恋は桃色
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   対話篇






  with; his sweet

「だ、だめ、だよ」
「どうして」
「……どうしても」
「……じゃあ、いつならいいんだ?」
「し、知ら、ない」
「なんで」
「なんでも」
「……なんだよ。オレのこと嫌いになったのか?」
「……そうじゃなくて」
 だったら、なんでだよ。


  with; his secretary

『最近はいかがですか?』
「最近なあ、キスもあんまりさせてくれないんだよな」
『…………私は学校生活のことを伺ったつもりだったんですが』
 島岡への月曜夜の定期連絡は、いつも同室者が風呂に入っている間にこっそり携帯電話で行っている。オレが祠堂に入学して以来、この電話を受けるのが島岡の週明け朝イチの仕事になっていた。
 島岡は父の秘書の一人で、父の仕事とプライベートの中で主にオレにかかわる部分を担当している。将来的にはオレの秘書になるのだそうで、今でも殆どそれに近い状態だ。頭脳は明晰、仕事は几帳面で人格的にも信頼が置け、オレの馬鹿にもそこそこ付き合ってくれるという、得がたい人材だ。
「学業には特に問題はない。ああ、送ってくれたワイルズの論文読んだぞ。面白かった」
『それはよかったです。生活面ではいかがですか?』
 些細な報告をやりとりして、いくつかの仕事と引き換えに必要な調査や取り寄せを頼んでおくのも毎回のことだ。それらが一段落すると、島岡は満足そうに言った。
『義一さんはそちらでも有意義に過ごしていらっしゃるようですね。あなたの高校生活には全く問題がないと、お父上にお伝えすることが出来ます』
「どこが? 問題だらけだぞ」
 そう言って思い切り嘆息して見せると、島岡は少し笑ったようだった。
『訂正します。恋愛面の他では、問題はないようですね。まったく、あなたにとっては託生さんのことが最重要課題なんですね』
「何を今更、だ」
『では先ほどの話に戻りましょうか、ギイ。状況は春前に逆戻り、ということなんですか?』
「うーん、いや……そういう感じでもないんだけどな」
 オレはぼやきながら、改めて今の状況を言語化することの難しさを感じていた。
 託生のことが、よく分からない。理解出来たかと思った次の瞬間には、またわからなくなる。近づけたかと思う時もあれば、時にはとても遠く感じることもある。
 島岡はまた少し笑い、からかうような口調で言った。
『ギイのような恋愛の達人が、今回はまた随分と手こずっているものですね』
「なんだよ、それ」
 ちゃかすような言い回しにむっとして不機嫌に言い返すと、島岡はすみません、とすぐに返し、躊躇いがちに切り出した。
『私はご本人にはお会いしたことがないので、これは状況を伺っての感想でしかありませんが、……その、』
「なんだ。言ってみろよ」
『……率直に言って、託生さんはいろいろな意味で難しい方らしいように思われます』
「それは、……そうだなあ」
 オレが曖昧な返事を返すと、島岡は少し黙った。何かを言い出そうとしているのを感じて言葉の続きを待っていると、やがて島岡ははっきりと言った。
『ですので、改めて伺いたいのですが』
「なんだよ」
『ギイは、本当に託生さんのことがお好きなんですか』
「……何が言いたい、島岡」
『失礼を承知で言わせていただきますが、あなたのような年代においては、恋愛は一過性の思い込みだということがままあります』
「島岡、それは本気で言っているのか?」
『言葉が過ぎることはわかっています、でも最後まで聴いてください。恋愛感情の成熟度には個人差がありますし、勿論人生経験の多寡も関係してくるでしょうけれど、肉体年齢も無視できない要因のひとつです。若い内にはこうと思い込んだら容易には訂正出来ない生硬さもありますし、真実の愛などという概念を簡単に信じてしまいがちです。特に障害が多いような場合では尚更なんです。あなたの場合、相手は同性で人間嫌い、言い方は悪いですが気持ちが燃え上がってしまう要素は充分です。当人は本気だと思い込んでいても、それが思い込みの恋でないとは誰にも保証は出来ません』
