恋は桃色
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- w a n d e r l a n d -

(プレビュー版)






その日は目を覚ました瞬間から、いつもとは何かが違うような気がした。
目をゆっくり開けてみると、見慣れない天井が目に入る。
ここはどこだろう?
「目が覚めた?」
これは、誰の声?
ぼくは枕の上で首をめぐらせて、声の主を確かめた。
ベッドの脇には、ぼくを心配そうに見守っている、……あれ?
「えっと、誰だっけ?」









「記憶喪失、ですか」
「そうとしか考えられないね」
中山先生と、ぼくのルームメイトだそうなその同級生は、そう言い合って互いに目配せした。中山先生はぼくの方を振り返って、今度はぼくに質問する。
「葉山くん、体調はどうだい?」
「は、はい。なんともないです」
「君は温室で倒れて居たらしいんだけれど、何かそのことで覚えているかい?」
「温室、ですか? 全然、覚えてない、…です。」
温室……? ぼくはなぜ、そんな場所に居たんだろう?
「君を見つけてくれたっていう下級生にも、詳しく話を聴いた方がいいな。それから、念のため精密検査を受けた方がいいだろうね。三洲、同室者の君には色々お願いすることになるだろうから、病院から一度連絡するよ。生徒会の仕事も忙しいだろうけど、よろしく頼むよ」
「はい、任せてください。同室者として、出来る限りのことはします」
三洲くん、という名のその同級生は、にっこり笑うと一礼した。









病院に着いたのが遅い時間だったこともあり、ぼくは様子見を兼ねて一晩病院に泊まることになった。検査では特に異常がみつからず、入院しているよりも普段どおりの生活を続けた方が記憶が戻るかもしれないということで、翌日の朝、ぼくは祠堂に帰れることになった。
中山先生や担任らしい大橋先生との会話の結果、どうやらぼくは今では三年生になっていること、記憶は一年生の頃に戻ってしまっているらしい…などのことがわかった。
祠堂に戻り、職員宿舎で先生方としばらく話した後、中山先生の連絡を受けた同室者の三洲くんが迎えにきてくれた。部屋は270号室になっているそうだ。三洲くんはぼくを気遣いつつ、部屋へと案内してくれた。
「丁度明日は日曜だし、ゆっくりするといいよ」
三洲くんのことは今まで名前くらいしか知らなかったけれど、にっこりと笑ってそう言ってくれるので、ぼくは少し安心した。
ぼくが三年生になるまでに、どんなことがあったのかはわからない。でも、そう大きな変化はなかったのだろうと、なんとなく思う。だってぼくは——つまり、一年生の当時ぼくは、何の期待もしていなかったのだから。
でも、四月からそんなぼくの同室者を続けているはずのこの三洲くんという人は、どんな人なのだろう。
ぼくは三洲くんとも、利久とのような関係をつくれたのだろうか。
部屋へ戻ると、ぼくは三洲くんにまっさきにこう言った。
「迷惑かけて、ごめんね」
「気にするなよ、不可抗力だろ、記憶喪失なんて。それに、葉山が一番大変なんだし。俺にできることがあれば、何でもするから」
三洲くんはにっこり笑ってそう言うと、準備してあったらしい紅茶を淹れてくれた。
