恋は桃色
恋は桃色:トップページへ










 梅雨の一歩手前の青空は、厚い雲と雨を知らないかのような蒼が同居していて、充分に強い陽射しもあいまって、すでにどこか夏めいた感じがする。グラウンドからはボールを蹴る音、時に歓声や短い笛の音が聞こえてくるけれど、空を見上げているとそれらもどこか遠く、ぼんやりとしてくる。近づく足音に、見上げていたまなざしをめぐらせると、相棒がこちらに苦笑を見せていた。
「ギイ、なにサボってるんだよ」
 ギイはそんな章三をみあげて、わざとにやりと笑い、ひらひらと左手を振って見せる。
「ほら、オレケガ人だからさ」
「何言ってるんだ、とっくになおっているクセに。───痛むのか?」
「いや、問題ない。単に交代で出ただけ」
 章三は納得したように頷くと、グラウンドの脇で座り込んでいたギイの隣りに腰を下ろした。
 腕の治療には結局一月と少しかかり、ようやく包帯が外れたばかりだ。サッカーならば参加できるだろうと無茶なことを、担任でもある松本は言った。だから一応、チームには参加している。元々チームの人数が多いため、交代で休憩となるシステムで、包帯がとれたばかりの状態を気遣ってか、チームメイトたちはギイに早めの交代をふってくれた。ギイ自身は体調に問題を感じてはいなかったけれど、彼らの心遣いを無駄にしないよう、ありがたくはずれさせてもらった。だから、今はのんびりとゲームを観戦しているというわけだ。グラウンドの周囲にある芝生の上には、ギイ達の他にもそこかしこにクラスメイトがいて、試合の様子を見守っている。
 クラスを三チームに分けているので、章三の属しているチームは、そもそも今は見学中なのだ。きっと、ギイが外れたのを見て、心配して様子を見に来てくれたのだろう。冷たい物言いをするくせに、律儀で親切な相棒の心配りに、ギイはこっそり笑みをもらした。
 二人並んで、ぼんやりとゲームを見守っていると、章三がのんびりとつぶやいた。
「いい天気だな」
 隣りを見ると、章三はグラウンドの向こうへと遠く目をやっている。ギイは少し首をかしげて、反対側の西空を見た。
「でも、明日からまた雨だぞ。オレ、予報チェックしたんだ」
「そうなんだ? ギイが天気を気にするなんて、なんだか意外だな」
 苦笑だけ返して感想には答えずに、ギイはまた空を見た。西側から雲が増えているようだし、おそらく予報はあたるのだろう。ここのところ雨の日が増えている。梅雨入りも間近なのだろう。
「あ」
 その声にグラウンドへと視線を戻すと、丁度託生がボールを得た場面だった。相手チームのガードをやけに大きく避けつつ、意外にうまくボールをはこんで仲間にパスをおくっていた。
「へえ、うまいんだな、葉山」
 感心したように言う章三に、ギイも同意する。
 サッカーにかぎらず、託生は基本的に、あまりチームスポーツには積極的ではなかった。あの嫌悪症を考えれば、おそらく接触プレーを嫌ってのことだろう。けれど、スポーツが嫌いだったり苦手だったりするわけではないらしく、普段のややぼんやりした様子からすれば意外なほどに、いい動きを見せるのだった。
 しばらく黙って試合の成り行きを見つめていたが、やがて章三が口をひらいた。
「なあ、ギイ」
「ん?」
「最近また、様子がおかしい気がするんだが」
 グラウンドを見据えたままの章三に、何の、誰の、とは問い返さずとも、先ほどからの続きの会話だとギイは了解する。託生のことに違いない。それに、思いあたるふしもある。ギイはちらりと隣りに目をやって答えた。
「章三もやっぱり、そう思うか」
「うん」
 こくりと頷く章三に、ギイはもう少し聞いてみたくなった。
「どんなふうに見える、お前には」
「どんなって、何か心配事でもあるのかな、と思ってはいるけどなあ………ってことは、ギイも原因は知らないのか」
「ああ」
「らしくないな、相棒。僕なんかの意見を探っていないで、本人に聞けばいいだろ。せっかく同室なんだしさ」
「そうだなあ」
 なんとなく裏を感じさせるかのような発破かけに、この相棒は一体どこまで気づいているのだろうと思いつつ、ギイはあいまいに答えをにごした。


