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!!!パラレル設定ですので、ご注意ください&設定をご覧ください!!!章三と佐智のお話です。カップリングではありませんが、かなりそんなふんいきですので、どうぞご注意くださいすみません!!!よろしければ、佐智視点の「ソナチネ」を先にお読みください!!!











 章三は自室の机の前に座ると、手にしていた小箱を視界に入らぬ場所まで押しやってふうと溜息をついた。しばし視線を落とし、何事かを考え込むような表情で空いた掌をじっと見つめる。また溜息をつく。
「章三君、何かあったのかい?」
「えっ?」
 ところへ不意に声を掛けられ、章三は自分でも可笑しいくらいにうろたえた。
 今の自分はさぞかし妙な顔をしているだろうと思いつつ振り返ると、柴田が横でにっこり微笑んでいた。
「浮かない顔をしているね……お茶を煎れようか。お父上が送って下さった八女茶があるよ」
「ありがとうございます、すみません」
「いえいえ。考え事のお邪魔をして、悪かったね」
 別段何を考えていたというわけでもないので謝られるいわれもないのだが、章三は曖昧に微笑んでおいた。柴田はこういう際にくどくどしく問いただしたりはしない人柄なので、章三も気楽だった。二人の関係はもう何年にも亘るので、その辺りの配慮は互いに気心が知れている。
 柴田は法学徒で、帝国大学で章三の父に師事していた。柴田自身も、いずれは大学で教授になるのだろうと云われている。通常であればそれまでに中学校などに赴任して、教職について経験を積むという場合が多いらしい。だからどう見積もっても章三の目付役などにはもったいない人材なのだろうが、柴田のおっとりした性格では、大学生ならまだしも、まだまだ血気盛んな中学校生の教育には向かないだろうという章三の父の配慮があり、こうして祠堂で章三の面倒を見つつ、教授職の任官に向けて好きな研究を続けているのである。
 祠堂ではこうした目付役や傍仕えを随伴している生徒が多く、富裕な家の者や由緒ある家の者であれば、数人の傍仕えを伴っていることすらあった。山中の寄宿学校に数年間も閉じこめられることを考えれば、このような役目は出来れば遠慮したいものではないかと傍目には思われるのだが、祠堂生の目付役には何故か若く才能に富んだ人材が揃っていた。祠堂の学生達は名のある家々の子息ばかりなので、家の体面を考えれば、たかが目付役といい加減な人材をあてがうことも出来ないらしかった。それにこうした目付役の若者たちは、有力者の子息を学校生活の中で公私ともに補佐して、卒業後もそのままその片腕となるという場合が多い。乃至は柴田のように、年若い主の卒業後には何らかの道が約束されているという場合もある。だからこんな辺鄙な土地でのあまり有益とは言えない仕事にも、優秀な人材が集まってくるらしかった。
 こうした様々な思惑によって成り立っている目付役制度ではあるが、章三と柴田とは実の兄弟のように仲が良く、それは祠堂の中でも珍しい程であった。仲の良さの理由は、これまでの二人の閲歴である。章三がごく幼い頃から、また柴田がまだ学生の頃から、柴田は赤池家で書生として暮らしていた。章三の母は章三が幼い頃に亡くなっていたが、父は後妻を迎えなかったので、章三父子と柴田との三人家族みたようなものであったのだ。
 章三の父は、もともとは江戸時代から続く儒家の家の出であった。爵位などこそないものの、現在は帝国大学の教授をしており十分な俸給を得ている。母が不在とはいえ、家内の用事には老女を一人雇っており、また柴田が些細な用事も進んで片づけてくれるので、結果章三は何不自由なく成長してきたのだった。


