* * *
ここのところの託生は屋上が気に入りらしく、初冬の夜の寒さをものともせず、大体ここで星をながめている。
その背中に近づきながら、今日も夢が醒めないようにと祈りながら、聞こえるかどうかぎりぎりの声量で、そっと声をかける。
「託生……?」
「ギイ?」
振り向いて、やわらかく微笑んだ。
夢中の光景に、オレの胸はたやすく騒ぎ出す。
夜歩く託生の意識は、しだいにはっきりとして、昼間のそれに近づいていっているみたいだった。言葉と表情とは、すでに覚醒時のものと遜色ないくらいだ。だからここのところ何度も言い聞かせて、上着を着てこさせることに成功した。ファーストネームで呼び合えるようにさえなった。
けど、だからこそ――逆にこれは夢中のことなんだとはっきりわかる。昼の託生であれば、オレの名を呼んだりしないし、オレに微笑みなんて見せてくれないはずだから。星の下、いくら親しくなれたとしても、昼間の託生はすべて忘れてしまうのだ。
手すりにもたれてこちらを向いた託生は、歩み寄るオレに首をかしげてみせ、ふっと夜空をあおいだ。
「今日も、星がいっぱい見えるね」
託生はいったい、何がしたいんだろう。何を探しているんだろう。
それは、オレが毎夜考えあぐねている、考えまいとしても忘れられない問いだった。夜歩くのはグラウンド脇でなくした何かを探しているからだと思っていたけど、ここのところはこうして屋上で空をながめるだけだ。
「託生」
オレは託生の近くまで歩み寄ると、我慢できなくなって、そのことを言い出した。
「落しものはみつかったのか?」
「落しもの……?」
「グラウンドで、探してたじゃないか」
「ああ、カギのこと?」
なくしたのは、カギだったのか。どこの、と問おうとしたオレの意図を避けるように、ふと顔をそむけた託生はゆるく首をふりつつつぶやいた。
「あれは、もういいんだ。あれは……だって、もう使うことは、ないから」
「……だったら、お前は何を探しているんだ?」
「何、を……って……?」
違うのか?
だったらなぜ、お前は夜を歩きつづけている?
* * *
「おい、また葉山がもめてるぞ」
そんな級友の声に、オレは目をおとしていた雑誌から顔をあげた。
教室を出てすぐの廊下では、託生になにやら話しかけている三人組がいた。この間グラウンド脇で託生の持ち物を捨てた奴らだ。何やら不穏な様子に、つい見守ってしまう。
「相手、だれだ?」
「A組とB組の……名前は知らないけど、どこかの部活つながりの奴らじゃないかな」
さっき声をあげてクラスの注意をひいた級友が、他のクラスメイトと評し合っている。
「あいつら、最近よく葉山にからんでるよな。なんで?」
「なんだか、前にどこかで葉山に無視されたみたいで、それからちょいちょいいちゃもんつけてる感じらしい。たぶん葉山は、無視したっていうより、気づいてもいなかったんじゃないかと思うんだけど」
「うぜぇ……無視したくもなるわ、それは」
こういうとき、オレは少しほっとしてしまう。
託生のことを誤解している人間も多い中、彼の「接触嫌悪症」を理解しようとして、どちらかといえば好意的なまなざしを彼に送る人間も、確かに一定数は存在しているのだ。
そんなあたたかい級友たちに視線をうつすと、ちょうどこちらを向いたところの一人と目が合った。
「なあギイ、仲裁入ってやってよ」
「そこで人頼みか」
急にふられた話に、オレがわざと軽く笑ってそういうと、級友は少しきまり悪そうに笑い返した。
「だってさ、俺らが出ていったらカドがたつし、葉山も聞きやしないだろうけど、ギイなら丸くおさめてくれそうじゃんか」
「そうだな、ギイが一番適役だと思うよ」
オレの言葉だって聞きやしないと思うけれど、と口には出さず、ふと夜歩く託生のことを思い出す。
こちらをきちんと見て、触れてもいとわず、声を掛ければ答えすら返してくれるようになった託生。
あれは、夜の夢だ。夢だけれど――
席を立って、オレは戸口から廊下を覗いた。
「……い加減、何とか返事しろよ。馬鹿にしてんのか」
「おい、何してるんだ?」
チンピラめいた、ほとんど脅しのような言葉につい苛立ち、こちらの声も尖る。
すぐにこちらを振り返った三人は、別にだのたいしたことじゃだの、もごもごいいながらすぐに立ち去っていった。
彼らを見送ってふと視線をうつすと、託生は俯いたまま動かない。
かさならない視線、きっと言葉は返ってこない――オレは彼に言葉も掛けず、逃げるように教室内へと踵を返した。
