恋は桃色
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 まだ知らないギイがいる。




「フロンティアーズ」    





「託生、コーヒー飲むか?
 夕食後の305号室、
 体育とニガテな英語のリーダーが同日にあった昼間の疲れからか
 なんとなくぼんやりしていたぼくは、
 ギイの言葉に素直に頷いて、
 丁寧に入れてくれたコーヒーを腕を伸ばして受け取った。


 既に覚えてくれたぼくの好み、コーヒーと同量のミルクが入ったカップ。
 その温かみを享受するように、両手で包み込んだ。
 記憶力のいい、そして気配りの達人の君のことだから、
 同室者の好みを覚えておくことくらい雑作もないことだろうし、
 こんなことは特別な配慮ではないのだとは思うものの、やっぱりうれしい。

 うれしいんだけれど。

 意識的にカップに目線を落として、ゆっくりと口をつけ、
 一呼吸分置いて顔を上げると
 ギイと目が合った。

 ぼくの動きをずっと見ていたのだろうか。なんだか気まずい。
 目が合ったなり、顔の色ひとつ変えずにいたギイはおもむろに口を開いた。
「今日は砂糖も入れるか?
 ぼくは目を瞬いた。
「どうして分ったんだい?
「そんなもの足りなそうな顔をされればね。
 ……顔には出ていないつもりだったのに。
 でも、どんな些細なことであれ、ぼくがギイに隠し事だなんて
 そもそも無理だったんだ。なんだから、


「そうならそう言えよ、わかんないからさ。
 そう、早く言えばよかったんだ、たったひと言。
 ちょっと疲れた、こんな夜は甘いものが欲しくなる、そんなぼくのわがままな好み。
 ギイは自分は要らないミルクをわざわざ準備してくれたのに。
 ――はっきり言えなかったぼく、却って君を傷つけただろうか?
 とっさに謝罪の言葉も出ない不調法なぼくにそれ以上構わず背を向けた君、
 自分のカップに砂糖を入れた、スプーンをまわす、振り返る。
「ミルクは?
「え?

「砂糖だけでいいのか?
「う…ん、いい。
「じゃ、交換。
 ぼくのカップを取り上げて、入れかわりに自分のそれを、
 まだカップの形にわだかまっているぼくの両手のひらに滑り込ませ、
 ……そして何度でもぼくの心を揺るがせる、あの微笑みをくれる。
 ギイ。
 アメリカ生まれのフランス系クォーターで、
 透けるような茶色の髪に同じ瞳の君。

 そこまではぼくも去年から知ってたい。
 今年になって、もっといろんなことを知った。
 行ったことがない国はロシアだけ。
 使っている洗剤は『トップ』。
 昼食のあとでもパンを四つも食べられる。
 それから、コーヒーはブラック。
 ぼくと違って、コーヒーはブラック派のギイ。
「だって、……いいの?
「何が。どうして。オレがみすみすこんな機会を逃すとでも思うのか?

「機会? なんの?
 首を傾げるぼくに口の端だけで笑って見せて、カップのふちにちいさなキス、
「間接キスだ。
「……ばか。
 どこまで本気なのかわからないギイ。
 けれど、わかる。
 どこまでかはわからない、けれど、どこかからはたぶん、
 ぼくの内心のすまなさを軽くしてくれる軽口だったよね。
 また一つ君のやさしさを知って、ぼくは心からそう言えるんだ。

「ありがとう、ギイ。
「It's my pleasure.
 ――また一つ、託生のことを知ってうれしいんだよ。













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 エピソードのモチーフは「右腕」のコーヒー話からとりました。ただ、「右腕」からはギイが託生の好みを把握していることを託生が知っていたのかどうかが
はっきりとはわからないように思われます。いずれにしても、このモチーフは実は後付で、もともとのイメージモチーフ的には「BROWN」みたいな感じで
す。「BROWN」のギイと託生の、お互いまだ距離や思考をつかみかねている感じ、そしてお互いわかっちゃいないんだけれどちゃんとつながっている会話が
とてもかわいくて好きなのです。最後の一文がたまりません。託生はかわいい。

 タイトルはピロウズ「フロンティアーズ」からです。まだ知らない場所、の方の意味で使いました。
 えーと、まじめな話はさておき、これが初めて書いたギイタクで、というかたぶん初めて書いたSSです。甘甘で顔から火が出そうです…。

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せりふ Like
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