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(あの白いところ、に、さわってみたい)







「キミは、友達。」★☆★☆★☆★☆





 六月半ばになると、衣替えがある。
 山にあるこの学校では夏は遅いので、夏服が活躍する期間もそう長くはない。だから夏服と言っても、たんにシャツのみで登下校して構わないという程度のもので、正確には衣替えでも夏服でもなく、略装可期間、という名称だ。
 それでもブレザーを脱いで、半袖のシャツ一枚で過ごすというのは、なんとなく気分まで軽くなるようで僕は嫌いじゃない。
 だから、長袖シャツにベストまで着用しているクラスメイトを見ると、つい一言言いたくなってしまう。
「寒がり。そんなに着込んで、暑くないのか」
「寒いわけじゃないけど、暑くもないよ」
 温室に差し込む陽の光に目をすがめながら、調弦の手を止めてこちらに振り返る。
「あのね、これは、弾くのに邪魔かなと思っただけだからね」
 なにやら言い訳のようにそう言うと、バイオリンを肩にあてたまま顎で器用に抑えて、弓を持った右手で、袖口のボタンをはずして軽くまくる。
 僕は苦笑を返すと、自分の手元のテキストに視線を戻し、葉山の演奏をBGMに、宿題の続きに取り掛かった。
 なにしろ三年間も同じクラスで、今年はあれこれの状況で一緒に過ごす時間が前より増えて、僕にとっても大事な友人の一人になった葉山託生は、変わった男だった。
 変わっているっていうのは、元からの彼の人となりも多少はそうなのだけど、ギイが恋人になったせいで、彼が変わらざるを得なかったから、あるいは彼をとりまく環境がかわったから、というのも大きい気がする。
 互いに相棒を自認するギイと僕だけど、四月のギイの考えは、僕にもよく飲み込めなかった。髪を切りダテ眼鏡を掛け、葉山との間に一線をひく、という行動は、なにを意味しているのか。新入生がキナ臭いから──なんて言われても、当初は全くピンとこなかったのだ。
 けど今となっては、ギイの心配は全くの杞憂、ではなかったと思えるようになっている。なにしろギイは葉山とは距離を置いたけど、僕のことは変わらずに相棒として扱ったので、僕に妙につっかかってきたり、逆にこびを売るような態度を見せたり、中には明らかにウソだろうという恋の告白までしてくる一年生が現れたことで、僕も辟易してようやく色々理解したのだ。
 や、葉山みたいにとは言わないまでも、僕に対してももうちょっと気を使ってほしかった、とかいうことではなく。
 ギイの親友としての僕、に、そうする価値があると思い込む人間がいたということは、恋人──とは知れないまでも、もっと「特別」感のある友人に見えるだろう葉山だったら、更に面倒くさい状況が生まれていただろうことは、簡単に想像できた。
 そして、葉山がこんな思いをしなくて済んだことだけは、よかったと思えたのだ。