 だから、なのだろうか。
 自分が、時折傲慢な正義感を押さえられないのは。


 先日佐智に投げつけた言葉が、章三の心にも棘のように刺さって抜けなかった。
 思い出すのも恥ずかしいその言葉を、敢て噛み含めるようにゆっくりと回想する。
 井上は、もっと気骨のある男なのだと思っていた――と。
あのような差し出がましいことは、自分などが言うべきではなかった。自分は音楽については全くの無知であり、佐智は世に認められた才能溢れるピヤニストだ。そして、佐智が才能に驕らず努力を厭わない人間であることは、相棒からの情報やここのところのつき合いで章三にもよく知れている。そんな佐智にあのような嫌味を言うなどあまりにおこがましいことであり、自分を殴ってやりたいと章三は思った。どうも佐智の前に出ると、自分が自分でなくなってしまい、思ってもみないことまで口にしてしまうらしい。
 机の端に目をやると、先ほど持ち帰った小さな箱がそのままそこにあった。和紙で組まれた美しい小箱である。父に頼んで送ってもらったその箱の中身は、目にも綾な有平糖あるへいとうだ。甘い物がさして好きではない章三が最近しばしばこうして甘味を取り寄せるので、章三の父は想い人でも出来たのだろうと微笑ましく思っているらしい。だが章三が有平糖を贈りたかったのは、手のかかった甘味のうつくしさに微笑む顔が見たかったのは、男の友人である佐智だった。章三はみたび溜息をついた。


 井上佐智は、章三にとっては長らく雲の上の人であった。我が国を代表する巨大な財閥の御曹司であり、外見も非常に美しく、類い希なピヤノの才能を持っている。天が二物以上のものを与えたもうた同級生であった。
 だが、高貴な出自の人間や、外見のうつくしい人間ならば、章三もこの祠堂でいやという程見てきた。何しろ章三自身が相棒と認める友人が、ある意味ではそうした人間達の筆頭とも言える崎義一である。ギイは美しい外見と優秀な家柄ながら、それを鼻に掛けたり妙に気負ったりすることがない気さくな人間で、だがギイのような存在はむしろ稀なのだ。他の華族出身の学生などを見ると、やはり育った環境の違いというものを痛烈に感じさせられてしまうし、どんなに良い奴だと思えようともなかなか親しくはなれなかった。
 尤も、副寮長としての応対には区別をしたことはなく、彼らにであれ云うべき事は何の遠慮もなしに注意する。そんな章三のことを周囲の人間が下らない徒名を付けて称賛したり畏怖したり敬遠したりしていることも知っている。だが、遠慮をしないことと親しくなることとは別の問題なのだと章三は思う。章三もやはり、彼らに対しては一線を引いて考えてしまうのだ。
 佐智も長らくそうした遠いところの存在であった。
 佐智の場合、家柄やら才能やらといった後光もあれど、何よりもその類い希なる美貌が章三の腰を退けさせていた。佐智のそれは、男にしておくのが惜しいというよりも、最早女性以上に光り輝くようなうつくしさだと章三は思う。相棒の幼なじみだと云うことは知っていたし、見かけによらない男気のある人間だということも聞いてはいたものの、あのたおやかな美貌を前にすると、どうにも気後れがしてしまうのだった。
 佐智に出会う以前、章三は外見上の美しさには然程重きを置いてこなかったつもりだった。女流作家や女優の写真を見て大騒ぎしている学友のことは白い目で見ていたし、まして男の顔など気にしたこともなかった。同性の目から見てもすこぶるつきの美形であるギイも、誰の目にも可愛らしい高林にも、学友達が向けているような讃美や羨望の眼差しを送ったことは未だかつて無い。
 だが、佐智は別格であった。ただ美しいだけではない、穏やかで繊細な面差しは内面の優美さが表面に溢れ出ているようで、まるで周囲の空気まで一変させるかのようなその雰囲気に、章三は圧倒されていた。楽才に恵まれた麒麟児だということもその美貌を彩り、佐智の存在をますます手の届かないものだと章三に感じさせていた。実際入学式でピヤノを披露した佐智を一目見たときから、彼は天上の存在か何かなのではないか、もしやあれが天使というものではないのだろうか、と思えて仕方なかったのである。だから佐智が「天使エンゲルのピヤニスト」という綽名でもって世間に知られていると知った時も、成る程巧いことを云うものだと頷かされたものだった。