どうやら三洲くんは、すごく親切な人みたいだ。記憶がないのは不安だけれど、同室者が利久じゃないというのも不安だけれど、ぼくは三洲くんを信頼して頼ってもいいのだと、なんとなくそう思えた。
ぼく達は紅茶を飲みながら、のんびりと話をした。
「で、葉山は今、一年生なんだって?」
「うん、そう。一年の、秋までしか覚えてない」
「一年生、ね」
その言葉で三洲くんの目がキラリと光ったような気がしたけれど、気のせいかもしれない。
「困ったなあ、もう三年だなんて。授業について行けないよ、きっと」
「そういうレベルの問題じゃないと思うけど……まあ心配しなくても、そのうち記憶も戻るかもしれないし」
「うん……でも、記憶って、どうしたら戻るんだろう?」
「記憶喪失の原因がわかれば、何か記憶を取り戻すきっかけがわかるかもしれないな」
記憶喪失の原因、か。ぼくは何も思い当たらないけれど。
あ、でも、
「そういえば、病院で聴いたんだけど、なるべく、これまでと同じ生活をつづけた方がいいって。クラスメートや先生の顔を見ているうちに、思い出すかもしれないからって」
「なるほどね、じゃ、こうして部屋に篭っているより、知っている奴に会った方がいいのか」
「うん……」
でも果たして、ぼくにわかるだろうか。
もともと人の顔や名前を覚えるのは、あまり得意な方ではない。
今の――一年生の時のクラスメートだって、全員覚えている自信は全然ないのに。
そんなぼくの心配を知ってか知らずか、三洲くんは時計を確認し、ぼくを振り返った。
「そろそろ夕食の時間だし、食堂に行ってみる? 葉山の知り合いも、居ると思うし」
正直人の多いところへ行くのはあまり気がすすまないけれど、おなかも空いてきた。
「うん、行く」
ぼくは三洲くんと連れ立って、通りがかる人たちに次々に声を掛けられながら、食堂へ向かった。
「葉山、元気出せよー?」
「お大事にな、葉山!」
「あ、ありがと」
ぎこちなく笑い返しているぼくに、三洲くんは歩みをとめて振り返った。
「葉山? 大丈夫?」
「う、うん」
なんだか、ぼくなんかに声を掛けてくれる人がこんなにいるというのが、うまく信じられない。
この二年間、ぼくは一体どんなふうに過ごしていたんだろう?
食堂に行くと、三洲くんはざっと見回して、ぼくの知っていそうな人を捜してくれた。
「ああ、丁度階段長が二人いる。わかる? あの柱の手前」
「あれ、吉沢くん? もしかして吉沢くん、階段長なのかい?」
「そう、四階長。それに、その横が一階長の矢倉、向かいに3B級長八津、3C級長蓑巌」
「他の人は、わからないや」
「あの辺は一年の時は葉山とは違うクラスだったからな。どうする、行ってみる? それとも、またにする?」
どうしよう……?
「よ、葉山」
三洲くんの言葉に迷っていると、後ろから声を掛けられた。
……え?
「……赤池、くん」
振り返ると、そこには赤池くんがいた。
「僕のことは覚えているんだな」
赤池くんは少しくすぐったそうに笑って、そう言った。
赤池章三、ぼくの(一年の時の)クラスの風紀委員で、——ギイの、相棒。
ぼくはこの二年間に、この人とも親しくなっていたのだろうか。
驚きさめやらぬぼくのうしろから、三洲くんが声をかける。
「赤池、丁度いいところに来たな。赤池なら適任だ、同席しないか?」
「ああ、勿論。行くぞ、葉山」
三洲くんの誘いにかるく頷いて、赤池くんはぼくを配膳の列にうながした。









