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ぼくは電話室に入ると、すぐに受話器をとった。
「はい、葉山です」
『託生くん? 僕、わかる?』
母だと思い込んでいた電話の相手が男の人の声だったので、ぼくはぎょっとしてしまった。
「え、えっと、すみません、どちら様ですか?」
『佐智です』
……さち?
「え、えーと」
『井上佐智です、託生くん』
「……え?」
いのうえさち、って。
ついさっきまで、CDで演奏を聴いていた、あの井上佐智?
が、なんでぼくに、電話?
混乱しつつ電話脇のメモをみると、確かに「イノウエサチ→ハヤマタクミ」と書かれている。
『もしもし、託生くん? ごめんね、急に。迷惑だった?』
「いえ、あの、迷惑とかではなくて、」
ど、どうしよう、どうしよう。
「すみません、あの、冗談みたいな話で、信じていただけるか、わからないんですけど。ぼく、昨日から記憶喪失みたいで、あの、ここ二年間のことが、わからなくて。井上さん、のこと、ちょっと今わからないんです、すみません」
ほとんど動転しながら、必死にしたぼくのつたない説明を、井上さんは黙って聴いていてくれたのだった。
『そうか……じゃ、僕のことも、忘れちゃったんだね』
「す、すみません」
『ううん、いや、僕もびっくりして……でも、僕のことはいいんだ、後回しでも。だから、義一くんのことだけでも、はやく思い出してあげてね』
「え?」
『ごめんね、大変な時に電話してしまって。それじゃ、また改めて連絡します』
「あ、はい」
『くれぐれもお大事にね、託生くん』
「は、はい、ありがとう、ございます」
ぼくは受話器を置いたあとも、しばらく放心していた。
ぎいちくん?
誰のことだろう、……ギイ? 崎義一?
まさか。
というか、井上さんって、ほんとに、あの井上佐智?
すずやかな声、丁寧な言葉遣い、井上佐智だと言われれば、そうであったような、気もするけど……でも、でも! あの、井上佐智が。
なんで、ぼくに、電話?
受話器に手を掛けたままぐるぐる考えていると、後ろから声が聴こえた。
「大丈夫かい?」
「わ、すみません、使いますか?」
「あ、そうじゃなくて。葉山、電話終わったみたいなのに出てこないから、具合でも悪くなっちゃったのかなと思って」
「え、ええと、君は?」





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