 気持ちが通じ合ってから、ギイはこれまでの回り道を取り戻すかのように、託生の傍にいるようにつとめていた。もっとも殊更の努力をしなくても、何しろ二人はクラスメイトで、寮の部屋が同室で、始終一緒にいられる関係だった。とはいえ、託生の接触嫌悪症は治ったわけではないので、恋人同士としての直接的な関係には、まだたいした進歩はみられないのだけれど、それでも気持ちの面では、随分近づけたと思う。
 そんな中、託生が時折不安そうな表情や、ぼんやりと物思いをしている様子に気づいた。ことにそれらが頻発するようになったのは、梅雨が近づき、先触れのようにして雨が降り始めた頃からだった。雨の日には、特に辛そうにしているように見える。だからギイもつい、天気予報を気にするようになってしまったのだ。
 託生が一体何を気にしているのか、思い悩んでいるのか、ギイにはわからない。託生も口を閉ざしている。でもきっと、託生には、まだ自分の知らない領域があるのだと思う。もしかしたらそれは、彼の接触嫌悪症と関係があるのかもしれない、とも思う。それが何かはわからない。今はただ、託生のかかえる『何か』が、たとえどんなものであろうとも、怯まずに向かい合おうと心に誓うだけだった。でもそれは、ギイにはごく自然なことであり、難しいことなどなにもなかった。自分は気負っているとも思わなかったし、楽観的にすぎるとも思えなかった。
 なぜなら、託生が自分を選んでくれたのだ。彼は『何か』をかかえたまま、ギイを選んでくれた。だから自分はそれに応えるべきだし、道の向こうで彼が待っていてくれるのならば、きっと応えられるに違いないのだ。
 今まで、触れられない託生は、遠い空の星のような存在だと思っていた。彼に恋することは、星がほしいと泣く子どものような駄々なのかもしれない、と思っていた。でもこの手があの星に届くかもしれないというのなら、腕を差し伸べつづける覚悟はある。


 ひときわ長い笛が鳴らされた。章三はよし、と膝をたたくと次の試合のために立ちあがった。グラウンドの中央に向かいながら、グラウンドの外へと向かう託生に声をかけている様子が見える。託生は少し首をかしげてから小さく頷くと、数字のプリントされたビブスを脱いで、章三に手渡した。そのまま短く言葉をかわし、章三は笑いながらグラウンドに向かっていった。その後姿を気持ち見送りながら、託生はくるりとこちらを向く。少し視線をさまよわせて、座っているギイに気づくと、こちらに駆け寄ってきた。
「ギイ、腕は大丈夫かい?」
「平気だって。託生みたいにして、皆が心配してくれるから、休ませてもらってるだけだからさ」
「そうか。なら、よかった」
 託生はにっこり微笑むと、ギイの横に少し距離をおいて座った。さきほど章三が座っていたスペースをあけて、その向こう───まだまだ、隣りの星への距離は遠い。ギイはそう目算して、けれどふっと口元に笑みを浮かべた。
「ギイ?」
 顔をあげると、託生が不思議そうにこちらをうかがっていた。
「どうしたんだい?」
「託生こそ、足、どうしたんだ?」
「え?」
 託生は素直に自分の足を見下ろし、すねに茶色く土の筋がついているのをみてとると、首を傾げた。
「あれ、誰かに蹴られたかな」
「痛みは?」
「え? 平気、大丈夫だよ、これくらい。気づいてなかったんだから」
 託生は笑って、手でぱたぱたと土をはたいている。
「活躍してたじゃんか、託生」
「ええ? や、全然。随分ボールがまわってきて、困っちゃったよ。もっと積極的に走れって、松本先生に怒られた」
「そうか? 意外にいい動きだって、章三もほめてたぞ、めずらしく………髪、なんかついてるぞ」
「どこ?」
 手をあげかけた託生を制して、前髪についた小さな葉を取り除いてやる。少し俯いた託生の黒髪がさらりと指に触れて、少し胸が高鳴った。
「………ありがと」
 距離をつめることにたいして、いまだに少しのためらいやとまどいが残っているのがわかる。それでも、はにかむように微笑んで礼をいった託生に、ギイは明るく笑い返す。
「ま、これから、だよな」
「うん。来週もまた、サッカーみたいだし」
 ちぐはぐな会話に、ギイはまた笑って空をみあげた。
 曇りも雨の日も、恐くはない。
 厚い雲の向こう、夜も昼も、この星が待ってくれているのだとわかったから。
 いつか、この手が届く日まで、歩いてゆくだけだ。





