「LoveMeTender,ThruTheNight」
「託生、託生」
部屋に戻ってきたギイは、机に向かって予習中のぼくのとなりまでやって来ると、流暢なアメリカンでこう言った。
「trick or treat」
「なに?」
「トリックオアトリート、キャンディをくれなきゃいたずらしちゃうぞ」
「あ……そうか、今日はハロウィンなんだ」
「そ。託生、なんか甘いものくれよ」
今日は十月三十一日。つまり、ハロウィンの日。ただしハロウィンは、アメリカのお祭り日……ここは日本なんですけど、義一くん。
まあ、それは別にいいとして。
ギイはぼくの机に片手を預けて返事を待っているけれど、正直これには困ってしまった。何しろぼくもギイも甘いものはあまり得意ではないので、キャンディやお菓子のたぐいは常備していない。ぼくは机の中身を思い出しながら考えてみて、いいものを思い出した。
「そうだ、のど飴ならあるよ」
「のど飴か……」
「うん、龍角散のど飴」
「しかも龍角散か……あれ、甘くないからなあ。というか、墨汁みたいな味がするんだよな」
「ギイ、墨汁舐めたことあるの?」
驚いて反射的に聞き返すと、ギイはおもいっきり呆れたような顔でぼくを見た。
「あるわけないだろ。匂いが似てるんだ」
確かにそれはそうなのだろうけれど、ぼくは正直、ギイなら試してみかねないんじゃないだろうかと思ってしまったのだ。何しろギイは普通ではない。疑ってしまうのも、仕方がないことではないか。
ぼくがひとりで納得していると、ギイは満面の笑みをたたえぼくの顔をのぞきこんだ。
「それより、キャンディがないんなら、いたずらしてもいいってことだよな?」
「なんだか腑に落ちないけど……いたずらって、何をするつもりなんだい?」
「それは勿論……」
ギイはにやりと笑ってぼくの肩を抱くとぐいっと引き寄せ、顔を近づけて来たので、ぼくはすかさず言ってやった。
「それじゃ、いつもしてることと変わらないじゃないか」
「……」
ギイは顔を寄せかけたままぴたりと動きを止めた。ぼくは横目でギイの顔を見て、おもいっきりため息をついてやった。
「まあ、どうせそんなことだろうと思ったけど」
「託生」
「大体ねえ、ワンパターンなんだよ、ギイは」
「そこまで言うかい、託生くん」
いつものへらず口がはじまるかな、と思ったけれど、ギイはぼくから手をはなすとすっと目を細め、低い声で言った。
「わかった。ワンパターンがイヤだと言うんなら、託生があっと驚くような『いたずら』を考えてきてやるよ。後で泣いても遅いからな、覚悟しておけよ」
「……え? そ、それって、どういう…」
「I'll be back!!」
うろたえるぼくを尻目に、ギイはくるりときびすを返した。「待ってよ、ギイ」追いかけようとあわてて立ち上がってみたものの、音も高く鼻先でドアを閉められて、ぼくはがっくりとうなだれた。
ああ、ギイを挑発するだなんて、愚かなことをするんじゃなかったなあ。
仕方なくぼくはそれからの時間をひたすらギイを避けて過ごした。残りの午後を章三の部屋で邪慳にされて過ごし、好き嫌いを怒られながら一緒に夕食をとり、その後は利久に付き合ってもらい、とうとう消灯の時間が近づいてしまったので自分の部屋に戻りながら、はた、と、あることに気がついた。
もしかしてぼくは、ギイが部屋にいたずらを仕掛ける時間を与えてしまったんではなかろうか。
……ああ、すごくありそうなことだ。どうして今まで気がつかなかったんだろう。
部屋に戻るのが怖くなったぼくは、そのままUターンしたかったのだけれど、この時間ではどこにも行く場所はない。仕方なく部屋に戻り、おそるおそるドアを開けてみた。
ところが、ギイは居なかった。
ぼくはほっとしつつ、それでもとっさに部屋の中をチェックして、あやしいものはないかと目で探してしまった。うん、特にかわったことはないみたいだ。
でも、だとすると、こんな時間までギイは一体どこで何をしているのだろう。
……やめよう。
ぼくは頭をふって、考えるのをやめた。今日のギイの奇々怪々ぶりは、いつも以上にぼくの理解を超えている、気がする。これ以上心配してても、時間のむだだ。
とりあえず、寝る準備をしなければ。
ぼくはパジャマを出してバスルームに入り、シャワーのコックをひねった。服を脱いで湯加減を見ていると、――突然電気が消えた!
「わっ!」
び、びっくりした……。どうして急に電気が、と原因を探ろうと思ったけれど、原因なんて当然、『誰か』がバスルームの明かりを落とした、という以外にないではないか。
そして、その『誰か』が誰なのかは、決まりきっている。
ということは、つまりこれが、誰かさんのワンパターンではないいたずらなのだということになる。
それは、確かにね、驚いたよ……それはそれは、驚いたけど!
これが仕返しだって言うんなら、ちょっとひどいよ、ギイ。
驚きが収まると、だんだんむかむかしてきた。ぼくは手探りでバスルームのドアを探して薄く開くと、なぜかそこも真っ暗な室内に向かって叫んだ。
「ギイ! ぼくがお風呂に入ってるのはわかってるだろう? こんなのは、あんまり悪趣味だよ!」
だけど、返事がない。シャワーの水音だけが背後からざあざあと聴こえている。何度か声をかけてみてうんともすんとも反応がないことに、ぼくはしだいに不安になってきた。
もしかして、本当にギイは居ない?
