恋は桃色
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「まあ……!」
 と一言発したなり、母さんはぴたりと動きをとめ、呼吸も止まってしまっているんじゃないかと思われて、ぼくはとてもとても、心配した。







"インタールード"






「どうぞ、ギイくん」
「ありがとうございます、いただきます」
 麦茶のグラスをテーブルに置いた母さんは、ギイの笑顔に頬を染めた。
 うーん、佐智さんから電話がきたときよりもひどいぞ……ぼくはこっそりため息をついた。予想していたことだけれど、想像以上だ、これは。
 母さんが意外にメンクイだと知ってから、ぼくはギイに会わせるのをひそかに楽しみにしていたのだけれど、こうして思った通りの反応をされてしまうと、ちょっと複雑である。というのも、母さんがギイに見惚れてしまう気持ちが、すごーくよくわかってしまうのだ、ぼくは。
 自分がメンクイかどうかはわからないけれど、ぼくだってギイの顔には、いまだにドキドキしてしまうことが度々あるのだ。……やっぱりぼくも、メンクイなのかなあ。
 と、今は、それどころではない。
「きれいなグラスですね」
「琉球ガラスなのよ、いただきものなの」
 ぼくは母さんとにこやかに談笑しているギイを横目で見つつ、心の中であれこれと算段をしていた。
 ギイと一緒に家までの道を歩きながら、大変なことを思いだしたのだ。
 タイミングをはかり、ぼくはそっと立ち上がってギイに耳打ちする。
「ギイ、ちょっとここで待ってて」
「は? なんでだよ」
「いいから、待ってて」
「おい、どこ行くんだ、託生」
 ギイの声を背中にうけて、ぼくは早足で廊下へ出ると階段を駆け上がった。何しろ、部屋が大変な状態なのだ。ギイはぼくの部屋を見たがっているし、あれをなんとかしないわけには……
 ぼくは自室の扉を開けて、瞬間、固まった。
 二秒後に息を吹き返し、急いで階段を駆け下りる。
「………うに、しょうがないんだから、あの子。旅行で部屋を空けるっていうのに、読んだ本は床に積みっぱなし、服はそこら中に脱ぎっぱなしで、下着まで一緒なの! 洗濯かごに入れるくらい、手間でもなんでもないでしょうに」
 もれ聞こえてくる母さんの声に、ぼくは顔がひきつるのを感じた。
「ギイくん、去年あの子と同室で苦労したでしょう、ごめんなさいね」
「母さん!」
 居間に飛び込んで叫んだぼくに、母さんはにっこり微笑んだ。
「あら託生、ギイくんが来るっていうから、あの散らかった部屋を片づけておいてあげたのよ。放っておこうかと思ったけれど、託生が恥をかくといけないと思ったの。感謝なさいね」
「そ、それはっ、ありがたかったけどっ!」
「けど、なあに? 変な子ねえ」
 結局そうやって話してしまったら、意味がないじゃないか!
 ふと見ると、ギイは必死に笑いをかみ殺しているようで、耳が少し赤かった。










「これは?」
「……アジアンタム」
「自分で買ったのか? 託生が園芸部に入ったっていう噂は本当だったのか……」
「違うってば、それは、もらったんだよ」
「……誰に?」
「……須田先生、バイオリンをならっていた先生だよ」
「ふうん。なあ、こっちは……あ、ベッドの下に何か」
「ギイ!」
「託生? 何を騒いでいるの?」
 間一髪でギイの手を止めたところへ、ドアを開けて、母さんが訝しそうな顔を覗かせた。
「ちが、なんでも」
 母さんはぼくを一瞥して、ため息をついた。
「託生は本当に落ち着きがないわねえ、まったく。ギイくんはこんなに大人っぽいのに……」
 先ほどまでの落ち着きのなさはどこへやら、で、澄ましているギイを、うらめしい気持ちで横目で見て、ぼくは母さんよりも更に大きなため息をついた。
「あのね、母さん。いくらぼくが不出来だからって、よりにもよってギイと比べないでよ」
「確かに、それもそうね」
 あっさりそう同意されて、自分で言い出したものの、ぼくはちょっとへこんだ。
「それより、お風呂沸いたから、使っていいわよ。汗流したいでしょう」
「……うん。ありがとう。ギイ、先にどうぞ」
「いや、オレは託生の後でいいぞ」
「一緒に入ったら?」
 母さんの何気ない言葉にギイの目がキラリと光るのが見なくてもわかり、ぼくはちょっと目眩がした。
「でも、狭いかしらね。うちのお風呂じゃ」
「狭いよ! いいからギイ、先に入ってよ。使い方、教えるから」
 これ以上おかしな方向へ話がすすまない内にと、ぼくは立ち上がってギイをせき立てた。










