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[ 読書/小説その他 ]

エリザベス・ムーン『くらやみの速さはどれくらい』

 自閉症が治療できるようになった世界。はざまの世代で軽度の自閉症が残っっているルウは、勤務先の製薬会社の自閉症をもつ仲間達とか、趣味のフェンシング仲間とかにめぐまれたこともあり、割合うまく折り合いを付けて生活している。パターン化すること、パターン化されたものがすきなので、仕事でもそれを活かし、フェンシングも真面目さとパターン化の能力を活かして上達してきていて、競技会ではいい成績をおさめたり、フェンシング仲間の女性とちょっといい感じだったり。しかしそんなある日、成人の自閉症の治療法が開発され、その技術を買い取った勤務先の会社から、職を失いたくなければ人体実験の被験者になれとせまられて、云々。

 ルウはある程度治療された自閉症ということで、アスペルガー症候群の症状としてよく聞くような主観が書かれていて、それはフィクションではあるのだけれど、とても興味深かった。そしてこの作品がうまいなあと思うのが、それが読んでいてちゃんと面白いというか、読み物としても成立してるというところで、独特の文体が心地良いし、わりとさらさら読めるし先も気になる感じ。その文体が末尾で解消するので、ああやっぱりそれまでは〈普通〉の文体ではなかった(というと語弊があるけれど、ゼロの文体ではなかったのだということ)のだなあと思った。
 なので単純に読んでて純粋にそこそこ面白かったのだけれど、自閉症やアスペルガー症候群にかんする啓発小説…としても読まれ得るのかも(そういう意図があるのかどうかはちょっとわからないけど)とも思う。一方で、ところどころあざとさも感じたし、作者本人は自閉症ではないようだし、やはりフィクションとして読むべきだろうなとも思う。まあでもそのあたりは、あたしのつたない知識であんましいろいろ書くべきではないよね多分。

 そんなわけで小説としての話に戻すと、上述のように娯楽ものとしてはそこそこ面白かったんだけど、ちょっと結末は…これは一体、どう考えたらよいのか…ものすごい淋しいラストだという気もするし、ある意味ハッピーエンドな気もするし…。そう感じる一番の原因は、マージョリとのかかわりの件なんだろうけれど。そもそもマージョリについては末尾ではほとんど触れられてないし。
 マージョリについての描写に限らず、結末自体があんまりにも急ぎ足で、いろんなことが説明不足だったというのも、どう考えたらよいのかよくわからない原因のひとつなんだよね。あんなに駆け足だったのはなんでなんだろう。ルウの物語としては末尾はオマケみたいなもの、ということなのかなあ。だからマージョリやトムのこともほとんど書かれてないのかな。
 まあでも、自閉症かどうかにかかわらず、人の人生というのは変化していくものなのだ、というのはある意味前向きな認識なのかあなとも思う。そして変化がニガテなルウの主観で、そのことを考えるというのも同様なのかな、と。

 SF小説としては、自閉症の治療法にまつわる設定や描写がものたりなかった。そもそもどういう治療法なのかもよくわからんかったし。治療法の宇宙開発とのかかわりとか、結末の展開にもかかわってきそうな設定で面白そうだったけど、あんましこれも書かれてないよね。なんだかもったいない感じだった。

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