恋は桃色
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♫♪♫♫ 幕間 二 ♬♪♫♪







 時分時(じぶんどき)を少し過ぎてはいたが、すでに食事を終えてくつろぐ者やあわてたように昼食を目指してやって来る者らで、食堂はまだそこそこに混雑している。
 葉山託生は、友人の井上佐智、ギイこと崎義一の二人と共に遅めの昼食をとりながら、来る夏期休暇についてあれこれと雑談をかわしていた。
 祠堂学院は山の中にあるので、夏といってもさほど気温が上がることはないし、むしろ他の土地からは避暑に来る人々も居るような環境である。だから夏期休暇を設ける必要性はないのだが、年度末でもあるし、この時期に休暇を設けなければ家族やその他外部との交流に支障もあるので、形式的に休暇が設定されているのだった。
「託生君、休暇はどう過ごす予定?」
「あまり資金もないし、できるだけ寮に居ようと考えてはいるのだが」
「それなら僕もなるたけ残ろうかな」
「先程言っていた、帝都での演奏会があるのだろう」
「ああ、準備が始まるまでには向こうに行かなければならないけれど、練習ならここでも出来るからね」
 そんな話をしていると、横合いから話題に似つかわしくないため息が聞こえてきた。
「少し物足りん」
「え」
「もう一膳貰ってくる」
 決然と席を立った幼馴染の背中を、佐智は呆れたように見送った。
「三杯目か。義一君一人でまるで賄征伐(まかないせいばつ)みたようだね」
「賄征伐……聞いたことがあるよ。高等学校の寮ではしばしば行われるらしいね」
「そう。ここ祠堂では、縁のない行事だと思っていたのだけれど」
 食事の量が足りない、あるいはおかずに不満があるなどの理由で行われるのが、「賄征伐」である。高等学校の寮生たちが飯を食べ尽くして賄い方を困らせたり、時には暴力沙汰になることさえあるという。良家の子息ばかりの環境で、山の中にしては内容も豊富な食事を提供している当祠堂の食堂では、あまりに遠い世界の概念であったが、並外れた幼馴染の食欲に佐智はついついその言葉を想起してしまうらしい。
 託生も苦笑して、あれくらい栄養をとればギイのようになれるのだろうか、などと埒も無いことを考えるのだった。
 ぼんやりとギイの後ろ姿を見送っている託生に、幾分声を潜めて佐智が話しかける。
「それはそうと、託生君。閉寮の折には帝都に戻るのだろう」
「ああ、そのつもりだ」
「向こうで会わないか、二人で」
「それは……勿論、構わないが」
 託生は首を傾げた。わざわざ、ギイが立った折の、そして二人で、と断っての誘いには、何か意図があるのだろうか。だが、佐智は意味ありげに微笑むだけであった。
「少々、付き合ってほしい場所があるのだ」





 久々の帝都は猛暑であった。照りつける夏の日差しに、路傍の柳すら萎れがちに見える午後である。託生は駅舎の陰に立ち止まり手拭いを取り出し、首元の汗をぬぐった。
 そのうだるような暑さの中、ひたいにかく汗さえきらきらと美しい、天使(エンゲル)は炎天下でも天使であった。挨拶代りに片手を挙げると、袖口から白い肌がのぞくのも涼しげである。しかしその歩みはいつになくせかせかとし、笑顔も常に比ぶればぎごちない。
 そういえば、かの友人の袴姿を見るのはこれが初めてであった。祠堂では学生服があるし、佐智は普段着も洋装で揃えているので、託生は思わず見慣れない姿の佐智をまじまじと眺めてしまった。
「佐智君、ぼくは袴もつけずに来てしまったよ」
「全く構わないよ、託生君の着流しは涼しげでとっても素敵だ」
 自分の麗様を顧みずに託生を褒める佐智が、なんともちぐはぐで好ましかった。
 和装は佐智の指定であった。短めに袴を着て、長い髪をきちんと束ねた天使こそ涼やかだし、少年剣士のようでたいそうかわいらしかった。託生は祠堂の皆にもこの佐智を見せてやりたいと思い、けれども不埒な信者が増えてしまうだろうし、そうなれば自分が赤池に怒られるかもしれない。やや急ぎ足の佐智について市電の脇を通り抜け、託生はこっそり微笑んだ。





 神田は万世橋の近くに、竹むらという店がある。ひたいの汗を手巾でぬぐいながら控えめにからりと引き戸をあけると、佐智は託生を伴って店内にすべりこんだ。
 空いていた卓に向かい合わせで腰を落ち着け、茶を運んできた女給に「汁粉二つ」と囁く。まるで密売みたようなその様子に、託生はつい笑ってしまった。
「佐智君、なにもそのようにこそこそせずとも」
「そうはいうがね託生君、やはり男子たるもの、寮に閉じ込められている間中、ここの家の汁粉のことばかり考えていたというのは、表沙汰にしたくない事実だよ」
 ……佐智がそこまで汁粉に飢えていたとは気づかなかったし、そんなことは言わなければ誰にもわからないのに。託生はまた苦笑すると、ギイに聴いた話を思い出しつつ反論を試みた。
「芥川龍之介も久保田万太郎も、汁粉については一家言あるというよ。男子だからといって、汁粉好きを恥じることはないと思うのだが」
「うん、まあ、男子だから、ではないな。ここだけの話にしてほしいのだが、実は幼い頃、饅頭の食べ過ぎで食あたりを起こしたことがあってね。その折義一君に散々に莫迦にされて以来、隠れ甘味狂いなのだ」
 全然隠れていない、と今度は思う。韓非子こと副寮長・赤池章三が、しばしば家族が送ってくれる甘味を持て余し、佐智がしばしばその相伴に預かっているというのは、ギイも託生もよく知っていることなのだ。
 やがて小さな赤い汁椀がふたつ、目前に並べられた。蓋をのけると、漆黒の海からのんびりと湯気が立つ。椀を捧げ持ち、顔に近づけると熱気でますます汗をかく。
 夏なのに、と託生は思う。夏なのに、汁粉。
 火傷などせぬように慎重に椀を口元に近づけ、気休めだと思いながらもふうふうと息を掛けてから、未だ見えぬ餅を箸で押さえ、どろりとした暗黒を口に含む。無暗に甘い。
 ……自分は甘味が苦手なのであった、と思い出す。苦手なのに、汁粉。
 仕方なく、小さな餅のはしを咬んで無為に伸ばしてみる。こんな季節に餅を食べるのは、そういえば初めてかもしれない。冬の餅よりもよく伸びるように思われる。
「お姉さん、済まないが同じものをもう一つ」
 既に最初の椀を空にした佐智が密やかにそう注文するのを眺めながら、この妙な夏もまた味わいがある、と思う──思いこもうとする、託生であった。












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 内容には全然関係がないのですが、三浦哲郎に「汁粉に酔うの記」という随筆があり、なんとなく連想しております。

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