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[ 読書/BL小説 ]

木原音瀬『秘密』

 この作家は今まで五冊くらい読んで、もしかして自分には合わない作家なのかも、と思いながら、しかし『吸血鬼と愉快な仲間たち』があまりに好みだったので、まだまだ読む気満々です。で、これはちょっと前に読んだ。結構面白かった。

 自分の部屋に帰りたくない。部屋にある冷蔵庫の、そしてその中にあるもののことを思い出すと嫌になる。セックス込みを覚悟で一夜の宿を探していたところ、バーで口説いてきたのはちょっと話し方がふうがわりな・年下の・しかしイケメンだった。

 冷蔵庫ネタはわりかしよくあるし、そのオチも予想の範囲内だったけれど、結構面白かった。
 ただ、本編と続編とかではあんまりつながりを感じないような…本編は受け中心の話で、あとは攻めの話だからしょうがないのかなあ。

 攻めのディスレクシア描写は、ん?そうなん?と思うこともあったけれど、わたし自身もあまり詳しく知らないのでわからない。こんなふうに学力的に問題がある感じで描写されているのは初めて読んだような気もするのだけれど、でもこの攻めの場合家庭環境のせいもあるのかな。こんなことを書くとちょっと人格を疑われそうだが、設定をふくめてこういう攻め好きだ…。が、なんで受けにひとめぼれしたのかは、もうちょっと説明あってもよかったかなあ…でもなくてもいいけど。

 っていうか、そんな攻めがベタ惚れする受けがすごい普通の子なので、しかも本編は受けの視点に寄り添って、あんまりうつくしくない内面(攻めにイライラしたりずるいこと考えたり)をばんばん描写してくので、なおさら違和感。別にいいけど。ただ、そういう内面を細かく書いちゃうので、この受けがこの攻めにはぴったりだったよね、っていう印象が薄いんだよね。前の彼氏には合わなかった部分が、この攻めには必要なことだった、って説明はあるんだけど、言葉で説明されただけ、って感じで。

 しかし概して面白かったのだけれど、あとがきを読んで、ああやはりこの作家のこういう考え方はわたしには合わないのかも、とも思った。
(略)そういえば最初にたてたプロットはもう少し殺伐としていました。書いているうちに、比較的優しい感じになったんでした。けど殺伐とさせてたほうが現実味があったかなあとあとがきを書いている今はそう思います。」
 他の部分もあわせてよむと、つまりこの作家はもっと殺伐として・現実味がある話のほうがよかった、と思っているんじゃないかとおもうんだけど、わたしはそうは思わないし、この『秘密』はこれでよかったんではないかと思ってる。

 「現実味」はBLに、っていうか小説に、ほんとに必要なものなのか。あるいは、この作品において「現実味」って必要なのか。必要なのだとしたら、どのレベルでなのか。
 明治だか大正だかの頃、ロシアの劇団が東京で公演したときに、日本の演劇関係者はそのわざとらしさ・演劇っぽさに驚いて、なんだ、本場の演劇も結構不自然なものなんだね、って思ったらしい。つまり自然主義とか新劇あたりの人々は、文字芸術の中で・舞台芸術の中で自然さを目指して(勿論それってヨーロッパの芸術をめちゃくちゃ意識してのことだろう、その意識の仕方が正しかったのかどうかは別として)きたけれど、そうした自然さがフィクションにおいて本質的なものとしてまなざされてしまったのは、やっぱりちょっと奇妙な転倒だったように思う。
 この作家においても、必要なことは「現実味」ではないんではないか/でも作者はそれが重要だとおもっているんではないか、という印象を受けたのだ。っていうようなことは、『WELL』『こどもの瞳』を読んで、物足りなさを感じた時にもちょっと思ったので、今回このあとがきを読んで、やっぱりそれって違うんじゃないかなあ、と改めて思ったので。いやそれ=「現実味」が必要な作品とか、それが有効な作品もあるのかもしれないけれどね。『秘密』には別にこれ以上の「現実味」は必要ないと思うし、このままでちゃんと面白いし、これ以上厳しい話になってたらがっかりしてたと思う。

 茶屋町勝呂の漫画は読んだことがない気がする。このモノクロの絵はいまいち好きではないのだが、口絵のカラーとかめちゃくちゃ好み。

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