裏コイモモ
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 春の曙光をじりじりと待ち、誰もが新しい生活を始めるための準備に奔走し、そのことしか考えられなくなるような雪の季節。
 だからせめて。この日一日だけでも、最愛の恋人のために生きていたいとオレは思った。












「甘き死よ、来たれ」
(Komm, du süße Todesstunde)












 その日の東京は大雪だった。
 交通網も麻痺状態の混乱した白い世界でオレはいくつかの用事をすませ、もう真っ暗い夕刻に漸くのことで託生を見つけ出した。
「悪い、随分遅れたな」
「ううん、連絡ありがとう。携帯あると、やっぱり便利だね」
「だな」
 待ち合わせ場所にしたカフェは雪を避けた人々でごった返しており、外に比べればまるで天国のように暖かかったけれど、とても落ち着けるような雰囲気ではなかった。オレはまだ熱いコーヒーを半分残したまま託生を促し、カフェを出てすぐの地下鉄の駅に向かった。
 やはりそこも大混雑だった改札を、互いがはぐれぬように振り返り振り返りやり過ごす。すし詰めの車内になんとか潜り込んで、ほっと息をついた。向かい合って、ほとんど抱き合うかのような体制になってしまったが、この混雑では仕方がない……と、周囲の誰しもが思ってくれることだろう。
「しかし、すごい混み様だな」
「JRも止まっちゃったみたいだもんね」
 頷く託生に、オレは苦笑を向けた。
「これじゃどっちみち、静岡には帰れなかったな」
「そうだね。丁度よかった、かも?」
 託生も苦笑して、可愛らしく首を傾げてみせる。思わずキスしそうになって、流石にそれは我慢した。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 




 家に辿り着いた頃には、二人とも疲れ果てていた。
 風呂を使い食事をしてやっと人心地がつくと、通いのハウスキーパーも帰り二人きりになった家の中で、すべてをさておいてまずキスを交わした。ワインをもって部屋に戻り、ソファに並んで座り他愛ない話をつらつらとつなぐ。何となくタイミングを計りかねて、それが互いにわかっているものだから可笑しくて、とうとうそれを言い出しかけた託生の言葉をわざと遮ってオレは頭をはたかれた。
 頭をさするオレを無視してソファを立つと、託生は綺麗な包みを手に戻ってそれをオレに差し出した。
「はい、ギイ」
「サンキュ。先に開けていいか?」
「うん」
 包装紙を解くと、アメリカ人のオレにさえも懐かしいメーカーのマークが現れる。
「何を選ぼうか迷ったんだけど、チョコレート売り場を見てたら、毎年おばあさんがモロゾフのチョコレート送ってくれてたのを思い出して。懐かしくなっちゃった」
「そっか、思い出のあるチョコレートなんだな。サンキュな、託生」
「どういたしまして」
 食べさせてくれ、と甘えると託生は呆れた顔をしながらそれでもプラリネのはいった一粒をオレの口に運んでくれる。ヘイゼルナッツの風味をゆっくり楽しんで、託生の頬に軽くキスを送ってオレは立ち上がった。
「では、お返しに」
 オレはベッドサイドから紙袋を取り出し、託生の元まで運んだ。大きな袋に託生は目をまるくする。
「なに……それって、あれかい、女の子達からもらったのかい?」
「そんな訳ないだろ、買ったんだ。オレから託生へ」
「え? ちょっと、ギイ」
「いいからほら、開けてみろよ」
「もう……」
 有無を言わさず最初の包みを渡すと、託生はまだ何か言いたそうにしながら包装紙を開けて中の箱を取り出した。
「何て読むの?」
「リンツ。スイスの老舗だよ」
 託生は箱に書かれたアルファベットを丹念に確認して、少し首を傾げて見せた。
「オレンジ味のチョコなのかい? 変わってる、ね?」
「試食したら旨かったんだ。食ってみろよ」
 箱を開けさせて、薄いチョコレートをつまんで託生の口に含ませるとぱり、と割れた音がした。託生は首を傾げてそれを味わい、やがて目を見開いた。
「あ、ほんとだ、おいしい。すごくいい香り。オレンジとチョコレートって合うんだね」
 オレは頷きながら、次の箱を取り出し自分で開封してしまう。
「こっちも旨いぞ。ラムが入ってるんだ」
「ラムってお酒の?」
「そう。ほら、」
 有無を言わさずラム入りチョコを託生の口に放り込んで、オレは新しい包みを取り出した。
「それからこっちはな、カカオのパーセンテージがいろいろ変わってるやつ。こっちは生チョコ、あとこれは、何だかっていう有名なショコラティエの」
「ちょ、ちょっと……ギイ、一体いくつ買って来たんだい?」
「いや、それが売り場に行って見たらさ、チョコレートと一口に言ってもいろいろあるんだなー、と思ってな」
 色々欲しくなっちゃったんだね、と半ば呆れ気味の託生に笑い返して、オレは未開封のチョコレートを取り上げた。
「いいじゃんか、ほら、これは去年の分、これは一昨年の分、これはその前の分って、今まであげられなかった分だ」
「……十八個、あるんだね……」
 託生はいささかげんなりした様子で、ローテーブルに積みあがっていくチョコレートの山を見上げた。
「でも一個多いよ」
「どうして」
「去年の分はいいんだよ。ハートチョコくれたんだから」
「そっか。じゃあ、それは」
「来年の分?」
 オレは思わず顔をしかめた。
「来年の分は来年やるよ。余ったこれを、託生のお袋さんに」
 適当な箱を選んで手に持たせると、託生は戸惑うように首を傾げた。
「いいのかい?」
「勿論。でも託生のお下がりだってのは内緒にしておいてくれ」
「母さん、きっと喜ぶよ。夏休み以来、すっかりギイのファンなんだから」
 託生は嬉しそうにそう言って微笑んだ。
 来年のチョコレートなんて、まだ必要ない。
 来年の今日も、その次も。オレは必ずお前にチョコレートを贈るよ。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 