「おい!」
『いいですか、あなたはいろいろな面で高い能力を持っていらっしゃいます。大抵の無理はきいてしまうし、無謀な挑戦をしても結果を出せてしまう。先程も申しましたように、託生さんの心をきっちり手に入れるのはかなり難しいことだと思います。けれどあなたなら、時間を掛ければ託生さんを振り向かせることはきっと出来ます、出来てしまうんです。ですから敢えて言うんです。手に入りそうにない相手に対して向きになって居はしないかと、今一度お考え下さい』
 オレは一呼吸おいて、冷静になろうと努めた。
「確かにお前の言っていることは正論だ。だがお前がそれを言うのか? お前が、島岡」
 島岡の言っていることは正しい。オレには無用な忠告であっても、他の人間ならば許せただろう。だがよりによってこの島岡が、何故今更そんな正論を振りかざそうとするのかオレには理解出来なかった。
 島岡は託生の件ではこれまでにもオレにさんざん協力してくれており、オレの託生への気持ちを誰よりも理解してくれているはずの人間だった。日本の高校に通うためにオレの父を説得して、そして今でも細々とした私的なことまで手伝ってくれている。何故今更、オレの本気を疑う必要があるというのだろう。
 だが島岡は、オレの憤りも意に介すことなくきっぱりと言葉を返してきた。
『そうですよ。私が言うんです、ギイ。あなたの今までの託生さんとの関わりをずっとお聞きしてきた私が、それでも尚問うのだと思ってください。私が敢えてこんな非礼極まりない質問をしたことの意味を、どうか考えてください。人の心はわからないものです。ギイのような人でさえ、自分自身を見失うことだってあり得ます。あなたはとても優秀な方ですし、私などが今更このようなアドバイスをするのはおこがましいことかもしれませんが、どうか忠言と思って聴いて下さい』
「島岡……」
 オレは島岡に聞かせるために、わざと大きくため息をついた。
「そんなに持ち上げなくても、お前の言いたいことはよく分かったよ」
『持ち上げたつもりはありませんよ、ただの事実です』
「おい……まあいいが」
 ここでこれ以上面映くなるような言葉は聴きたくなかったので、オレは反論をやめた。島岡の言葉を思い出しながら、なんと言おうかと考えつつ口を開く。
「……島岡、オレはな、」
「ギイ、待ってください。今すぐに答えないでいただきたいのです。お返事が頂けるのなら、来週以降にお聞かせください」
 要するに彼は、頭を冷やしてからゆっくり考えろと言いたいのだろう。
 オレは携帯を少し離して息をつき、ふとずっと聞こえていたシャワーの音がとまっていたことに気が付いた。
「そうだな、こっちもそろそろタイムアップだ。来週また連絡するよ」
『はい、お待ちしています。それではギイ、』
「島岡」
 遮って、オレは声音を改めた。島岡とオレとの仲だからこそ、言っておきたいことだ。
「言いづらいことを言ってくれてありがとう。感謝するよ」
『どういたしまして、ギイ。あなたが呉王夫差や弥子瑕の衛君ではないと知っているからこそ、申し上げたことですよ』
「……今日は持ち上げすぎだぞ」
 オレは笑い、島岡も少し笑った。それで、島岡はオレの怒りを和らげるために持ち上げて見せたのではなく、単にオレを笑わせたかっただけなのだとやっと気付いた。オレがただでさえ落ち込み気味なのを分かっていて、そんな折に敢えてアドバイスをしなければならなかった島岡の、ある種の心遣いだったのだろう。
 少し軽くなった気分を示すために、オレはわざと軽い調子で別れの言葉を掛けた。
「まあいいや。じゃ、また来週な」
『はい、ご連絡をお待ちしています。どうぞ、御息災で』


