恋は桃色
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『機械仕掛けの愛の歌(仮)』前書をご覧下さい。

















 六限が休講になったので、ぼくは手持ち無沙汰にまかせて、今日の授業で出された宿題を片付けていた。それも終わってしまうと、することもなくなって、ぼんやりとしてしまう。せっかくの休講だけれど、今日は図書当番にあたっているので、帰れないのだ。このままここでぼんやりしていても仕方がないし、早めに図書室に行って本でも読もうかと思い、ぼくは席を立った。
 ふと人もまばらになった室内に目をやると、丁度教室に入ってきたギイと目があってしまった。ぼくににこ、と笑いかけたギイは、そのまま口をひらいた。
「託生、ヒマか?」
「え……と、この後、図書当番なんだけど」
「まだ時間あるんだろ? ちょっとこれ、手伝ってくれよ」
 どさりと印刷物の束を手近な机に下ろして、ギイは肩をかるく叩きながら、大きくため息をつく。
「あー重かった。松本も人づかい荒いよなー、ったく」
「……?」
 見れば、保健の授業で使うプリントらしい。なぜギイがこんなものを、と思うけれど、担任の松本先生は保健体育の担当なので、きっと個人的な頼みごとをされたのだろう……確かに、人づかいが荒いみたいだ。
「これ五枚セットにして、折ってくれってさ。託生も手伝ってくれよ」
「え……」
「っと、おーい、章三」
 ぼくの返事を待たずに、ギイは丁度どこかから教室に戻ってきたらしい赤池くんを呼び寄せた。
 赤池くんはプリントの山を見ると、眉間にしわを寄せてじろりとギイを睨んだ。
「これは……済んだらコーヒー奢りだな、ギイは」
「何でだよ。松本に奢ってもらえよ」
 言い合いをしながら二人はてきぱきと机を向かい合わせにして、即席の作業台をつくった。ぼくも有無を言わさずそこに座らされて、流れ作業に組み込まれてしまう。ぼく何でこんなことをしているんだろう、と、ふと気付いたときには、既に一クラス分の折り作業を終えていた。ギイと赤池くんは、先日行われたテストの話をしながら、結構なスピードで作業をこなしている。
「地理はなあ、問題もいやらしいと思ったけど、採点基準も厳しかったよなあ」
「玄田らしいって言えば、玄田らしいけどな」
「ははは、ギイは特に相性悪いから」
 そんなふうに話を続けながら、よく手がとまらないものだ、と半ば感心しながらプリントを重ねていると、不意にギイがこちらを向いた。
「託生は?」
「え?」
「地理、どうだった」
「や、ぼくはもともと勉強苦手だから……」
 突然ふられて、少しあせりながらそう答えると、ギイは微笑んだ。
「そうか? 託生は数学結構得意だろ」
 ギイのフォローに、また驚きながらぼくは少し首をかしげた。
 確かに、数字をあつかうことはデジタルなぼくの頭に向いていたようで、他の教科よりは順応できているのだけれど。
「得意ってほどじゃ……他よりはマシ、ってくらいで」
 ギイはどうして、ぼくのことをわかってくれるのだろう。それはギイが級長で誰にでも親切だからで、だからこんなぼくにも眼を配ってくれているのだ、と、そう思うのだけれど、でも、きっとそれだけではない。
 ギイがぼくに親切なのは、たぶん、ぼくが葉山託生だから、だ。
 ギイはぼくを託生、と親しみをこめて呼ぶのだけれど、それはぼくの名前ではない。
 ぼんやりとそんなことを考えながら紙の束に手を伸ばすと、ひとさし指に鋭い痛みが走った。
「……つっ!」
「託生?」
 傷が、と思えば途端にひどく焦って、ぼくは慌てて反対の手で指を包んだ。
 ギイが心配そうに覗き込みながら、ぼくの手に触れようとしたのを、無造作に避ける。
「切ったのか? 見せてみろよ」
「大丈夫」
 とにかく傷口や血を見られないようにしなければ、と、ぼくは必死で傷を抑えて首を振った。
「ただの切り傷だから、平気」
「でも紙で切った傷って、小さくても結構痛いだろ」
「……平気だから」
 頑なにそれだけを繰り返すぼくに、赤池くんが大きなため息をついた。
「大げさだよ、ギイ。葉山だって子どもじゃないんだから、平気って言うんならほっとけよ」
「おい章三、そんな言い方はないだろ」
「切り傷くらい、洗って絆創膏でもはっておけばいいんだよ。僕の持ってるの、出してやるから」
 立ち上がった赤池くんの方に振り返って、ギイの意識がぼくから逸れた隙に、ちらっと傷を確認する。ごく小さい傷で、血も殆ど出ていない――よかった。二人のやりとりをよそにぼくはこっそり立ち上がって、自分の席に戻り、鞄をとると肩に掛けた。
「おい、託生」
「そろそろ放課だから、行かなきゃ」
「待てよ、章三が絆創膏あるっていうからさ」
 背中にギイの呼びかけを受けながら、ぼくはそそくさと教室を後にした。
 ひとり廊下を歩きながら握りこんでいた手をひらくと、小さな指の傷の上には、金色の液体がぽつりとふくらんでいた。
 こんなところ、ギイにだけは絶対見られたくない――ぼくは何故だか、そう思っていた。












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