「まあ~ギイくん、何着ても似合うわね。ステキよ」
「ありがとうございます」
「二人とも、大丈夫そうね。西瓜、切ってくるわね」
 夕刻、早めにお湯をつかったギイとぼくは、母さんの出してくれた浴衣を着た。
 小模様の織り込まれた暗緑色の浴衣は、確かにギイによく似合っている。
 短くなってしまった髪が涼やかな首筋をあらわにしていて、ちょっと色っぽい。
 ついつい見惚れてしまっていたぼくに、ギイは笑いながら声をかけた。
「曲がってるぞ、託生」
「え、どこ」
 ギイはぼくの帯に手をかけて、なおしてくれる。
 ぼくの浴衣は、黒に近い濃紺の、笹の柄だ。
「いいな、何か」
「なに?」
 ギイはにやりと笑って、人差し指をぼくの鎖骨に這わせ、そのままするりとあわせの中に忍び込んだ。
「わ!」
「託生、何をまた騒いでいるの? 西瓜をとりに来なさいね」
 居間から聞こえる母さんの声に、ギイはいたずらっぽく舌を出して、ぼくを解放した。


 暮れはじめた陽に、ちりりんと風鈴が鳴るのを聞くと、少し涼しくなった、気がする。
 西瓜にしゃくりとかぶりつき、乾いた喉を潤して、ギイが楽しそうに呟いた。
「浴衣に、縁側かー」
「ギイ、なんだかうれしそうだね」
 見かけによってかよらずか、ギイが案外に和風なものが好きだというのは知っていたけれど、楽しそうなギイを見ていると、ぼくも何となくうれしくなってしまう。
 ギイは満面の笑顔で、意味ありげにぼくを見た。
「そりゃあ、だって何しろ、なあ、」
 なに?
「託生の浴衣っつーか、浴衣の託生!」
 …………だから、何なんだ。
「日本の夏って感じじゃんか。浴衣の託生に、縁側に西瓜、軒に風鈴、豚の蚊遣り!」
 豚……?
 ぼくは辺りを見回した。
「水性キン○ョウリキッドだよ?」
 ぼくのつっこみに、ギイはすごーくいやそうな顔をした。
「……いいじゃんか、ちょっとくらい夢を見させてくれても……」
 そんなに萎れられては、なんだか悪いことをした気になってしまう。
「そうだ、蚊遣り、使ってないけど、あるんだ。持って来ようか」
「や、いいよ。託生はここに居ろよ」
 ギイは機嫌をなおしたようで、笑顔でぼくを手招いた。
 素直にギイに寄り添うと、にっこり微笑まれてついついくらりと来てしまう。……のだけれど、
「浴衣の託生で、充分だ」
 ……だから。浴衣のぼく、って、一体何なんだ!?










 下駄を置くとからん、と乾いた音が玄関に鳴り響く。 
 扉を開けると、夏の夜の、独特の空気。
 間のよいことに、今日は宵宮だそうなので、ギイと二人で散歩がてら、行って見ることにした。
 お宮様には、家から五分。
 ギイと並んで歩きながら、ぼくはちょっと遅れがちだった。
 慣れない履き物は、風流だけれど、ちょっと不便だ。
「どうした?」
「下駄がちょっと、歩きづらくて。……ギイは大丈夫?」
「んー? 鼻緒が軟いし、大丈夫そうだな」
「そう……たぶん母さんは、高いほうの下駄をギイに渡したんだ……」
 ぼくは立ち止まって鼻緒を手で押し広げつつ、嘆息した。
「足、痛いのか?」
「まだ、大丈夫だよ」
「そっか。ま、もし痛くなったらー、負ぶってやるからな」
 と笑いつつ、ギイはするりとぼくの手をとって、こ、これは恋人つなぎってやつじゃないか。
「だだだ駄目だよ!」
 ぼくはぺしっとギイの手をはたき、とてもいい音がした。
「い、痛い……」
「ギイには知らない土地かもしれないけれど、ぼくは地元なんだからね! 誰かに見られでもしたら、どうしてくれるんだよ」
「託ちゃん、今日、怒ってばっかり……」
「ギイが怒らせるような、変なことばっかりするからだろ!」
 ギイははあ、とこれみよがしにため息をついて、けれどすぐににっこりと微笑んだ。
「折角の浴衣の託生だけど、怒られてばっかじゃ元も子もないな。仕方がない。『変なこと』は我慢しておくから、機嫌なおせよ。楽しく行こう」
「う……」
「たこ焼き、おごるからさ」
「ほんと?」
 本当、仕方ない。
 ぼくもたこ焼き一舟で懐柔されておいてあげるよ、義一くん。