 チョコレートをつまみに安いワインをちびちび飲みながら、他愛ない話に花を咲かせて。時間の経過も忘れてしまう――忘れたくなる。ソファに沈むようにして座っている託生の瞼があまりに重たそうなので、オレは笑いながらそっとその目元に親指で触れてみた。
「眠いか?」
「ちょっとね……今朝、早かったんだ」
「眠いんなら寝ててもいいぞ」
「ん……」
「……好きなだけ寝ていいんだぞ」
「……んー……」
 目を擦りながら生返事をされて、オレはつい願望を口にする。
「それで、明日は昼過ぎまでゆーっくり寝ててもいいんだぞ」
「……だめだよ」
 託生はしぱしぱと瞬いて、呂律の怪しい口調で、しかしはっきりと口を開いた。
「昼前にはここを出なきゃ」
 そう断定しながらもふらふらと揺らぐ託生のまなざしについ動揺して、オレもよせばいいのについ言葉を重ねる。
「JR、復旧しないかもしれないぞ」
「うーん、まあその時は……その時で、考えるよ」
「……明日も泊まって行けよ」
「……無理だよ」
 託生はそう言って少し切ない顔で微笑んだ。つい口を滑った言葉の数々に後悔したけれど、謝ったりすれば泣かせてしまいそうで、オレは何も言わずに託生のひたいにキスをした。少し顔を上げた託生はぼんやりとオレを見あげて、今度は穏やかに微笑んだ。ついと肩を押してやると、ずるずるとソファに背を落としていく。妙にやわらかくなった身体をそのままソファに沈めて、覆いかぶさるようにしてキスをした。
「……チョコレートの味がする」
「ギイもね」
 顔を見合わせて笑い合って、それからまたゆっくりキスをした。























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