☆☆☆☆☆★★★★★☆☆☆☆☆





 窓際の席なのをいいことに、ぼーっと外を眺めている様子を見ると、やっぱり一言言いたくなってしまうのだ。
「葉山、はーやーま」
「……ん、あれ。赤池くん?」
「ぼーっとしているんじゃない、もう放課後だぞ」
「え、うそ。……ほんとだ、まずい、後半聞き逃してる」
「おいおい、大丈夫かよ……ノート、貸そうか」
「助かるよ、ありがとう」
 ノートを差し出してやると、慌てて自分のものと見比べはじめた様子がおかしくて、僕はやっぱり苦笑して窓の外に目をやった。
「いい天気だな、まあぼーっと眺めたくなる気持ちはわからなくもないか」
「だよね、梅雨明け、なのかな」
「どうだろう」
 葉山がノートを見ている間の手持ち無沙汰に、あちらこちらに視線を送る。 
 教室の反対側では、サッカー部のクラスメイトが荷物を揃えながら談笑していた。一人が相手の肩を抱き寄せてなにやら耳打ちし、二人同時に爆笑しはじめる様子に、なんとなく、運動部らしいなあなんて思う。
 あんなふうに肩を抱き寄せて、唇が耳に触れそうなくらいに近づいても、それは友達としてのスキンシップであって決して愛情を示すものではない。時には本当に触れてしまうことさえあったとしても、うわっ、キモ! キスすんな、とかなんとか言って、笑って終わり。
 そういうスキンシップをするのは、できてしまう奴は、運動部の友人に多い気がする。運動部、特に、いわゆるコンタクトスポーツをしている奴は、わりあい友人に躊躇なく触れる気がするのだ。もちろん個人差はあるだろうし、運動部じゃなくたってする人はするのだろうけど。
 なにが言いたいのかといえば、なんにせよ、自分はしない、出来ないということだ。
 運動部に入っていないからだろうか、それとも一人っ子だからだろうか。ああいったじゃれ合いとは無縁で来てしまったので、正直言うと少し憧れもあった。
 幸いにというか、アメリカ育ちの相棒は、僕よりは大胆かつ細やかにスキンシップが出来る人間だったので、少しは僕もそういう雰囲気に慣れさせてもらったようにも思う。けど、今でもやっぱり、自分からスキンシップを仕掛けることはほとんどない。だから、時に物足りないような、残念なような気分になることもある。
 ただ、目の前の友人は、僕よりも更にスキンシップに不慣れな人間なので、だから自分は彼とこうして仲良くなれたのかな、という気がしなくもない。
「ふたりとも、まだ残ってるのか?」
「三洲」
「三洲くん」
 顔を挙げると、三洲がこちらを見ていた。気が付けば、残っているのはもう僕ら三人だけだった。こちらへ来て葉山の横に立つと、三洲は二冊のノートを見比べて、表情を変えずに言った。
「世界史、寝てたんだな」
「……はい、すみません」
 ふざけ半分でしおらしく頭を少し下げた葉山に、苦笑するでもなく呆れるでもなく、三洲はあっさりと頷いた。
「ま、そうだろうな。昨夜はあまり眠れなかったようだし」
 何気ない三洲の言葉に、葉山はちらりと視線を上げただけで、無言でまたノートに戻ったので、僕はなんとなく変な感じがした──そもそも、いくら同室者でも、睡眠状況をそこまで把握しているものかなあ。
「それはそうと、今日は図書当番だったんじゃないの?」
「あ、うん」
「当番なのか? ノート、明日でもいいぞ?」
 僕がそう声をかけると、だいじょうぶ、と呟いて、倍速でペンを走らせる。なんとか移し終わって荷物をまとめると、葉山は今更慌てたように立ち上がった。
「赤池くんノートありがとう、行ってくるね」
「ああ……」
 ノートを僕に手渡して、図書室へ急ごうとした葉山の行く手を、なぜか三洲が遮った。二人、妙に近距離で見つめあい、三洲は黙ったまま、葉山もなにも言わず、目をしばたたく。なんだこれ。
「体調、平気?」
「……うん」
 やけに濃密な空気感に、なんだか入り込めない気分になってしまい、僕は黙ったまま二人を見守った。
 三洲は葉山の顔を覗き込むようにして、無造作に手をあげてその前髪に触れた……なんだ、それ。
「起きてる? ちゃんと、目、覚めた?」
「う、うん……だいじょうぶ」
「じゃ、念押し」
「わっ」
 突然の三洲のハグに、葉山はとんきょうな声を上げて固まった。
「びっくりして、目、覚めただろ? いってらっしゃい」
「ちょ……もう、三洲くんっ」
 ちらり、と僕を見て、けどなにも言わず、葉山は三洲の腕を軽く叩くとくるりと背を見せた。
 その後ろ姿と、はは、と笑って見送る三洲を、僕は交互に見比べてしまう。
 葉山が教室を出ると、僕はやっと声を出すことが出来た。
「おい……なんだよ、今の」
「なんだって、なにが?」
 わかっているのだろうに、とぼける三洲に、僕はそれ以上言葉を重ねず、ゆるく首を振った。
「なんていうのか、……意外だ」
「赤池のその反応も意外だよ。もっと……怒るとか揶揄するとか呆れるとか、なにかないの」
 三洲は苦笑して、僕の方に向き直った。
 そうなのだ。僕の相棒であるギイ、の恋人、に、する態度としては、今の三洲は不適切極まりなかったし、僕がギイの代わりに非難すべき場面だったのかもしれない。
 けど、たぶんこいつはそんなことは百も承知で、僕がギイに報告なんてしないことも計算して、堂々と振る舞っている。
 そういうあれこれの理由は全部、だって葉山が拒絶していなかったから……だ。
 だから僕も、色々な感情の前に、単純に驚いてしまったのだ。
「僕は……三洲も、スキンシップは苦手な方だとばかり……」
 あれこれ言葉を探して、僕は随分妙な角度からつっこんでしまった。三洲も首をかしげて、少し微笑んだ。
「うん? なに、赤池もしたいの?」
 僕の随分足りない言葉に、だが聡い生徒会長様は正しく意図を読み取ってくださった。
 三洲は、正しく、それこそ僕の意図以上に正確に、僕の気持ちを読み取っているような気がした。
 だって、そうなのかもしれない、と思ったのだ。
 僕はそういう意味で同性に興味はないし、ましてや相棒の恋人に横恋慕するような人間ではないつもりだけど。
 やっぱりこれは、スキンシップが苦手なコンプレックスからくる欲なのかもしれない。
 三洲は少し首を傾げると、こちらに一歩近づいて、僕の背中に腕を回して──
「……違う、そうじゃない」
「あはは」
 すぐに腕を離した三洲に、ようやくからかわれたのだと気づく。
 三洲はやけに無邪気な表情で、軽く首をふった。
「でも、赤池はダメだよ」
「え?」
 三洲は葉山をハグしていいのに、僕はダメって?
 それって、三洲とは違って、僕はギイの相棒なんだから不実になる、とかそういうことだろうか。
 三洲はいたずらっぽく笑ったまま、繰り返す。
「ダメだよ、『あれ』は俺の抱き枕なんだから」
 ──はい?













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