裏コイモモ
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 学生ホールのソファに並んで座り、僕は一服中、葉山は持参した薄手のカタログをじっくり読み込んでいるところだ。次に買う譜面を考え中とかなので、僕が口を挟む余地はない。
 手元に俯きがちな横顔をちらちら見て、僕はこっそり息をついた。
 三洲の……「抱き枕」の件は、怖くて触れられない。葉山もなにも言わないのが、余計に怖い。これは、開いてはいけないパンドラの箱だ。
 けどその単語が頭の片隅でちらちらしているのは正直事実で、ぼんやりしているとあの時なんのてらいもなく葉山をハグした三洲を思い出してしまう。
 なんだろうな、やっぱり羨ましかったんだろうか。
 カタログに目を近づけたせいで少し前かがみになり、僕の目には葉山の首筋が晒すともなく晒されていた。
 首筋。うなじ。
 白いその部分に視線がいくと、磁石で吸い付くように離せなくなってしまう。
 ……さわってみたい、と思ってしまった。
 けど、これは明らかにダメなやつだ。
 ハグしてみたい、は、まだ、運動部員っぽいコミュニケーションとか、アメリカナイズドされた友情とか、ラベリングできる憧れだ。
 だから、これはダメだろうと思うのだ。
 うなじに触れてみたい、というのは友人同士のスキンシップの範疇じゃない。
 葉山が頭を動かすと長めの襟足がさわり、と動いて、やけに長いなと思う。
 散髪に行ってないのかな──そうだ、長いぞ髪を切れよとかなんとか言いながら少し襟足に触れるくらいなら、別にヘンじゃないよな、よし、さりげなく、今気づいたってふうにわざとらしくないように──
「……髪が」
 あー。
 僕には無理でした。
「伸びたんじゃ、ないか?」
「え?」
 葉山は顔をあげ、少し首をかしげて人差し指で前髪に触れた……そっちじゃない、そして葉山が自分でさわってどうするんだ。
「そうかも。随分切ってないなあ」
「葉山の週末の予定は決まりだな」
「そうだね、下山しなきゃ。楽器屋と、美容院だ。ちなみに、赤池くんは?」
「映画を見ようかと思ってはいるけど」
「じゃ、一緒に出ようかな?」
 葉山の何気ない一言で、僕の週末の予定も大体決定した。





☆☆☆☆☆★★★★★☆☆☆☆☆





 街へ向かうバスはやけに混んでいて、葉山と二人、通路に並んで立った。
 時折こういうことがあって、大体は途中にあるマーケットやホールで何かイベントをやっているからなので、そのうち混雑は緩和されるはずだった。
 僕らは手すりに手をおいて窓の外を眺めながら、のんびりと話をしていた。
「そういえば、美容院なんだな」
「そうなんだよ、簔岩くんに紹介してもらったんだ」
 街にはニ軒の理容室と数件の美容院があって、なんとなく美容院にはまだ入りづらくて理容室にお世話になる祠堂生も多い。なんとなく、葉山もその向きかと思っていたので、ちょっと意外だった。そんな僕の内心に気づいたわけではないだろうけど、葉山は言い訳っぽくつけたした。
「少し前までは、理容室に行ってたんだけどね」
「変えたんだ」
「うん……ちょっとね、行きづらくなっちゃって」
「なん……」
 不意に、ややキツめにブレーキがかかった。
「わっ!」
「おっと」
 こちらに倒れかかった葉山を思わず片腕で抱きかかえるような形になって──なんだ、なんにもおかしいことはない、難しいことはない。だって、こんな場合だったら隣の友人を抱きとめるのは当たり前で──
「ご、ごめん」
「いや……大丈夫か?」
 急ブレーキを詫びる車内放送を流して、バスは再度動き出す。
「だ、だいじょうぶ。ほんと、ごめん……不注意で。うわー、恥ずかしい」
 やけに動揺して妙に照れている様子の葉山に、かえってこっちが引いてしまう。
「さっきのは、葉山のせいじゃ……なんだよ、だって三洲とは──」
 言葉にしてしまってしまった、と思った時には遅かった、葉山も小首を傾げて、ああ、と先日のハグを思い出したらしい。
「あれはね、だって、三洲くんは……ほら、ルームメイト、だから? 慣れてるから、かな?」
 ……なんで、疑問形なんだ。
「あのな、ルームメイト──」
 カーブにさしかかり、また葉山が少し僕の方に倒れそうになる。今度はこらえたようだ。
 僕は飲み込んだ言葉を頭の中で続けた。
 ルームメイトだからって、ハグなんかするのかよ。ここは日本だぞ。少なくとも僕はしないし、お前だってそうだろ、三洲だって、葉山以外とはしないんじゃないか──
 あらゆる疑問が沸いてきたけれど、口にしちゃいけないような気がした。
 あんなのおかしい、へんだ、という気持ちは変わらないんだけど。
 なんだかあやういバランスがとれているように思ったのだ。
 多分、葉山はそう定義することで、いろいろなことに折り合いをつけている。
 そして三洲も、横恋慕とか悪戯とかからかいとか、そういう感じでの行動ではなかったのを覚えている。心配の言葉を随分繰り返して、そのまなざしが、なんというか──慈愛を感じさせるものだったように思えるのだ。
 だからやっぱり、ギイに話すべきことじゃないんだ、きっと。
「……ルームメイト、だもんな」
「そう、なんです」
 機械仕掛けの人形のように頷く葉山を横目で見て、僕はやっと窓の外に視線を戻した。