  with; his friend:A

 評議委員会の終了が告げられ、資料や筆記具を揃えてさて帰ろうと席を立ちかけたところで後ろから呼びとめられた。振り返れば声の主は矢倉で、缶を傾けるしぐさをしてこう言った。
「ちょっと付き合ってよ、ギイ先輩」
「だれが先輩だよ」
 思いっきり嫌な顔をしてしまったオレを矢倉は気にもとめず、先に立って廊下に出て行った。すぐに後を追って横に並び、目的地を学生ホールに決めて歩きながら、矢倉はすぐに話し出した。
「特に用ってんでもないんだけどさ。新年度になってからお互い忙しかったしゆっくり話す暇もなかったから、どうしてるかなーと思ってさ」
「ああ、そう言えばそうだったな。なんだか、悪かったな」
 託生のことしか目に入らずにいたここしばらくの状況を指摘されているようで、素直に謝れば、矢倉は笑いながら訂正した。
「や、違うって、俺もなんだかんだ忙しかったから。っていうか誘っといてなんなんだけどさ、時間は平気なのか?」
「ああ、別にこの後は予定はないよ」
「じゃなくてさ」
 矢倉はちらりとこちらを見ると、にやりと笑った。
「ギイのジュリエットは放っといて平気なのかなー、なんて」
「……なんだそれ。っていうか、その綽名はどこから出てきたんだ」
「あれ? ジュリエットじゃなかった? じゃ、シンデレラ? いばら姫とか?」
 つい苦笑させられて、しかしそれは妙に的確かも知れないと考え込みそうになったところで、矢倉はぽつりと呟いた。
「ギイの好きな奴って、やっぱ葉山だったんだな」
 ダイレクトな問いに、なんと答えたものかとオレは逡巡した。
 オレはこれまで自分の気持ちについては、矢倉にも他の誰にも、相棒の章三にさえ自分から語ったことはない。だが矢倉はオレが恋をしていることも、そしてその相手も薄々気づいていたのだろうし、オレも矢倉が気づいているということはなんとなく知っていた。なぜなら、矢倉とオレとはある意味では似たもの同士だからだ──と、オレは思う。
「矢倉、」
 言葉を捜しながら口を開くと、矢倉はふざけるのをやめた表情で穏やかに微笑んだ。
「おっと、何も言うなよ。経緯や状況を知りたかった訳じゃないんだ」
「矢倉」
「でもな、おめでとうって、言っていいか?」
「……ああ、サンキュ」
 オレがやっとそれだけを返すと、矢倉はこちらを振り向きにかっと笑った。
「よっし、じゃあ今日は、俺が飲み物を奢ってやろう」
「お、いいのか? じゃ、遠慮無く」
「ギイのことだから、コーヒーの高い方だろ?」
「いや、コークのでかい方」
「そう来たか……今日、暑いよなあ」
 矢倉は苦笑しながら、丁度たどり着いたホールの扉に手をかけガラガラと引いた。夕方の学生ホールにはちらほらと先客の姿も見られるものの、そう混雑しているという程でもない。この適度なざわめきの中なら、多少の内緒話も出来るだろう。
 矢倉はコークとスポーツドリンクを買うと、手近なソファへとオレを促した。ソファに並んで腰掛け、奢ってもらったコークをありがたく味わいながら、水を向けてみる。
「そっちはどうだ、最近」
