恋は桃色
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「街に降りよう、託生」
 ギイの誘いに、シャンプーの予備を買っておきたかったことを思い出して、ぼくは一も二もなく頷いた。






   魔法 1






 バスがターミナルに滑り込むと、他の乗客――例によって、その半分以上は祠堂の生徒達だ――が降りきるのを待って、ぼくたちは街に降り立った。
 二年生になって、まだ二度目の日曜日。ギイと同室になって、初めての『下山』、だ。
 互いにそんなに用事がたてこんでいるわけでもないので、何となくそのままに、大通りをぶらぶらと歩き出す。
「いい天気だね」
「だな」
 さわやかに晴れた春の午後に、街をそぞろ歩くのはとっても気持ちがいい。
 その春の中を、ギイと歩いているのだ、と思うと、ぼくは少しどきどきした。
 何しろ、利久ではない相手と、こんなふうにこの街を歩くのは初めてなのだ。
 しかも、その相手というのが、あのギイなのだから、緊張しないはずがない。
 あの音楽堂での夜から、まだ十日ちょっと。ギイと歩くということは、ぼくにとって、まだまだ慣れない習慣だ。
 他愛ない会話をかわしながら、ぼくはちらりとギイの様子をぬすみ見た。
 春でもジャケットが手放せないぼくとは違って、ギイは身軽だ。ジーンズに、上は黒いすっきりとしたシャツ一枚だけ。そんな何でもない服を着ていても、ギイは充分以上に、恰好いい。さっきから、すれ違う人が皆、判を捺したように、必ずギイに視線を奪われているらしいのは、ぼくの気のせいではない、はずだ。
 こっそり観察していると、老若男女の別なく、皆が皆、ギイに気づくと、つい目を奪われてしまうらしかった。ちらりと一瞥するだけの人もいれば、中にはぐるりと首をめぐらせて、後ろ姿のギイを長く見つめている人もいる。同年代の女の子たちは、興奮した様子で友達と頷き合っていたりして、まるで芸能人でも目撃したかのようだ。この周辺の高校生で、ギイのことを知らない者はモグリである、というウワサがあるそうなのだけれど、ぼくはギイの知名度と人気を、改めて実感として理解してしまった。
 とは言え、ぼくだって、女の子たちがああいう反応をしてしまう気持ちは、よくわかるのだ。
 隣りを歩くギイを改めて見やると、ギイ自身は周りの目など気にならないかのように、舗道沿いのとねりこを眺めながら歩いている。そうしてふと、光を受けるとねりこの緑に目を細めたギイは、やっぱりとても綺麗で――ほら、ぼくだって、ついついみとれてしまうのだ。
 なんだかひとりで恥ずかしくなって、ぼくは目を逸らして横の店をのぞいてみた。丁度そこは雑貨屋で、カラフルな店内の様子につい見とれていると、ぼくの横からのぞきこんできたギイが、ふと思い出したように言った。
「オレ、ノートが欲しかったんだよな。寄っていっていいか?」
「それはいいけど、ねえ、ギイ」
「なんだ?」
「ギイって、すごいよね」
「はあ?」
 わけがわからない、という表情で肩をすくめると、ギイはぼくを店内に促した。




 手帳がわりの小さめのノートを捜している、というギイのために、ぼくもノートや手帳が並んだ棚を覗いてみた。
「どんなノートがいいんだい?」
「サイズはこれくらいがいいな」
 ギイは、平積みになっているやや小ぶりの変型ノートを手にとった。
 黄色地に赤や青のラインの入った、リングノートだ。
 ちょっと派手だな、と思っていると、ギイはすぐにノートを元の場所に戻してしまった。
「けど、もっとこう、落ち着いた感じのがいいな」
 うんうん、と頷きながら、ぼくはグレーのノートを一冊手にとって、開いてみた。中も薄いグレーで、青い線が入ってきれいだ。
「こういう色は?」
「色はいいけど、ちょっとでかいかな。あと、出来れば罫じゃないのがいい」
「けい、って?」
「罫線……ページにラインが引いてある、のじゃないのがいいんだ」
「ってことは、つまり、」
「出来れば無地か、方眼とかだとありがたい」
「……それって、難しそうな条件だね」
 ぼくは手当たり次第に、同じくらいのサイズのノートを手にとって、中をひらいて確かめてみた。
「あ、これ」
 棚を見ながら少し離れた場所に移動していたギイは、ぼくの声に振り返った。
「中は、方眼になってるんだけど……」
 開いたページをギイにしめしてから、閉じて表紙を見せる。
「派手だな」
「だよね」
 ぼくが手にしたノートは、表紙は一応無地ではあるものの、色はド派手なピンクなのだ。棚を見ると、同じシリーズの色違いもあるようだけれど、原色の赤や青やオレンジやと、けばけばしい色のものばかりだった。
 ギイはぼくの横に立って、ぼくの手の中のノートを覗き込み、あっさりとそう言った。
「ま、いいか」
「えっ」
 ぼくは思わず顔をあげて、まじまじとギイの顔を見てしまった。
「罫線がないし、ノートのデザイン自体はシンプルだし」
「い、いいのかい、これで」
「ああ」
 ぼくは半ば呆然として、手にしたノートをもう一度見つめた。
 本当に、いいんだろうか、これで。
 そもそも、ぼくはピンクという色はあまり好きじゃない。なんとなく、女の子の使う色、というような偏見があって、かわいいイメージがぬぐえない。それもあって、他の色と合わせづらい、気がするのだ。
 しかも、この色って。ピンクはピンクでも、このオペラピンクは、まるで――
 ……まるで、あの有名なクマのキャラクターみたいじゃないか。
 ぼくの逡巡に気づかずに、ギイはぼくの持っているノートをひょいと手に取った。
「捜してくれて、サンキュな」
 そう言って笑うギイに視線をやると、……あれ?
 ぼくはギイの手に渡ったノートとギイとを見比べて、何度か瞬いた。
 ギイが手にしていると、クマのようなピンクも、そう派手に見えないというか、しっくりくる、気がする。
 悪くない。
 というか、むしろ恰好いい、かもしれない。
 そう思えてしまうのは、持ち主がギイだからなのだろうか。
 キャッシャーへと向かうギイの後ろ姿に、ぼくは大きなため息を送った。




 春の午後の陽はおだやかで、やわらかい光がきらきらと降り注ぐ。とねりこのまだ若い芽にも、とりどりのかわいい石畳にも、ごくありきたりなぼくの上にも。何もかもがきらきらとしているのに、脇を行過ぎる人々が、みんなギイに振り返る。
 とねりこの緑があんなふうにきらきらしているのは、その前をギイが通り過ぎていくから、なのかもしれない。
 石畳のばらばらな色合いがそれでもおさまりよく見えるのは、その上をギイと歩いているから、なのかもしれない。
 きらきらきらきら、春の光はあたたかく、木々に、石畳に、そしてぼくにも降り注ぐ。





and, I still hangs to magic...





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