恋は桃色
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   魔法2






「じゃあ、こっちは」
「えっと……現在完了、……? ……で、……進行形にするんだ……よね?」
「………………違うだろ! 一体今まで何を聞いてたんだ!」
 静かな夜の中に、矢継ぎ早にくりだされる質問と、ハテナのたくさんついた解答が交互にこだまし、時々叫び声や涙声、のようなものが、聞こえてくる。
 やがてそれらが収まり、白い紙の上をシャープペンがさらさらと走る――とはとっても言えない速度で、動く音だけがしはじめる。
 数分後、ぼくの回答を採点し、ギイは片方の眉をあげてとんとんとペンで机をノックした。
「七割、ってとこだな。ま、最初のひどさを考えたら、とりあえずはこんなもんか」
「…………………………………………」
 無言でぐったりと机に突っ伏しているぼくに、ギイは単語帳を放ってよこした。
「じゃ、単語は自分で復習しとけよ。明日、テストするからな」
「……はい、先生」
 ぼくは反論も口答えも出来ずに、机に倒れたまま、なんとか首を動かして頷いて見せた。
 明日は、日曜日。その次の月曜日は、中間考査の初日で、ぼくの一番苦手な英語のグラマーの試験があるのだ。
 疲れ果てているぼくを気にも留めずに、ギイは元気にぼくの背中を引っ張った。
「ほら、まだ寝るのは早いぞ。明日は朝イチで単語テスト、で、その後……あ、ダメだ」
 ダメ、の一言に、ギイには悪いけれど、ちょっとほっとしてしまった。
 そんなぼくの内心には気付かない様子で、ギイはすまなそうに言葉をつづける。
「悪い、託生。オレ、明日の昼間は出なきゃならないんだ」
「え」
 予想外の言葉に、ぼくは顔を上げた。
「出掛けるのかい?どこに?」
「ちょっと仕事で、な」
 かるく肩をすくめて、あっさりとそう言うギイに、ぼくは言葉を失った。
「試験前なのに」
「仕方ないさ。ごめんな、試験直前なのに見てやれなくて」
「や、そんな、ぼくのことなんかいいけど、……そうじゃ、なくって」
 もやもやとわだかまる複雑な気持ちを説明しようとしながら、ぼくは意味のない言葉を口にのせた。
「えっと、ただ……、その、ギイが明日出掛けることを知ってたら、ぼくなんかのために、こんなに時間とらせなかったのに、って。ぼくの面倒見てばっかりで、ギイの勉強する時間がなくなっちゃったわけだし……」
 言葉を考え考え、やっとそう言ったぼくに、ギイはふわりと微笑んだ。
「大丈夫だって。オレがそうしたかったから、してたんだから」
「でも」
「託生が心配することはないさ。というか、高校二年にもなって現在完了の基本すら理解してない託生くんをほったらかして、自分だけ勉強するなんて、オレにはとてもじゃないが堪えられそうもなかったですし?」
「うっ」
 痛いところをつかれて、ぼくはうなった。英語は特に苦手なのだ――苦手な教科は、他にもいっぱいあるのだけれど。
「明日はオレが居ない間に、初日のグラマーの総復習、しておけよ。帰ったら、テストするからな」
「えぇ~」
 やっぱり、するんだ……。
 ぼくのあからさまながっかりぶりに、ギイはにやりと意地悪く笑う。
「随分うれしそうだな、託生くん」
「い、いや、ほらあの、そ、そこまでしてもらっちゃ、申し訳ないし……ほら、ギイだって、流石に前日は勉強するだろ?」
「まあまあ、細かいことは気にするなって」
 そう言って笑うギイに、ぼくは返す言葉もなく、無言で机の上に突っ伏した。