冷気に透き通る星空の下、ぽつんとした後ろ姿に、オレは今日もまたためらい立ち止まる。心なしかその背中がいつもよりも淋しそうに見えるのは、昼間の堅い表情を思い出すからなんだろうか。
鉄柵に腕をあずけ、ぼんやりと夜空を眺める様子をしばらく眺めていると、託生の方からこちらを振り向いた。
「……ギイ」
「よ、今日も寒いな」
託生は少し頷いてから、改まったようにもう一度頭をさげた。
「……今日は、ありがとう」
そこですこしためらって、照れくさそうに微笑む。
「今日も、だけど」
「託生」
距離をつめず、鉄柵の前の託生と距離をとったまま、オレはそっと息をついた。
これは、託生の夢だ。
夢の中で、普段言えない、言いたくても心にしまい込んでいる言葉を言っているんだ。
オレのおせっかいに、いつも感謝してくれているのだと彼は言った。けど、昼間は言えないから、起きている時には口に出せないから。こうして夢の中でだけ、彼は思ったように振舞える。
だがこれは彼にとって、決していいことではないんだろう。本当は、目覚めている時に言いたいことを言えるようにならなきゃいけないはずだし、きっと彼もそれを望んでいる。なにより、夢遊病なんて身体にも心にも負担がかかっているに決まってるんだ。
だからこの夢は、たぶん託生のためにはよくないものだ。
それに、おそらくオレにとっても。
昼間とは違い、託生が微笑んでくれるから、オレの手を払いのけないから。だからオレまで、この夢にはまりこんでしまった。けど、これは本当の託生じゃない。オレにとっても、結局これは夢のようなようなものなんだ。だから――託生と一緒に、オレも目覚めなきゃいけない。
「なあ、託生。そろそろ、やめにしないか」
「え?」
本当の望みとは違う言葉をつらねるのは、つらい。
けど、オレが言わなきゃいけないんだ。
託生がなぜ夜をさまようのかは、未だにわからないままだ。それでも、今の彼には必要なことなんだろうと思う。だから、この提案は拒まれる可能性が高い。それでも、いつまでもこのままじゃいられないんだ――託生も、そしてオレも。
きょとんとした顔でこちらを見ている託生に、オレは言葉をつないだ。
「お前が何を探していたのか、結局わからなかったけど……でも、もう」
「……そうだね」
しかし予想外に、託生はあっさりと頷いた。
「……本当はぼくもわかってたんだよ、ギイ。ずっとこうしてはいられないんだ、って……でも、」
星空を背に、託生はふとうつむいた。
「……ぼくがこうしてここに居ると、いつもギイが探しに来てくれたから、だから」
その言葉の意味を理解するのに、たっぷり数秒はかかった。
やっと、わかった。
これは彼の夢――彼の願望でもあるのだ。
こうして触れ合い、見つめ合うことを望んでいるのは、オレだけじゃなかった――
「託生……」
オレはたまらなくなって、託生までの数歩の距離をつめた。
腕を差し伸べかけ、けれど届く寸前でためらった。
今この手が届いても、意味はないのだ。
オレはうつむいたままの託生の顔を、じっと見据えて腹をきめた。
「待ってるからな」
「……ギイ?」
そっと顔をあげ、託生はオレの言葉を噛み締めるように間をおいて、そしてオレの名を呼んだ。
「だから、次は」
オレはもう、ためらわなかった。じっと彼の顔をまなざし、はっきりと、
「太陽の下で会おう」
「……うん。ギイ」
いつか必ず、太陽の下で。
再びそうオレを呼んでくれ。
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…なんて言って別れて、次会う時も夜の音楽堂なんですけどね(笑。
タイトルは横溝正史の方の「夜歩く」から。冒頭は「午後の空に隠れてる星のように、優しい暗闇を待っている」という歌詞のあるピロウズ「Liberty」のイメージを引用しています。
このお話は、実は結構前から書き始めておりまして、最初は一年秋のたんなる夜の散歩の話だったのです。けれどもタイトルを「夜歩く」から借りようと思った際に、じゃあ夢遊病設定だったらどういうお話になるかな~と考えているうちに冒頭の場面を思いついて、これはすっごく自分のすきなシチュエーションだなあと思ったので、結局全くちがうお話になってしまいました。一年のころの片思いギイ視点で、ひどく残酷でとほうもなく幸せな状況という、わたしはそんなシチュエーションがすきみたいです(笑。
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