ?」
「牛乳入れてぬるくなったりしたら、意味がないだろ。誰かさんのカイロなんだから」
託生はぱちぱちとまたたいて、ふと目を逸らした。
「……ありがとう」
そうして黙ってまたカフェオレに口をつけて、息をつく。
喜んでいるようには到底見えない、戸惑うような、困惑しているようですらあるそんな反応は、初めてじゃない。手間を掛けたり配慮をしたりという直截的ではない愛情表現には、託生はどう対応したらいいのかわからないという顔をするのだった。その度にオレは、軽い焦燥と不安を胸に抱く。
その戸惑いは、未だオレに慣れてくれていないだけなのか、それとも。
風呂からあがってみると、だが室内からは託生の姿が消えていた。
姿が見えないのだから室内に居ないと分かっているのについ名を呼んでみて、思わずクロゼットの中まで探しそうになって、そこでオレは自分が動転していることに気が付いた。
オレが風呂を使っていたのは多分二十分そこそこの時間のことだ。バスルームに入る前、オレより先に風呂を使った託生に早くベッドに入れよと声を掛けて、湯に色づいた頬で軽く頷いていたところまでしかわからない。それでもパジャマに着替えていたのは確かだし、あれから外出したとも考えにくい。だが実際部屋に居ないんだから、おそらく外に出ていったのだろう。
あの寒がりが、こんな夜に何処へ行ったんだろう。
しかも、風呂上がりだっていうのに。
イライラと考えていると、ふと背後で扉が開く音がして、オレは勢いよく振り返った。
「託生!」
「あ、ギイ、もうあがったんだ?」
託生はわざわざまたシャツに着替えてフリースを着込んでいた。早かったんだね、などと言って暢気に笑うので、オレは一気に不機嫌になった。
「あがったんだ、じゃないだろ。お前、何処行ってたんだ?」
「え? 利久のところだよ。昼間、古語辞書を借りて、返すの忘れてたんだよ。たぶん予習で使うだろうなって思って、」
オレは先まで聞かずに怒りをぶちまけた。
「ったく、馬鹿か! 辞書なんて岩下だって持ってるだろうが!」
「そ、それはそうかもしれないけど、でも」
馬鹿まで言うことないだろ、と消極的に抗議しようとする託生に、オレは八つ当たり気味にダメ押しをしてやる。
「馬鹿だから馬鹿って言ったんだ。ただでさえこんな寒い日に風呂上がりにふらふらして、風邪でもひいたらどうするんだ。もういいから、早くベッドに入れ」
「……うん」
託生はそれ以上はいい返そうとはせずに、少し悄気た様子でベッドに向かった。オレは託生が再びパジャマに着替え始めたのを確認すると、まだイライラしながら自分が使ったタオルを片付けにバスルームに戻った。それから就寝準備をして自分のベッドに入り、明かりを消す前に隣りを見れば、託生はブランケットに頭までくるまっていた。
「託生」
「……」
オレの呼びかけにも、ぴくりとも動かない。よもやさっきの言い合いのせいでいじけているんだろうかと思い始め、掛けるべき言葉を探して戸惑っていると、布団とブランケットのかたまりからか細い声が聞こえてきた。
「……ギイ」
「なんだ」
もぞもぞとブランケットが動き、しばらくの沈黙の後、一言、
「…………寒い」
だから言わんこっちゃない、とオレはため息をついた。
「湯冷めしたんだろ」
そうみたいだ、と布団とブランケットの中からくぐもった返事を返し、やがてまたもぞもぞと動きだすと、託生はやっと顔をこちらに覗かせた。
「ちゃんと着込んでいったのに」
「この寒気は静岡基準では真冬並、なんだろ? 自分でそう言ってたくせに。甘く見てるからだ」
「う……うん……」
気まずそうに小さく返事をする託生に、これ以上突付いていじめるのはやめることにした。
「布団が足りないんじゃないか? ブランケットの予備とかないのか?」
「もう掛けてる。これきりなんだ」
春布団の上に重ねられているブランケットは頼りなく、確かにこの寒さには物足りなさそうだった。貸してやれるようなものはオレも持っていないし、正直自分もだんだん寒くなってきた。
足先の冷たさに閉口しながら少し考えて、ふとそれを思いついた。
「いい物があるぞ、託生」
「なんだい?」
「電気毛布」
「……ほんとに?」
「オレを信じろ」
疑わしい声音で問い返す託生に、オレはブランケットの中からはっきり頷いて見せる。
「……どこにあるんだい?」
「ここに。名前がついてる」
託生はますます訝しそうに、眉根を寄せた。
「…………どんな?」
「崎義一」
あからさまに顔をしかめて嘆息すると、託生はくるりとこちらに背を向けてブランケットをひっぱり上げた。
「期待して損したよ、おやすみ」
「まあ待て、考えても見ろよ。一緒に寝ればあったかいし、ブランケットは二人分掛けられる」
その提案にぴくり、と託生が動いたのをオレは見逃さなかった。もう一押しだ。
「しかも、電気代はタダ」
反応を待っていると、少しして託生はこちらに振り向き、少し笑った。
「確かにギイって、体温が高いよね」
「そうか?」
きっとそれは、託生に触れるせいだ。
「だからさ、一緒に寝ないか? 今夜だけだ」
「ギイ、でも」
「何もしないよ、わかってるだろ?」
「うん……、…………でも」
託生は躊躇いながら、やがて小さな声で問い返した。
「ギイは、いいのかい?」
「何が?」
ただ隣で寝るだけ、で、いいのかって?