「最近? なーんか忙しくてさ。また級長なんてやらされてるし……って、それはギイも一緒か」
 そう笑ってスポーツドリンクに口をつけた矢倉に、もう一歩踏み込んでみる。
「お前のジュリエットは?」
「はは、居ないって、そんなん」
「こら、今更誤魔化すな」
「そうじゃなくてさ、俺は……」
 そこでふと言葉を切って、矢倉は天井を見上げた。
「あー、言われてみれば、むしろ俺がロミオとジュリエットなのか」
 オレが自分のことを語らなかったのと同じように、沈黙の理由は違えど矢倉もまた自分の心を人に語りはしなかった。だが矢倉の好きな相手は矢倉の視線の先を見てみれば薄々わかったし、なぜその手を離してしまったのかもオレはなんとなく推測していた。一年程前にオレが矢倉に取り次いだ一本の電話が、矢倉の恋の相手とその別れの理由とを同時に示していたからだ。
 矢倉もまた、オレがそのことを気づいているということを知ってはいるのだろうが、矢倉自身があまり話題にしたくない様子だったのでオレも何も言わなかった。だから、ここまで踏み込んだことを口にしたのは互いに初めてだった。
 どう返せばよいのか考えていると、矢倉は真顔のままこちらを向いた。
「もしくは、シンデレラ。俺が」
「……やめとけよ。お前がガラスの靴なんか履いたら、ヒールが壊れる」
「ひっでーな」
 いかにも矢倉らしい軽口に笑ってつっこんでやると、矢倉もやっと笑う。
「あ」
 と、ふと首を傾げる。
「いや、ここはあれか、貫一とお宮?」
 運悪くコークを飲みかけていたオレは、それを聞かされて思いっきり噎せてしまった。
「うわ、ギイ先輩ー大丈夫?」
「…………お、お前な……」
 オレはコークをなんとかソファの平らな肘掛けに置くと、俯いて咳を繰り返した。気管の反応が収まるのを待って、オレの背中をさすっている矢倉の顔を見上げる。
「な、んで……、急に、金色夜叉だよ」
「えぇ? ああ、そこですか? や、知ってる歌ん中で、ロミオとジュリエットと一緒に出てくるからってだけだったんだけど……いやー、ギイがそんなにウケるとは」
「ウケてないって」
 また少し空咳をしてから、オレは矢倉を睨んでやった。
「大体、ダイヤモンドに目が眩み、ってタイプじゃないだろう」
 八津は。
「あはは、まあ。……あー、でもそういう問題だったら、むしろ楽なんだよな」
「なんで?」
「ダイヤでなんとかなるんだったら、努力次第でなんとかなるんだし」
 少しなげやりにそんなことを言う矢倉に、オレはふとそのことを思いだした。
「……いや。そういう意味なら、そういう問題、だろ」
「え?」
 怪訝そうな矢倉に、オレは真顔で説明する。
「努力次第でどうにもならないことなんて、本当はごく少ないはずなんだ。オレ達はシェイクスピア悲劇の主人公じゃないんだし、一々心中してたら身が持たないだろ」
「…………成る程ね、そういう考えもあるのか」
 矢倉は少し考えてからにやりと笑い、右手を差し出した。
「ギイ先輩、やっぱ俺の師匠だ!」
「だからな、先輩やめろって」
 苦笑しながら右手をあげると、矢倉もひらいた手を拳に替えて、オレのつくった拳に軽く打ち付けた。