 ふらふらしながら、やっとのことで食堂に辿り着き、本日のランチであるオムライスをプレートにのせ、またふらふらと空席を捜す。
 うつろな目でそこそこに混んだ食堂内を見渡していると、手を振ってこちらに合図を送っている人がいることに、うすぼんやりと気が付いた。
「赤池くんだ」
「こっち来いよ、葉山」
 呼ばれるままにふらふらと章三の隣りに座ると、ぼくは食事に手を付ける前にまず、大きくため息をついた。
「随分疲れてるな」
「まあね。頭、よくないから。人一倍勉強しないとなんだ」
「ま、この時期に勉強疲れしてない方が、問題あるけどな」
 そう一人頷いて、オムライスを口に運びつつ、章三は話題を変えた。
「そういえば、ギイは?」
「仕事だって、出かけていったよ」
「またか。あいつも大変だな」
「試験前なのにね。でも、また、って、去年もこういうこと、あったのかい?」
「ああ、試験前だろうがなんだろうが、平気で出かけてたぜ」
 ふうん、と頷いて、ぼくは首を傾げた。
「でもギイって、成績は悪く無かったよね?」
「少なくとも、いつも席次は前から数えた方が早い程度には悪くなかったな」
 それは、……すごい。やや苦々しい表情の章三に、ぼくは今まであまり感じたことのなかった親近感を覚えてしまった。
 でも、と、言うことは。ギイは、常にぼくよりは相当いい点をとっていた、ということになる。
 ここしばらくのギイの様子を思い出して、ぼくはまたそのことが気になってきた。
「ぼく、ギイに勉強見てもらってたんだ」
「へえ、そりゃよかったじゃないか」
「うん」
 ギイはぼくが英語が苦手だと知って、ずっと家庭教師をしてくれていたのだ。時には、他の教科も教えてもらった。かなりのスパルタだったけれど、怖い教師だったけれど、ギイはいい先生だった、と思う。授業中にわからなかったところも、ギイが簡単にわかりやすく教えてくれたので、ぼくは随分たすかったのだ。だけど、つまりそれって、ぼくに構っている間、ギイは自分の勉強をする時間をとれなかった、ということに他ならない。
 章三は簡単によかっただなんて言うけれど、でも。
「でも、ギイは自分の勉強、全然出来なかったんじゃないかな。なのに明日、出掛けるなんて……」
「あいつは元々、試験勉強なんてしないさ」
「え?」
 ぼくは思わず章三の顔を見返した。
「ギイは、試験前だからって特別な勉強はしないんだ。大抵前日にざっとノートを見直して、終わり。英語なんか、リーディングは勿論グラマーだってノートすら見もしないよ。それでも英語の科目は常にほぼ満点だし、他の教科だって平均点を割ることなんか、絶対にない。だから、ギイが本気で勉強したら、祠堂で一番出来るんじゃないか、って言われてる」
「そうなんだ……」
 つまり、あれだけの、少なくともぼくなんかよりは全然いい成績をおさめながら、ギイはいつも全力を出してはいない、ということなんだろう。
 ギイはただ者ではないと思っていたけれど、まさかそこまで、とは。
 思わず黙り込んで、食事の手もとめてしまったぼくに、章三は言葉を続けた。
「ギイのノート、見たことあるか」
「うん。毎回、ぼくの半分以下しかとってないんだよ」
「あいつの記憶力、並じゃないからな。ノートなんて本当は大して必要じゃないから、ほとんどメモに過ぎないような簡単なノートしかつくらないんだ」
「……すごいんだね、ギイって」
 ますます呆然としてしまったぼくは、やっとそれだけ言って、ふと昨日の夜にかわしたギイとの会話を思い出し、思わずうめいてしまった。
「……あー」
「どうした?」
「だとしたら、ぼくなんかがギイの勉強の心配をするのは、おこがましかったのかな、って」
 章三はぼくの言葉をちょっと考えて、それから微笑んだ。
「それはまた別だろ。ギイが葉山のことが心配なように、葉山がギイのことを心配するのは当たり前のことだと思うし、あいつだって喜ぶと思うぞ」
「そうですか?」
「そうでしょう」
 章三は笑って、お茶を手にしてぼくの顔を覗きこむようにした。
「ま、そんなわけだからとにかく、葉山が気に病むことは何もないさ。あいつは葉山の面倒を見たくて仕方ないんだろうし、勉強をみてやるくらい、持久走で運動部員に勝つことに比べれば、簡単だろうし?」
 章三は少し目をすがめて、そう皮肉った。ぼくはそれにはあえて言い返さずに、素直に頷いて、章三に向き直った。
「ん、そうなのかもね。ところでさ、赤池くん」
「何だ?」
「過去完了形、っていうのは、普通の過去形とは違うもの、なんだよね?」
 章三はしばらく絶句して、やがて手にしたままだったお茶をテーブルに載せると、大きくため息をついた。
「これじゃ、ギイが心配するわけだ……」




「……なんで。どうしてなんだよ」
「なんでもどうしてもないだろう」
「だって、なんでなんだよ!」
 試験週間明けの、305号室。
 ぼくは机の上に、既に返却された二人分の答案をかさねて、ギイにからんでいた。
「英語はしょうがないよ、そりゃ」
「そうか?」
「うん、ぼくは元々苦手科目だし、ギイはアメリカ人なんだし」
「ああ、そうかもな」
「でも、……これ……化学も、生物も、古文も、世界史も……」
 ぼくは一枚ずつ回答をめくってみて、虚しくなってはたりと用紙を手から落とした。
 ぼくがギイに勝っている教科は、ひとつもない。
「勉強時間に、得点が反比例してる」
「上手いこと言うなあ、託生くん」
 苦笑するギイに、ぼくはからむのをやめてきちんと向き直った。
「でも、ありがとう」
「ん?」
「ぼくだって、グラマーとリーディングは、過去最高点だったんだよ」
 一瞬の間をおいて、そっか、とギイは微笑んだ。
「なら、時間掛けた甲斐があったじゃんか」
「うん。全部、ギイのお蔭だよ」
「託生が頑張ったからさ」
「でも、一人だったら、あんなに効率よく勉強出来たとは思えないし」
 それに、試験のことだけじゃない。
 スポーツテストで勝算の低い勝負を受けてくれたことも、そして勝ってくれたことも。
 みんな、ギイがぼくにくれたものだから。
「だから、ありがとう、ギイ」
 心から、そう思うよ。





and, I still hangs to magic...





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