いいんだよ、オレは。
オレはそれ以上の説得をやめて、ベッドを降りると託生のベッドの脇に立ち、自分のブランケットを掛けてやった。
「ちょ……あの、少し待ってよ、ギイ」
「待てない。そっち、詰めろよ」
「で、でも」
「早くしてくれ。流石のオレも寒いんだ」
「あ……か、風邪ひくよ!」
託生は慌てて壁際に寄ると、ブランケットを持ち上げてオレを招き入れた。
厚くなったブランケットの層にはさまれて、戸惑うような顔の託生と向き合う形になった。
「寒いな」
「……うん」
オレは腕を伸ばし、託生を抱え込んだ。
「あ……」
その戸惑いに気付かないフリで、オレは冷えた身体をひたひたと軽く叩いた。
「ほんと、冷たいな。大丈夫か?」
「うん……確かにちょっとあったかくなった。やっぱりギイ、体温高いんだよ」
「託生が冷えてるからだろ」
そうかも、と呟いて、託生はふと顔をあげた。
「ごめんね」
「何がさ」
オレは笑って、ひたいに軽くキスをした。驚く託生に口を開く隙を与えず、すぐに難しい顔をつくって見せる。
「オレのこと、蹴飛ばすなよ」
「う、努力、します」
少し顔を強張らせた託生に笑い返し、そっと囁いた。
「もう寝よう。おやすみ、託生」
「うん。おやすみ、ギイ」
オレは口元だけで笑い返して、黙って目を閉じるとすぐに寝たフリを始めた。託生は居心地悪そうにしばらくもぞもぞと動いていたけれど、オレの体温が移って二人同じくらいの温度になる頃には、すうすうと穏やかな寝息が聞こえ始めた。オレはそれを確かめて、託生を起こさないように気をつけつつ、そっとその寝顔を覗き込んだ。
ふと腕を伸ばして髪に触れると、ひやりとした感触が手に残る。すっかり冷たくなってしまった髪を少しでも温めたくて撫でていると、託生がふと眉を寄せて身じろぎをした。オレが腕を上げていたものだからブランケットが持ち上がって、夜気が中に入ってきてしまったらしい。オレはあわててブランケットを引き上げて、託生の身体をくるんでやった。また小さく身じろぎをすると託生はオレの胸に顔を寄せ、満足気に微笑んだ。
オレは鼓動が高鳴るのを感じながら、託生を胸に抱いたままため息をついた。
ギイって体温が高いよね、と笑った顔を思い出す。ぬくもりを求める託生に憤る権利なんかオレにはない。それに、そんなのは当たり前の生理現象で、殊に今はまた無意識下でのことだ。
だけど、わからなくなるんだ。
オレの好意を受け入れて、キスを許してくれた託生が嘘だとは思わない。だけど託生は本当は人恋しかったのだと知ってしまってからは、託生はただ人のあたたかさを欲していたのかもしれないとつい考えてしまう。オレは託生にとっての特別なんかじゃなくて、もしかしてオレじゃなくてもいいのかも、なんて、一旦気になり出せばもう気になって仕方ない。
だけど、もし託生の本心がオレにはなくても、オレは託生を諦められない。それに、たとえオレじゃなくてもいいのだとしても、オレは誰にもこの場所を譲れないんだ。だから、今はこうして知らないふりでぬくもりを与えてやることしか出来ないけれど、でも。
託生。
オレはお前を信じていいのか?
オレは自惚れていいのか?
託生、お前はオレに恋しているか?
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タイトルはちあきなおみ「夜へ急ぐ人」から借用・改変。
本文内ではthe pillows「ストレンジカメレオン」の歌詞、「周りの色に馴染めない出来損ないのカメレオン」からも若干の引用があります。
春は来たのだけれど、まだ春じゃないという感じで、片思いっぽいお話からはじめたかったのです。ということで、なんだかいっぱいいっぱいな感じです。ギイが(笑
あと、泉。ギイと泉とが和解する場面を書きたかったというのもあるんですが、ギイ的には自分のことでいっぱいで、泉にかまってるヒマはない!という感じでもあります(笑
しかし読み返してみると、いずれにしても四月に毛布いちまいでは寒いんでは…とか、ちょっと思いました…。
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