  with; his friend:B

 土曜の午後、オレは部屋で一人仕事の準備をしていた。
 島岡が郵送してくれた資料を机に広げてチェックするべき項目を書き出しながら、まずいコーヒーを啜る。特売で買ったインスタントのコーヒーは、なんともひどい味だった。次は絶対別のメーカーのものにしようと決めてはいるが、捨ててしまうのも勿体無いので我慢して飲んでいるのだ。だが瓶は開封したばかりで、先は長い──援軍が欲しい。そんなことを思いつつカップを脇へ置いたところへ、折りよくノックの音が聞こえてくる。
 資料を簡単にまとめてから立ってドアを開けると、ひょっこり顔を覗かせたのは我が相棒だった。
「よ。葉山は?」
「今は居ないよ」
「珍しいな、一人なのか」
 言葉に含まれた若干の皮肉に苦笑しながら、オレは章三を部屋に招じて自分の椅子を勧めてやった。
「コーヒーでいいか? あんまり旨くないけど」
「なんだ、それ」
「安くなってたから買ったことないメーカーのを買ってみたんだが、失敗した。古かったのかもな」
 オレは戸棚から新しいカップとインスタントコーヒーの瓶を取り出すと、たっぷりめに粉を入れてやる。
 微妙な表情の章三に香りの薄いカップを差し出して、オレはにっこり笑ってやった。
「遠慮しないで飲めよ」
「……どうも。まあいいけどな」
 カップに口をつけてまた曖昧な表情をする章三に笑いかけながら、オレは自分のベッドに腰を下ろした。
「どうだ?」
「……確かにまずいな。けど、飲めない程じゃないというのが逆にネックというか」
「そうなんだよな、扱いに困るんだよな」
 章三はまたコーヒーを少し飲んで、何気ない感じで口を開いた。
「で、葉山は?」
「図書当番。その後、買い出し頼んだものを受け取りに片倉に会いに行くんだとさ」
「随分きっちり把握してくれてんな……」
 自分で聞いたくせにゲンナリとした表情で呟いた章三に、オレは逆に聞き返した。
「なんだよ、託生に用事だったのか?」
「いや、別に。暇だったから寄ったんだ」
 さらりとそう言う顔があまりに自然で、オレは逆に穿って見てしまう。一年以上も付き合っている相棒だから、分かってしまうのだ。
「なんだよ? 言いたいことがあるんなら、さっさと話せよ」
 章三とオレとの間で、駆け引きめいたやりとりは必要ない。暗にそんな意味を込めて急かしてやると、章三は少し躊躇った後これ見よがしにため息をついた。
「今日、葉山野川に絡まれてたぜ」
「野川? 野川勝? いつ、どこで」
「野川勝に、昼に食堂で」
「詳しく話せよ」
 たいした事じゃない、と前置きして章三は自分が見かけた二人の様子を簡単に説明した。が、それは本題ではなかったらしく、章三は少し言葉を切るとオレにちらりと視線を寄越した。
「野川はまあいいんだが、なんでお前はその時葉山と一緒じゃなかったんだ?」
「オレ? なんでって、別に。ああ、授業後は担任に呼ばれてたからな」
「それだけか? 別に急ぎでもない印刷の用事だったんだろ?」
「……よく知ってるな」
 コーヒーカップをきゅっと握りなおして、章三はオレから目を逸らす。少し迷った後、それでも口を開いた。
「僕が思うに、その時ギイは、たまには葉山を開放してやろうとかって思ってたんじゃないのか? 野川の勘ぐりじゃあないけど、お前等があんまり四六時中一緒に居るから、デキてるんじゃないかって噂する連中がいるってのも、気になってるんだろう」
 章三はそこで切って、つとオレの目をまっすぐに見返した。
「そんな噂、ギイにはどうでもいいことなんだろう。でも、葉山は気にしてる」
 オレは章三の目を見つめ返しながら、ゆっくりと息を吐いた。