「そうか、一年秋までの記憶はあるんだ」
赤池くん、は、春巻を食べながら感心したようにそう言って、繰り返し頷いた。
ぼくはふたりの話をききながら、黙々と食事をするふりをしている。
三洲くんとは一年生の時には全然面識がなかったからまだよかったけれど、赤池くんのことはなまじ面識だけはあるので、なんだか返って居心地がわるい。ぼくは特に彼と親しかった記憶がないのに、彼はぼくに親しげに接してくれるのが、なんだか、ちょっと……
「なんだよ、葉山」
「え?」
「落ち着かないって顔してる。僕が居て迷惑だったか?」
ぼくの動揺は、簡単に赤池くんに気づかれてしまったみたいだ。
「そ、そんなこと、ない、よ」
「去年から随分面倒を見てやってたのになあ、薄情者」
「え、そ、そうなんだ、ごめん」
「そうなんだよ。葉山は好き嫌いは多いし、古文も英語も体育も苦手だし、いつもぼーっとしてるし、まったく手がかかるったらないんだよな」
「う……」
な、なんだか……あの赤池くんに、こんなにぼくの素性(?)がバレているなんて。気はずかしいやらびっくりするやらで、返す言葉もございません。
「赤池、それ以上いじめるな。葉山がおびえているぞ」
「いじめてないぞ。な、葉山?」
三洲くんの言葉にむっとして、赤池くんはぼくに同意を求めるのだけれど、うまく返事ができなかった。赤池くんと急に打ち解けろっていうのは、ぼくにはかなりむずかしいことなのだ。返答に困っていると、また三洲くんがからかうように言った。
「ほら赤池、葉山が怖いって」
「怖い? 僕が?」
赤池くんは不服そうに言った。
「ちが、怖いとか、そういうんじゃないんだ。ただ、その……」
ぼくはあわててフォローしようとしたけれど、うまい言葉がみつからない。
「その、ちょっと、慣れない……だけだよ」
つたないぼくの言葉を黙って待っていてくれた赤池くんは、やさしく笑って頷いてくれた。
「わかってるよ、葉山」
それで、にぶいぼくにもやっとわかった。
赤池くんは、一年の時のぼくの「人間嫌い」ぶりを忘れてなんかいない。
それでもたぶん、今の——三年生のぼくへと同じように、接してくれてるんだ。
さっきからずっとぼくをからかっているけれど、きっとやさしい人なのだ、赤池くんは。
食事を終えると、三洲くんは彼を捜しにきた生徒会役員に、どうしても今日中に済ませなければならない仕事があるからと呼ばれ、生徒会室へ向かっていった。赤池くんとぼくは三洲くんを見送って、お茶を飲みながら話をしている。
「三洲も忙しい奴だな」
「うん……、ぼくのせいで仕事の邪魔しちゃったのかな」
「記憶喪失は葉山のせいじゃないだろ、仕方ないさ」
赤池くんはそうぼくをなぐさめ、にっこり微笑んだ。
「葉山、ひとりじゃ不安だろ? 三洲が戻るまでつきあってやるよ。これからどうする? 人に会いたいんだったら、談話室にでも行ってみるか? それとも、部屋に戻るか?」
「うーん……赤池くんは、どうしたらいいと思う?」
ぼくがそう聴くと、赤池くんはちょっといじわるっぽくニヤリと笑った。
「葉山は、記憶を取り戻したいんだよな?」
「それは、勿論」
「だったら、葉山はあいつに会いに行かなきゃ、だろ。三洲が言わなかったのは、わざとだな。あいつら、相性悪いからなあ」
赤池くんはなにやらそうつぶやいて、ぼくは首をかしげた。
「あいつ、って、誰?」
「葉山は誰だと思う?」
「ってことは、ぼくが一年の時から知っている人?」
と言っても、たとえクラスメートであっても、ちゃんと覚えている自信はないのだけど。
「あ、利久のこと?」
「片倉じゃない」
会ってからのお楽しみ、なんて言い置いて、赤池くんはぼくを270号まで送ると、ひとりで出て行ってしまった。
ぼくが会うべき人とは、一体誰なんだろう?