- 太陽と星のためのカノン -
Kanon für Die Sonne und ein Stern
(了)














prev top 












---
 ず、随分長くなってしまいましたね…(汗。プレビュー版から考えれば、三年弱はかかっているでしょうか。着地点を考えずに書き始めてしまったので、結末にいたるまでずいぶん紆余曲折してしまいました。あんまり長いこと書いていたので、矛盾しているところや、取りこぼしているネタがないか心配です…。
 しかし、書く方も大変でしたが、お付き合いくださった方には本当に本当に、感謝いたします!ありがとうございました!!

 託生は実は強い子だと思っています(実は、でもないかもしれないけれど。なので、託生にがっつりがんばってもらおうという、これはそんなつもりで書き始めたお話でした。なんというか、託生の恋愛は決して受け身なだけじゃないだろう…というかそう思いたいので(笑、託生の方から先に主体的に動いてみたらどうかなあ、という設定です。
 そして一方、ギイはある意味ダメな子だと思っています(笑。ダメな子だった、というか。託生への恋心を持たないギイって、ちょっとダメっぽいのでは…って思ってしまえるじゃないですか(笑。でも託生に恋をしてから、きっともっと強く魅力的なひとになっていったんではないかなあ、と。そんなわけで、このお話のギイは自分でも書いていてとっても違和感がありましたし(笑、あんまりこう、感情移入できなかったというか正直好きにはなれなかったのですが(笑、そんなギイが恋を手に入れたことでいい方に変わってくれていたらいいなあ、と思っています。

 …すみません、以下に愚痴を(製作上の個人的な愚痴です。
 今回は思いつきの設定だけで始めてしまったので、お話を考えるのが大変でした。特に、託生片思いパラレルという設定だったので、ギイがなぜどのように託生を好きになるのか?という理由と過程を書かなければならなくなってしまったことが、やっぱり一番大変でした。また、パラレルかつ二次創作なので、特に後半(一年冬あたりから)は、原作とエピソードや気持ちがかぶらないように、ということにも気をつかいました。そして更に、ギイタクの片恋→両思いの流れは、結構いろいろなパターンを二次創作として書いてしまったので、自分の今までに書いたものともかぶらないように…などと考えなければならず、もうとっても大変だったのです…あっ、お気づきの方ももしかしたらいらっしゃるかもしれませんが、階段落ちネタは既に別作品で使っていたんでした…!ということに、後から気付きました。かぶらないようにってがんばったつもりだったのにー…(笑。前に書いたもののほうが改稿が簡単そうなので、そっちを直そうと思います(汗。そのうちに。
 あと今回は、一回ごとの視点切り替え&毎回の文章量をなるべく同程度にする、という制約も勝手に設けていたのですが、これも結構大変でした。視点切り替えについては必要な装置だったとは思っているのですが、冗長になってしまった部分もあるかなあと反省しています。そして、あまり展開がないパート(名付けて、ポエムパート、笑)はとっても大変でした…。

 とはいえ、苦労した分、いい思い出にもなりました。ギイにはおおいに成長してもらって、そしてそれでもなおかつ自分勝手(でも魅力的に書けていたらいいんですが、笑)でいてもらって、託生は強くもろくちょっとにぶく、わりあいわたしの想像に近い託生くんでいてもらえたような、気がしています(笑。
 あと、このお話は、当初は「太陽に、その手を伸ばして」という仮題にしていたんですけど、これも内容に意外とあってるタイトルだったんだなあ、と書き終えた今となっては思います(笑。
 タイトル・モチーフともに、わたしの大好きなザ・ピロウズの歌、トリップダンサー「僕の振り回す手が空に届いて、あの星を盗み出せたら何か変わるのか」→ギイ、ハイブリッドレインボウ「太陽に見惚れて、少しこげた。プリズムをはさんで手を振ったけど」→タクミ、のイメージになりました。

12

せりふ Like
!



恋は桃色
恋は桃色:トップページへ