 信じられない。
 Fグループの御曹司が、ヤンキーとお子様の集団にまじって、型抜きをしてる。
 ぼくはちょっと頭をくらくらさせながら、少し離れた縁台でかき氷を食べている。
 頭がくらくらするのは氷のせいなのか、それとも目の前で繰り広げられている光景のせいなのか、今ひとつよくわからない。
 ひとり氷の山を崩していると、型抜き台の方からどよめきが起こった。
「すっげー!」
「ぼくにも見して!」
 いやな予感がしつつ、そちらを見てみると、人だかりのまん中では異様にうれしげなギイがこちらを手招きしていた。
「託生、やったぞ!」
 はいはい。
 ぼくは立ち上がって、脇のゴミ箱に空にした容器を捨てて、ギイの処へと向かった。
「見てみろよ、1000円の絵だぜ!」
 見れば、確かに複雑そうな型がきれいにくりぬかれている。
「今日は何でもおごってやるぞ、託生!」
「いいよ、もうたこ焼きおごってもらったから」
「何だよ、遠慮するなって!」
「……だって、1000円はいいけど……それ、既に12枚目だったよね」
「見てたのか、託生……」
 うん、見てないようで、見てました。
 がっくりとうなだれたギイが気の毒になって、ぼくはギイの顔を覗きこんだ。
「ギイ、ぼく射的がやりたいな」
 ギイは顔をあげて、うれしそうに笑う。
「射的かー。さっき、でーっかい熊があったよなー。あれ、託生の部屋に置いといたらいいかもなー」
 何を勝手に算段しているのやら、ギイはうんうんと頷いて、ぼくを振り返った。
「よし、オレが一発当ててやろう!」
「そうじゃなくて、ぼくが撃つんだよ」
 撃ってもらいたいのでは、ないのだ。欲しいものは、自分でとる。
 ぼくの言葉にギイはニヤリと笑い、指で銃をかたどると、ばん、と言った。
「勝負だな」
「負けないよ!」
 ただの強がり、ではない。
 ギイは、知らないのだ。
 ここの射的は、照準から絶妙な角度でずれたところを狙うと、面白いようにあたるのだ。










「夏は夜、月のころはさらなり」
「あー……、何だっけえっと、清少納言だ」
 ぼくの相槌に、ギイはくすりと笑って、手にした袋をぴりりと開けた。
「ほたるの多く飛びちがいたるもおかし、花火もいとおかし」

「託生、託生、これやろうぜ、これ」
「うわ、何そのでっかいの。危なそう」
「危ないもんか。オレやってみよーっと」
「じゃあぼくは、どれにしようかな……えっと、とりあえずこれから」
「線香花火は最後にやるものだろう!」
「いいじゃないか、こんなにいっぱいあるんだから。それより早く火つけてよ、ロウソクたてるから」
 暗闇の中にぱっと光る、ギイの手の中のちいさなライターに、ぼくは白いロウソクを近づけた。
「危ないぞ。貸してみろ」
「それこそ危なくなんかないよ、子どもじゃないんだから」
 ライターから火を貰って、大き目のたいらな石の上にロウソクを立てると、早速ギイは大きな手持ち花火に火をつけた。
「わあ」
「おおー、なかなか豪勢だなー」
 ギイはそう言いながら、花火をぐるんと回転させた。
「ちょ、振り回さないでよギイ」
「いいじゃんか、きれいだろ」
 ギイが軸をくるくるまわすと、赤白黄色の光が輪になって、ぼくはついつい、ため息を洩らしてしまう。
「託生も火、つけろよ」
「あ、うん」
 ぼんやりしていたぼくは、やっぱり長い花火を手にとって、ロウソクに近づけた。
 鋭い音とともにはじけた光に眩んで、ギイにならってくるりと軸をまわせば、光の輪が火花を蒔く。
 きれいだね、と声をかけようとしてギイを見あげると、光を受けてきれいな陰影を描いているギイの顔は、何だかとても、
「きれい」
「きれいだな」
 つい洩らしたぼくのその言葉に、ギイはじっと火をみつめたままそう返事をした。
 ぼくは思わず笑って、訂正するのはやめて、ギイと一緒に光の渦にじっと見入った。

 派手な花火を遊びつくして、線香花火勝負をしていると、縁側から母さんの声が聞こえた。
「二人とも、そろそろ終わる? ぶどうあるけど、食べる?」
「うん、ありがとう母さん」
 ぼくがそう返したところで、ちょうど最後の線香花火の玉が落ちた。
「あー、落ちちゃった」
「はは。またオレの勝ちだな」
「じゃあ、片付けよう」
「待て待て、まだオレの線香花火は生きてるんだ」
 立ち上がりかけていたぼくは、仕方なくしゃがみなおすと、じっとギイの花火を見詰めた。
「時に、託生くん」
「なに?」
「これで七勝三敗なんですが」
「うん、そうだね」
 ぼくは数えていなかったけど、ギイがそう言うのなら、そうなのだろう。
 ギイは横目でぼくを見ると、拗ねたような声で言った。
「冷たいなー。なんかこう、勝者への贈り物とかは、ないんですか?」
「……なに、言ってるんだい」
 冷たくそう返事をすると、ギイはため息をついた。
 ぼくはそんなギイを横目に、しゃがみこんだままちらりと家の方を確かめ、不意をついて、ギイの唇に素早くキスを送った。
 ギイの手から、線香花火が軸ごと落ちた。












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 遅ればせながら、残暑見舞いです。
 オマケがあります。

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