もしかして、これは本当に停電?
それとも――
その時、部屋のドアの開く音とともに廊下の明かりが差し込み、真っ暗な中に人影が現れた。
「託生? 居るのか? 何してるんだ、電気もつけないで」
「ギイ!」
「バスルームに居るのか? 電気つけるぞ?」
この状況を楽しんでいる様子はみじんも感じられないその声に、ぼくは心の底から安堵した。よかった、ギイのいたずらじゃなくて。ギイが来てくれて。
ギイは片手でドアを閉じながら、もう片方の手で部屋の明かりのスイッチに手を伸ばし、かちりと音をさせた――けれど、相変わらず部屋は暗闇に包まれている。
「あれ?」
「ど、どうしたの?」
「点かないぞ」
「停電なの?」
「外は何ともなかったけどな」
そう、確かに廊下は明るかったのだ。ドアのノブをまわす音が聴こえ、ギイはもう一度外の様子を見ようとしているらしい――けれど、ノブをがちゃがちゃとまわす音がつづくだけで、やはり部屋は真っ暗なままだ。
「ど、どうしたの、ギイ」
「……ドアが開かない」
「まさか!」
もう、まさか今度こそ君のいたずらだっていうのかい? まったく、こんな時にふざけないで欲しい。
なおもドアノブと明かりのスイッチを試みているフリをするギイにまた腹が立ってきて、ぼくは手探りでバスタオルを探すと手早く体にまきつけ、バスルームを出て壁伝いにギイのところまで移動した。
「もう、たちの悪い冗談はやめろよな」
「託生? 出て来たのか」
ぼくはなおもしらばっくれているギイを無視して、明かりのスイッチをさぐり、押してみた。点かない。ドアノブをまわしてみる。開かない。
「……」
「納得したか?」
「したけど、してないよ!」
「まあ、気持ちは良くわかる」
ギイのいたずらだと思っていたのに、これは一体……
「どうしたもんかな……託生? おい?」
体がふるえだす。素っ裸なものだから寒いんだ。体がふるえるのはそう、寒いからだ――気がつくとぼくは、ギイのシャツの腕にすがりついていた。ギイはぼくを軽く抱き寄せた。
「お前、もしかして今裸なのか?」
「タ、タオルまいてる」
「そうか、そうか」
「もう、そんな場合じゃないだろ! ニヤけてないでよ!」
「暗いのによくわかったな」
「わかるよ! そんなことより、どうするんだよ!」
「さあ、どうしようもないな」
「そんな……わっ、へんなとこさわるなよ!」
ギイの腕にしがみつきながら怒ってみせても、我ながら全く説得力がないとは思う。ギイはくすくす笑いながらひとしきりぼくをからかうと、また軽く抱きしめた。
「ギイ?」
「まあ何だ、とりあえず……寝るか」
「こ、このまま!?」
「こう真っ暗じゃあ部屋を調べようもないし。それに、寝るのには明かりはいらないだろ」
そ、そうだけど、そうだけどっ!
とても今夜は眠れそうにないよ……
「あ、シャワーを止めないとな」
「ギ、ギイ待って!」
「何だよ」
ギイがバスルームに向かおうとしたせいで手のひらをすり抜けそうになった彼のシャツを、ぼくは全力でひっぱった。
「こら、服が伸びるだろ」
「ご、ごめん、でも……一人にしないでよ」
「おまえなあ……暗闇が怖いだなんて、まだ言うつもりか?」
先日の理科室の事件でのぼくの失態を暗に示して、ギイはおもいっきりの呆れ声を出した。
「そ、それはそうだけどっ、でも今回は明らかに状況がおかしいじゃないか」
開かないドア、点かない電気、この状況で怖がるなというほうが、無理というものだ。ぼくに聴かせるためのため息が耳もとで聴こえ、けれどそれは苦笑に変わったようだった。
「ま、セミヌードの託生が沿い寝をねだってくるって状況は、悪くないかもな」
勝手なことを言っているけれど、もうこの際何でもいい。
「うん……一緒に寝てよ、ギイ」
「その表情が見えないのが残念だ」
ギイはくすりと笑うと片手でぼくの頬をさわって確かめ、そこに軽くキスをした。キスは少しずつ移動して、ぼくの唇を探し当て、ぬくもりをくれる――ぼくの髪にふれるギイの手のひらとギイの唇の温度に、ぼくは簡単に安心してしまうのだ。ああ、我ながら何と簡単、何と単純。それでも。
「託生」
ゆっくりと離れた唇からくれるそのやさしい呼びかけに、ぼくは一も二もなく飛びついた。甘い言葉、甘いキス、甘い――
「離さないでね」
「離さない」
「一晩中、一緒に居てね」
「……あのな、こんな時にかわいいことを言うな。託生のニセモノを抱いている気分になるだろう。……おい? 託生? ……託生?」
不思議な夜は不思議なままに、一晩中抱いていて。
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二年時タクミくんによくある、ちょっと怪奇話のような感じにしたいなぁと思いつつ。オチはないほうがいいかとこのように終わらせたのですが、ちょっと半端でしょうか。すみません。
ハロウィンて楽しそうですよね。友達の母校ではハロウィンには仮装をしてキャンディを投げる?(だったっけ?)イベントがあったそうで、すごく羨ましく思いました。
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