 その後も佐智を知るにつれ、佐智への畏敬の念は深まりこそすれ、薄らぐことなどなかった。学科は違うものの学友となり、時たまギイと共に居る佐智に出くわしては会話をするような機会もあったのだが、気後れのあまりまともに言葉も発することが出来ないような有様になってしまうので、成る可く佐智とは同席しないように気を配っていたのだ。
 先だっての音楽堂事件で思わぬことから彼と同行することとなり、そのしっかりとした気質を目の当たりにして感心させられはしたものの、それはあのうつくしい天使がこれ程までに胆力も持ち合わせていたのかとむしろ感嘆させられ、懼れ戦く結果にしかならなかった。智天使ケルビムだと思っていたら熾天使セラフィムであったようなものだ、と判ったような判らないような喩えをして、章三は自分で納得していた。
 だから、あれ以来自分に親しげに微笑みかけてくれるようになった佐智に対しては、失礼でないように、極当たり前の友人としての対応をしようと心がけつつ、章三は常に心許ない気分であった。自分は佐智の前ででれでれとだらしのない顔をしては居まいか、品のない言動をしては居まいかと。そんなことばかりを考えて、佐智の言葉など半分も聴いていないのではないかと反省しつつ、それでいて佐智の話の内容は逐一記憶しており、後から何度も反芻してしまうのだ。全く、この赤池章三が。韓非子などと揶揄されるこの自分が。信じられないほど浮ついていると思う。
 人に言わせれば、おそらくはこれこそが「人こひ初めしはじめなり」、ということなのだろうかとも思う。
 相棒のギイの例にもあるように、祠堂では同級生への恋心を抱く人間は少なからず居た。規則で禁じられているとはいえ、感情をねじ曲げることが出来はしないのは章三にもわかる。だが章三自身は、同性同士での恋愛など、考えてみたこともなかった。そうしたことは自分には縁のないものだと思っていたのだ。
 だから、初めての感情に、自分は思っている以上にとまどい、混乱していたのだろう。そしておそらくはそんな自分の浮つきが、結局は佐智への非礼な態度へとつながってしまったのだ。章三は大いに後悔していた。あの気高くうつくしい佐智を、困らせるつもりなどなかった。ましてや何やら悩んでいるらしい彼に、傲慢な決めつけにて追い打ちを掛けるようなことを言うなど、全く本意ではなかったのだ。
 章三のような者が佐智を傷つけるようなことが、許されるはずもない。何より章三自身が一番許せない。


 章三は脇においやっていた有平糖の箱をとると、掌の上につくづくと眺め、やがて上衣の隠しにすべりこませ立ち上がった。
「出かけるのかい」
「はい、ちょっと」
 微笑みながら見送ってくれる柴田に軽く挨拶をして、章三は自室を出た。この曜日の今の時刻ならば、井上はまだ練習ルッソンの最中であろう。
 佐智に会おう。会って、そして失言の非礼を詫びるのだ。
 章三は心を決めて、廊下を歩いていった。












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 「ソナチネ」章三バージョンです。炭焼小屋での邂逅の前になります。
 タイトルはまたいんちきドイツ語ですが、sonatine(練習曲)/lehrjahre(修業時代)で一セットです。

 こんなお話ですが、CPではないつもりなのです。気の迷いかもしれない、けど、わからない、というような曖昧な感情のお話、のつもりです。
 お互いに的外れですれ違いまくっていて、それでもいろいろな意味で大事な、そんな友情というものがあってもいいと、最近よく思うようになりました。モデルや参考にしたというわけではないのですが、書きながら『ぼくの地球を守って』のことを思い出しておりました。紫苑と木蓮は(月では)最後まですれ違っていて全然相手のことを理解していなかったけれど、互いに大事に思っていたことだけは確かで、そういう愛情もたっといものだと思うのです。友情にしても愛情にしても、相手を完全に理解することは出来ないわけだし。

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