 それぞれの用事を済ませて、時間が合えば一緒に帰ろう、という程度の約束で葉山とは別れた。僕は映画を一本見て、書店に寄ったり日用品を買ったりなんかした。
 予定していたバスに間に合いそうだと思いながらぶらぶら歩いていると、前方に楽器店の袋をさげた葉山の姿が見えて、帰りも合流できそうだなと思い少しだけ早足になる。ふと、前から来た知らない男が葉山に軽く手を振って注意をひいているのに気づいた。二人の声が聞こえる辺りで、僕も足をとめる。
「葉山さん。偶然だね、こんなところで」
「どうも……、お久しぶりです」
 僕らよりも年上だろう、ラフな服装に金に近い髪の色、━━葉山の知り合いに居そうにないタイプに思えるけれど、葉山は挨拶を返している。
「最近店の方に来てくれないから、どうしたのかなって思ってたよ」
「あの、ええと」
「……やっぱり、僕が連絡先聞いたの、迷惑だったかな。すみません」
 声だけからでも困っている様子がわかる葉山の顔を男は優しげに覗き込んで、あまつさえ肩にそっと手を置いて──
「もうしないから、よかったらまた店に来てよ」
 大股で近づいて、答えに困っている葉山の腕を後ろから強く引いた。バランスを崩しかけた葉山を後ろから抱くような形で支え、思い切って手をその腰にまわす。心臓がバクバクするけど、ええいままよと男に冷たい視線を投げてやる。
「僕の連れに、何か?」
 男は驚いたように僕を見て、葉山に微妙な笑顔を向けた。
「えっと、……友達?」
 腰にまわした手に少し力を込めて合図すると、その意図を理解したのかどうか、葉山は一歩僕に近づいて、寄り添うような姿勢になった。
「用がないのなら、失礼します。僕ら、これからデートなので」
 平静をよそおいつつも悔しそうな顔の男を残し、僕は葉山の手を引いて踵を返した。葉山も男に軽く頭を下げて、黙って僕に逆らわずについて来た。
 背中に視線を感じたままなんとか次の角を曲がって、つないだ手を離せないまましばらく闇雲に歩く。もう手を離しても大丈夫だろうかとか、祠堂の人間に見られたらとか、手のひらに汗をかいて気まずいとか、思考はばらばらで足だけが前に進む。
「……あの、もうそろそろ平気だよ、赤池くん」
「そうだな」
 歩みをとめてそろそろと手を離し、僕は膝に手をついて大きなため息を地面に零した。
「……あー、ビビった」
「ぼくも、びっくりした……まさか赤池くんが、って」
 こちらを覗き込む葉山を見上げて、僕はふと思う。
「余計なことだったか?」
「や、ううん全く……助けてくれて、ありがとう。実際、助かったよほんと」
 ゆるゆると首を振って、葉山もため息混じりに苦笑した。
「バスで話が途中になってたんだけど、前に行ってた理容室の人なんだ」
 それで大体の事情が飲み込めて、僕はそうか、とだけ返した。
 苦笑が笑みに代わり、妙に笑いがやまない葉山に首を傾げると、口元に手をあてて葉山はくっくっと笑い続けた。
「……ごめん、助けてもらって悪いとは思うんだけど、だって赤池くんなのにって、僕なんかとデートって、つい想像したら……ごめん」
「ばか」
 でも、自分で言うのもなんだが、その気持ちはよくわかる。
「ごめ……だって……そんな赤池くんに、あんなこと言わせて、申し訳なかったなって」
 まだ笑ってる。
 面白いのか、申し訳ないのか、どっちなんだ。
「……友人、が。困っていたら、助けるのはあたりまえだろ」
「そ、そだね、……ありがとう」
 もっとも、他に助け方があったんじゃ? という問いは、この際、無視しておくに限る。だから、一応、
「でも、ギイには言うなよ」
「あ、当たり前だよ! 言わないよ!」
 葉山はどうせ、あの理容師のせいで店をかえたことだってギイに話していないんだろう。
 三洲の「抱き枕」のことも。
 でも、だからって葉山がギイに不実なわけではない。だってこれは、ギイが葉山を遠ざけたのと同じような理由──なにもかもがギイのため、なんだろうと思うから。
 ただ、こういう状況になってもギイは自分で自分の身を守れるけれど、葉山はそうではない、というだけで。
 だから、急ブレーキによろめいた葉山を腕をとるではなしについ抱きしめてしまったのも、やっかいな状況になってしまった葉山を彼氏のフリをしてまで僕が助けたのも、手をひいて歩いたのも。友人として、当たり前の行動の範疇だ。













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