言われるがままにバイオリンを取り出し弾き始めると、最初は譜面を確認しながら弾いていたのが、弾き進めるうちに次第に楽譜が必要なくなり、暗譜ですらすら弾けてしまった。本当にぼくはバイオリンを再開し、この曲を練習していたのだと、頭ではなく体で理解した。
弾き終わると野沢くんは拍手をくれ、うれしそうに声を掛けてくれた。
「すごい。やっぱり、体は覚えているものなんだね」
「そうみたいだね、自分でもびっくりだけど」
「で、何か他に思い出したかい?」
ぼくは首を横に振った。
「何にも」
「そうか、残念。実はちょっぴり期待していたんだけどね」
やっぱり、これで記憶が戻るかもと思っていたんだ、野沢くん。勿論ぼくも、それを考えないではなかったけれど。
野沢くんは、ぼくに気を遣わせまいとしてか、明るく切り替えた。
「でも、改めてソロだけをこうして聴いてみると、やっぱり葉山くんのバイオリンってすごくいいよね。なんていうか、こう、まっすぐな感じ」
「そ、そうかい?」
「うん、俺は好きだな、葉山くんの音」
こんなふうにまっすぐ褒められると、照れてしまう。
「あ、ありがと。でも、それってバイオリンのおかげかも」
この見知らぬバイオリンは、見ただけで歴史も名もある品だろうとは思ったのだけれど、どう軽く見積もってもぼくの腕には不釣合いな高級品だろうということが、弾いてみてよりはっきりしたのだ。
「そうかな? それだけじゃないと思うよ。葉山くん、よかったらもう少し何か、弾いてくれる?」
野沢くんはお世辞で無しにそう言ってくれているようで、ぼくは素直にうれしく思った。
「うん。何を弾こうか?」
「何でも、葉山くんの弾きたい曲を」
ぼくは頷いて、なにを弾こうかと考えながら調弦していると、なんとなくサン=サーンスのメロディを思い出し、弓を弦におろす。
『序奏とロンドカプリチオーソ』。ぼくには、相当な難曲のはずなのだけれど、弾いてみると、なぜか結構弾けてしまう。ぼくは不思議に思いながら弾きすすめた。
こんな難しい曲、いつのまに練習したんだろう?
弾きながら思い出すのは、強い夏の日差し、白い道、西洋館、それから、茶色い瞳のいとしい恋人との、いとおしい記憶——
最後の音の残響を味わいながら、ぼくは弓をおろした。
「……思い出した」
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