 章三は時々、鋭い。特に、アンフェアなことに関してはすぐに気付く。尤も、フェアかアンフェアかというのは章三の観点での評価であるのだが、オレはその資質そのものは貴いものだと思っている。
 章三は少し迷うように視線を彷徨わせて、心を決めるかのように口元をきゅっと結ぶとまた口を開いた。
「葉山はなんだかんだ言って、去年からギイに頼りっぱなしだ。そりゃ人よりもちょっと多く問題を抱えた奴なのかもしれないけど、ギイがこんな風な気の回し方をする必要があるとは思えない。葉山はギイに甘えてるんだ、僕はそう思う」
 甘えている──章三の意味するところは辛うじて理解できるものの、どうにもその言葉が託生と結びつかなくて、オレも大概頭の中が春だなとのんびり考える。
 本当に、託生がオレに甘えてくれたらどんなにいいか。
「章三は手厳しいな」
 少し自嘲気味についそうこぼすと、章三はまた目を逸らした。
「いや、悪い。葉山を非難したいんじゃないんだ。いや葉山のことはまた別の問題だけど、僕が言いたいのは、結局ギイが葉山を構いすぎなんだと思うってことさ」
「オレが、」
 つい、言葉に詰まった。
 だってそれは、仕方ない。
 だってオレは、託生に伝えたいんだ。分かって欲しいんだ。
 言葉だけでは全然足りない。態度で、行動で、オレの全てで託生を愛していると伝えたい。
 手の中のカップを見つめていた章三は、オレの沈黙は気にしない素振りで先を続けた。
「つまりさ、ギイが葉山を構いすぎるから、葉山も変に気にするんじゃないのか? 僕なんかと一緒に冷やかされてもたいして気にしてないのに、ギイのことだけは過剰なくらい気にするっていうのは、」
「は!? ……なんだ、それ?」
「なんだって、何が」
「なんでお前と託生が冷やかされるんだ?」
 思わずベッドから立ち上がっていたオレを章三は呆れたまなざしで見てきたけれど、オレは今それどころじゃない。
「一体何をそんなに驚いてるんだ? 別にたいしたことじゃないよ、葉山と二人で歩いてたら、矢倉とかあの辺が、新鮮なカップリングだなーとかなんとかからかってきてさ。葉山も少しびっくりしてたみたいだけど、別にからかわれた内容自体についてはどうとも思ってない感じだったし」
「………………」
 オレはそろそろとベッドに座りなおして、ぼんやりと章三の言葉を反芻した。
 章三の言うとおり、託生がオレと噂されることを嫌がっていることには気付いていた。
 オレは気にしないし、託生も気にし過ぎだとは思っていたけれど。
 それでも今は、まだ人との距離が測れないのも仕方がないと思って、オレは。
「おい」
 でも、章三なら構わない?
「ギイ?」
 託生は相手がオレだから、あんなに意識しているのか?
「起きてるか? 目開けたまま寝てないか?」
「…………章三」
「なんだよ」
「章三」
「おい、……ギイ」
「はは」
「その、なんて言ったらいいのか……顔が変だぞ、大丈夫か」
「ははは」
「ギイ、一体どうしたんだ?」
「ははははは!」
 全く、恋は盲目と言おうか。
 確かにそうだった、以前の託生だったら、人に何を言われようと気にも留めなかったはずなんだ。
 やっと笑いが収まり始めたオレに、章三はおそるおそるといった感じで問いかけてきた。
「お前……本当に大丈夫か?」
「はは、ノープロブレム、だ」
 勢いをつけて立ち上がり、すがすがしい気持ちで章三に向き直る。
「章三君、やっぱり君はオレの一番の相棒だよ!」
「…………ギイ、僕の話、ちゃんと聞いてたのか……?」
 うんざり顔の章三の肩を思い切りばしばしはたいて、また思いっきり嫌な顔をされた。