手持ち無沙汰になってしまったぼくは、机の上の自分の持ち物を検分していた。買った覚えのないものばかりだけど、欲しかったものも見付かった。赤い箔押しの音符でふちどられたジャケットの、井上佐智のバイオリンソナタ集。
早速それをかけながら、本や教科書などをみていると、放送がかかった。
『270号の葉山くん、電話です』
ぼくに、電話? 誰だろう、母さんだろうか。
母さんとは、先生方からの連絡のついでに少し話をさせてもらったのだけれど、やっぱりうまく話せない上に、この二年間の間に微妙に関係に変化もあったのか、いつも以上に話しづらかった。
なので、今は正直あんまり話したくないし、赤池くんにもここで待っているようにと言われている。
どうしようか…申し訳ないけど、無視してしまおうか。









電話はそれきりだったようで、五分以上たっても二度目の呼び出しはかからなかった。
外ではいつの間にか雨が降り始めたようだった。窓の外の青い闇を眺め、三洲くんどうやって戻るんだろう、傘でも持っていってあげようか、などと考えていると、ドアにノックがあった。
「赤池くん」
「準備が出来た。行くぞ、葉山」
少しいたずらっぽい笑みに、若干不安になりつつも、ぼくは赤池くんについて廊下に出た。
「どこに行くの?」
「だから、行ってからのお楽しみ」
階段を登り、一番端の部屋……って、ここ階段長の部屋じゃないか。三階長って、誰なんだろう?
ドアにかけられたプレートには、外出中の三文字。
「誰の部屋だか知らないけど、不在じゃないのかい?」
赤池くんはそれには答えないで、ノックもなしに扉をあけた。
「ギイ、連れてきたぞ」
——え?
ギイ、って、まさか。
赤池くんの開けた扉の先には、ギイ、こと崎義一が立っていた。
ギイ、随分背が伸びて、髪が短くなって、すごく大人っぽくて、一年の時より、なんだか……
ぼくが動けずにいると、ギイは済まなそうな顔で口をひらいた。
「託生、ずっと行けなくて悪かったな。体調はもういいのか?」
——は。
託生って、ぼくのこと?
や、他にいないんだけど。
「じゃ、そういうことで」
言葉も出せずにいると、赤池くんはにやにや笑いながら、ぼくをゼロ番の中へ押し込んで、さっさと廊下へ出ていこうとした。
って、冗談じゃないぞ。一体なんなんだ、この状況!
「ま、待って、赤池くん!」
「なんだよ、葉山。僕はもう十分に働いたと思うぞ」
「だって、どうして! 何がどうなってるんだい? なんで、崎くんがぼくに……」
ぼくの悲痛な訴えをきれいに無視して、赤池くんは「じゃあな、葉山」と言い残して出て行ってしまった。
どうしよう。ぼくが狼狽していると、崎くんはため息をついた。
「たーくーみ、お前はなんでそうやってすぐオレ以外の人間を頼るんだ。島岡や章三がそんなにいいか? オレは淋しいぞ」
「さ、崎くん、何を」
「ギイって呼べよ」
混乱して後ずさるぼくはギイに詰め寄られ、とうとうドアとギイとにはさみうちにされてしまった。ぼくを囲むようにドアに手をついたギイは、やや憮然とした表情で言った。
「呼べよ。呼べば、わかる。オレがお前を愛しているかぎり、お前は絶対帰ってくるって言った。オレはお前を信じてる」
あ、愛? 誰が、何だって!?
一体なにが、どうなっているんだろう。この二年間に何があったんだろう。ギイが何を考えているのか、ぼくには想像もつかないけれど、それはたぶん、記憶がないせいだけではない気がする。
「崎、くん、君が、何を言っているのか、わからないんだけど」
「わからなくていい。はやく呼ばないと、キスするぞ」
な、なんですと。
「……ギイ」
そう呼べばいいだけなら、と観念し、ぼくはやっと、彼の名を呼んだ。
その瞬間、ギイはこの上なく幸せそうに微笑んで、ぼくの唇にくちづけた。
「わっ! よ、呼んだら、しないって」
「そんな約束はしていない」
どうやら——ギイは、いじわるだ。
非難がましく見あげると、ふふ、と笑って、またぼくにキスをする。
「ちょ、や、やめ……崎く……」
またキス。
ふれては離れ、また触れて、何度も確認するかのようにくちづけると、やがて強引なおとないがしのびこんできた。
ぼくは気が動転する寸前で、心臓は痛いくらいにはねまわっている。
力なく抵抗を試みても、あっさり手は捕らえられて背後のドアにぬいとめられ、ますます深く口づけられてしまう。
「ふ……、」
つい、甘い声が洩れる。
初めてのはずの彼のキスに、その感触も、感じてしまう衝動にも、嫌悪など全くなく——ちがう、だってギイはこんなに美男子だから——ちがう、そうじゃなく、ギイは——
「…………あ……」
ぼくは彼の背中に腕をまわし、ぎゅっと抱きしめた。
名残惜しそうに離れる唇に、やっと目をひらくと、なつかしい茶色の瞳がやさしい光をたたえてぼくを見つめていた。
「ギイ……二年、じゃなくて、二日ぶりだね」
「お帰り、託生」
ギイはそう言って、また情熱的なキスをくれた。









ベッドのヘッドボードにせもたれる格好で、ギイはぼくを抱いていた。時折やさしい手つきで髪をすいてくれるので、気持ちよさにうっとりしてしまう。
「ごめんな、託生。こんな時に、すぐに会いに行けなくて」
「ううん、ギイ。平気だったよ。三洲くん達が助けてくれたし。それに」
ぼくは首をまわして、ギイの顔をのぞきこんだ。
きちんと目を見て、言いたかったのだ。
「ギイは、ちゃんとぼくをたすけてくれてたから」
「え?」
不思議そうな顔のギイに、ぼくはくすりと笑って、さっき気付いたばかりのことを教えてあげた。
「だって、出なかったんだよ、嫌悪症。記憶は一年生の時のままなのに、身体は平気だった」
「……そうか」
「うん、ギイの、おかけだよ。記憶をなくしても、ぼくは何もなくさずに済んだんだよ」
「そうか、……託生」
ギイはうれしそうにぼくを呼ぶと、またやさしくキスをした。
他の何を忘れても、ギイがくれた愛はそこに残っていた。
このとんでもない経験の中で、ぼくにとって、それは一番の収穫だったのだ。






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