恋は桃色
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   魔法3






 その日の夕方、ぼくは寮の部屋で、ひとり机に向かっていた。
 机の上には、英語のノートをひらいてあるのだけれど、英文を少し書いただけで手はとまってしまっている。
 頬杖をついてしばらくぼんやりとしていると、やがて部屋の扉が開いた。
「託生?」
「あ……。ギイ、おかえり」
「何だ、予習?」
「うん」 
「そっか……なあ、腹減らないか?」
 ぼくは机の上にある時計を覗き込んだ。食堂は、もう開いている時間だった。
「ん……もうちょっと待ってくれるかい? 予習を先に済ませたいんだ。あと、10分くらいで終わると思うんだけど」
「それ位なら待ってる。さっさと終わらせろよ」
「うん」
 ギイは手に持っていた本やなにかを自分の机の上におくと、椅子をひいて座った。そのまま本を開くと、読書をはじめる。ぼくはノートの英文の続きを書き始めた。
 しばらくして、向かい合わせの背中から、ギイがぼくに話しかけてきた。
「何か、あったか?」
「ん?」
 ぼくは何気ない調子で返事をして、やっぱりばれてしまったか、とこっそり息をついた。
 自然にしていたつもりだけれど、でもきっとギイには、ぼくの様子がおかしいことなんて、お見通しだったのだろう。
「託生」
 ふたたびの呼び声に振り返ると、ギイは真面目な顔でぼくをじっと見詰めていた。
 ぼくは少しためらって、首をふった。
「たいしたことじゃ、ないんだ」
 ギイがぼくのことを心配してくれているのはわかっているのだけれど、本当に、あまりにつまらないことだし、ギイが聞いても困るようなことだから。だからぼくも、真面目な表情でギイにこたえる。
「ごめんね、ギイ。でも、本っ当に、たいしたことじゃないんだよ」
「そうか」
「うん。心配してくれて、ありがとう」




 今日の午後は、図書当番だった。
 一緒に入っていた当番が一年生だったので、ぼくがしっかりしていなければ、と気をはっていたら、却ってミスを連発してしまった。利用者に渡すようにと司書の先生に頼まれていたイベントのチラシを渡し忘れそうになったり、スタンプを押し忘れそうになったりと、ちいさなミスばかりだったけれど、だからこそ、初めての当番でもないのに、と思わずにはいられなかった。そして、その度に一年生の後輩にフォローをしてもらって、自分でも情けなく思いながら作業を続けていた。
 そんな午後だったので、人が途切れて一休みしている時に、ぼくは当番の一年生に話しかけた。
「ごめんね、いろいろ迷惑かけちゃって」
「いえ、ぜんぜん平気ですよ」
 首をふるふるとふって、彼はにっこり微笑んだ。
「俺も二度目なので、大体要領はわかってますし」
「そうなんだ。一年生なのに、もう二度目の当番だなんて、めずらしいね」
「はい、今日は友達の代理なんです」
 はきはきと返事をしながらも、彼の手は休まずチラシを折りつづけているのに気づいて、ぼくもあわててチラシに手を伸ばした。くすり、と笑われて、また情けない思いをしながらチラシを折っていると、ふとまた彼が口をひらく。
「でも、今日は当番に入ってよかったです」
「そ、そうなのかい」
「というか、葉山先輩って、案外普通の人なんですね」
「え?」
 ぼくは彼の言葉の意味がわからずに、目をぱちぱちさせてしまった。
「だって、葉山先輩って、崎先輩と仲いいんですよね」
「う、うん、まあ、そうかな、同室だし……」
「崎先輩ってすっごく目立つし、いろいろウワサも聞くんですよ。そんな崎先輩といつも一緒にいらっしゃるから、葉山先輩もすっごい人なのかなー、って思ってたんです」
 にこやかにそんなふうに言われてしまい、ぼくは返す言葉がみつからずに黙りこんだ。
 ギイにくらべて、ぼくはあまりに普通だ、って。
 それってつまり、ぼくみたいな普通の人間は、ギイには不釣合いだってこと?
 そんなこと、当人が一番わかっているけれど。
 けれど、やっぱり、人の口からきくと、改めてその事実をつきつけられるようで、胸にちくりと痛みをおぼえてしまった。




 なんとか予習を済ませて、ギイと連れだって寮を出ると、向こうからばらばらと寮に戻る集団がやってきた。
 下級生の集団の中には、昼間図書当番で出会った彼がいて、こちらに気づくとぺこり、と頭をさげた。
「こんばんは、葉山先輩」
「あ、……こ、こんばんは」
 まごついてしまったぼくを見てくすりと笑い、彼は寮の方へと戻っていった。
 彼の笑いに、ぼくの胸はまたすこし、痛みをおぼえた。
 やっぱり、ぼくがギイと並んで歩くのは、不釣り合いなおかしいことだと、思われているのだろうか。
 なんとなく立ち止まって、彼を見送っていたぼくに、ギイは少し首をかしげて質問した。
「知り合いなのか?」
「う、うん、図書当番で、一緒だったんだよ」
 ふうん、と興味がなさそうに呟いて、ギイはまた歩き出した。
 更に質問されたら、午後の出来事について、またつっこまれてしまうかもしれないと思っていたので、ぼくはほっと安心して、ギイの後に続いた。
 そうしてしばらく食堂への道を無言で歩いていたギイが、ふと口をひらいた。
「浮気すんなよ」
「え?」
 ぼくは思わず、前を歩くギイを見上げた。
「……ええぇ? なに、なんで?」
 意味がわからなくて、ついまた立ち止まってしまう。
 浮気? ぼくが、なんで、突然に?
 流れがさっぱりわからないのだけれど、それでもぼくを振り返ったギイは、ちょっと怒ったような顔をしていた。
「今の一年の、お気に入りの先輩、なんだろ、お前」
「ええ? や、そんなこと、ないと思うけど。へまばっかりしちゃったし、あきれてたし」
「図書当番で一緒だっただけにしちゃ、随分親しげだったじゃんか」
「ちが、あれは……笑われたんだよ、たぶん」
 ギイとぼくの、ちぐはぐさを。
 そう思い返して、それはそうなのだろうけれど、ぼくはつい笑ってしまった。
 だって、そう説明するぼくを見ているギイが、あんまりにも拗ねた顔をしていたから。
「ギイ、それって、嫉妬?」
「悪いか」
「悪くはないよ。ものすっごく、見当違いだな、とは思うけど」
「見当違いなもんか……こら、笑うな」
「だって、ふふ。ほら、早く行こうよ、おなかすいたよ」
「託生」
 ぼくは笑いながら、先にたって歩みを再開させた。
 ギイはため息をついて、ぼくの後から歩きながら、まだ念を押してくる。
「浮気、するんじゃないぞ」
「しないよ」
 どうにも的をはずれたままのギイの言葉に、ぼくは振り返って、笑いながらこたえた。
 ギイの言葉に、表情に。ぼくの気分も、身体まで、まるで宙に浮いてしまいそうになる。
 まるで、魔法の言葉、みたいだ。
 ちいさな言葉ひとつ、拗ねた目線ひとつで、ギイはいとも簡単に、沈んでいたぼくの心を舞い上がらせてしまうのだ。






and, I still hangs to magic...





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