  with; his secretary, again

『最近はいかがお過ごしですか、義一さん?』
「今日から中間考査に入った。明々後日までテスト期間だ」
 いつもと変わらない島岡の質問に、オレは端的に報告を返した。
『もう各教科の復習はお済みですか?』
「あー、まあそこそこ。赤点は取りたくないからな。でも今回、地理はまずいかもなあ」
『何故です? 苦手でしたか?』
「どうも担当教員と相性が悪くてなあ」
 島岡は苦笑すると、オレのぼやきを無視して仕事についての伝達をはじめた。並べられた仕事は準備が必要なものばかりで、思わずため息を吐く。
「ったく、こっちはテスト中だってのに」
『はい、頑張って下さい』
「もし地理が赤点だったら、島岡が追試受けろよ」
『構いませんが、多分再追試になってしまいますよ』
 他愛ない冗談をやり取りして、少し間が空いた。
「島岡」
『はい』
「もしも、だぞ」
『はい?』
 オレは敢えて軽い調子のままで先を続けた。
「もしもだ、この先オレが託生を失う時が来るとして、だ。いや、もしも、だぞ? 仮定の話だからな、これは」
 我ながらなんと言う子供じみた予防線だろう、と思いながら繰り返して少し自分でも苦笑した。その間も黙って待っている島岡に、オレは何気ない調子でこう続けた。
「それでも、オレは何も変わらないと思うんだ」
 島岡は少し息を飲んだようだった。オレは淡々と言葉をつなぐ。
「託生を失っても、多分オレは何も変わらない。勿論、落ち込んでやさぐれてどん底になるだろうし、たくさんの愚かなことをするかもしれない。それでもきっとオレは、今と同じように腹がへって眠くなるんだよ。昔だってそうだったし、今だってそうなんだから。託生に拒絶されてもケンカをしても、ちゃんと飯を食ってちゃんと寝てる。だからもし──託生を失っても、今と同じように食事をして眠って勉強して仕事して、そうしてずっと生きていくんだと思う。とてもそうは思えないけど、きっとそうなる。それは分かってるんだ。
 それが分かっていながら、オレはどうしても託生が欲しい。絶対に諦められないし、どんなことでもしてやりたい。オレの言ってる意味、分かるか?」
 託生を失うぐらいならオレは生きてはいられない、なんて言わない。勿論そう言い切ってしまいたい程に、この気持ちは強い。
 だけどこの気持ちが一時の激情ではないと信じるからこそ、オレは日常の世界を可能な限り俯瞰して居たいんだ。人はそれを現実主義だと言うかもしれないし、そんな冷静さは純粋な愛情にはあり得ないと言うかもしれない。でも、これは託生と一緒に居るためには必要なことなんだとも思う。だからオレは人にどう評されようと構わない。だって、欲しいものはただ一つなんだ。
 島岡はしばらく黙った後、少し震える声でやっと答えた。
『…………ええ。ええ、ギイ。分かります。分かると思います』
「そうか。それでな」
『はい』
「そんなことはどうでもいいんだけどな」
『はい?』
「大分意識してくれてる感じなんだよ」
『は?』
「キスを避けられたりするのも、オレのことを意識して照れてるっていうか、そういうことなのかも」
『はあ……』
「なんだよ、その気のない返事は」
『あ……、……すみません』
 島岡は彼らしくもない間の抜けた声で謝ったが、今のオレにはそれを気にするような余裕はない。
「で、どう思うよ」
『いや……どう思うと言われましても……言っているのがギイでなければ、ただの迷惑行為ですよ、今の思考法は』
 オレは言葉を失った。
『まあ、ギイが嫌われている訳ではないと一応措定して』
「失礼な奴だな」
『いえ、まあ一応。その、いずれにしてもですね、託生さんは、自分の心が動くことが不安なのかもしれませんね。託生さんは感情を抑えることでご自分を守っていらっしゃるのではないかと、以前ギイは見ておられましたよね』
「ああ、そうか……そうだったな」
 だったら、託生が不安を乗り越えるためには、どうすればいい?
 オレはオレの心に正直に、託生への気持ちを示してきたつもりだ。それが少しでも託生の心に影響を与えられたのならうれしい、託生の心を少しでも動かせたのなら、うれしい──けど、更に先へ、その後は? オレは、何をすればいい?
 電話の向こうの島岡を取り残して一人考えていると、島岡は突然苦笑した。
『ギイ、あなたっていう人は、本当に……』
「あ、すまん……なんだ?」
『いえ、なんでも。もう随分時間が経っていますね、そろそろ通話を切った方がいいのでは?』
「おい、気になるだろうが」
『それでは、また来週』
「島岡」
『大丈夫、託生さんにきっと伝わりますよ』
「あのな、……おい?」
 通話は切れていた。
 オレはやっぱりこの人には当分敵わないのだろう、と思った。

「ギイ、ありがとう」
 託生に改まった声でそう言われ、オレはどうってことないんだよと微笑み返した
 スポーツテストのあった夜、夕食をすませて部屋に戻ってすぐのことだった。
 昼間の持久走でなんとか野崎に勝てたので、これで一応ヤツは託生に手を出せなくなった。得意の運動でオレに負けたことで野崎も戦意を失ったらしく、念のためクギを刺しに行ったらかなり悄然としていたので、もう馬鹿なことは考えないだろうと思われた。
 だが今回の勝負が託生にバレてしまったのは、計算外だった。勿論野崎とオレの勝手な賭けなど託生には無関係なのだから、もしも万一オレが負けたとしても、託生が野崎の申し出を断ればそれで済むことだとは思っていた。それでも勝手に賭けの景品みたいな扱いをされているのを知ったら、託生はどう思うだろうと心配だったのだ。勝負のことを知ってからも託生は一度もオレを責めなかったが、オレの勝手さを許してくれたということなのだろうか。改めてこうしてありがとうなんて言われると、却って自分の独断が気まずくな
ってしまう。
「託生」
「なんだい?」
 オレはあいまいなままにしておくのが嫌になり、託生に直接聴いてみることにした。
「もしオレが野崎に負けてたら、どうしてた?」
 託生は首を傾げて、質問の意味をしばらく考えているようだった。
「どうしてたって、……だってギイは、勝つつもりだったんだろ?」
「……え?」
「だからありがとう、ぼくなんかのために、勝負してくれて」
「託生」
 単純な信頼はあまりに力強く、オレは返す言葉もなくただ立ち尽くした。
 そろそろと手を伸ばすと、託生は手を伸べてオレの腕をとり、ふわりと魔法のようにオレの腕の中に収まった。殆ど信じられない思いで寄せられた身体を抱きしめて、その感触を確かめる。
「…………ギイ、あのね、」
 あまやかな声音に、抱く力をぎゅっと強めて先を促した。
「ギイが、好きだよ」
「……託生」
 初めての率直な言葉に、オレはまた言葉もなくただその身体を強く抱きしめた。抱き返してくる力に幸福とはこういうことなのだ、と思いながらそれ以上のことは何も考えられない。
 少し身体を離して右手でその頬に触れると、託生はオレの意図をすぐに理解して微笑んで眸を閉じた。
伏せられる瞼に誘われるように唇を寄せ、触れあうという時に託生は突然ぱちりと目を開いた。
「雨だ」
「え?」

 窓の外を見ると、また雨が降り出していた。

















---
 島岡さんは(当時)初めて書いた気がします。島岡さんがギイ大好きだといいなあと思うというか、多分大好きなんだと思うんですが(笑、ギイに対する親愛と尊敬みたいなものが書けているといいなと思います。会話の中に出てくる「呉王夫差(ふさ)や弥子瑕(びしか)の衛君」は、どちらも故事などに出てくる古代中国の人物です。夫差は長年自分に仕えた臣下の伍子胥(ごししょ)を、讒言を信じて自決させてしまいました。また弥子瑕は衛の霊公の寵臣でしたが、霊公は後年弥子瑕の容色が衰えると手のひらを返したように厳しくなってしまいました。
 矢倉はいまいちまだ(=当時)キャラがつかめていない気もします。っていうか、先輩呼ばわりは原作にはなかった、のでしたっけ…(笑。話の中で出てくる歌はユニコーンの「大迷惑」です。もうかなり古い歌ですかね。「僕がロミオ君はジュリエット」が「僕が寛一君はお宮」になって、「君が寛一僕はジュリエット」になっちゃう、アレです。この寛一とお宮は尾崎紅葉『金色夜叉』の登場人物です。金に目のくらんだ親によって恋人の寛一と引き離され、富豪に嫁がされたお宮と、お宮に裏切られたと思って激昂し、ついには高利貸しになってしまう寛一のお話で、怒りまくった寛一の「ダイヤモンドに目が眩み」という名台詞が有名です。歌の使い方はちょっとダイレクトに過ぎた気もします…反省。
 章三はここともう一箇所しか出せなかったし、なんだか地味な存在になってしまってちょっと残念です。でも原作で充分に活躍しているので、あまりいじりようがない気もします。

 ※あとがきに一部変更を加えています

8

せりふ Like
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