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※麻生がオリジナル設定になっています。











もしかしたら、誰かが君を待ってたり…
何もかも報われるような、夜明けを迎えて…
Wake Up!!







PRELUDE







◆◆◆◆◆



 良く言えば暢気でおおらか、悪く言えば大雑把で無神経。
 そんな評を直接に間接に知るたびに、麻生は満足よりも安堵を覚えては、自らの手をひとりじっと見つめる。
 自分のこの癖を知る人間は祠堂ではおそらく一人も居なかったことだろうと、麻生は自信を持ってそう考える。三年間を隠し通した、麻生はいわゆるところの潔癖症だ。
 潔癖症は後天的に何らかのきっかけがあって生じることが多いが、麻生の場合には彼の母親の影響が大きかった。麻生の母自身が潔癖症であり、幼い頃からの徹底した教育は、麻生の人格形成にもその潔癖症にも色濃い影を落とし、麻生が大学生となった今でも殆ど薄まることもなく残っている。麻生の母がほとんど無自覚に麻生に対して施したのは、主に手洗い掃除等の指導と、不浄かそうではないかの判断に関する教導であった。麻生は今や主体的に、自らの手も持ち物も極力汚いものに触れないよう気を配っているし、触れてしまった際には徹底的にその汚れを取り除く。
 ただ、潔癖症にありがちなように、そこには科学的ないしは論理的な整合性はない。人の手を信頼しはしないのに食堂の食事は食べられるのだし、そうと知らなければ汚いものにも触れられる。それに、たとえば少々汚い手で食事をしたところで、すぐにどうこうということはないのだのだと、麻生は理性と知識とではそう知っている。だから麻生自身もそんな自分の思考が不条理であることはよく判っているのだが、けれど頭では理解はしていても、心と身体が追いつかないのだ。
 要するに簡単に言ってしまえばそれは気分の問題なのだからして、実際に汚いのかどうかどうかよりも、麻生が汚いと感じるかどうか、そしてそのことによって心理的抑圧を感じてしまうかどうかということが重要なのだと、麻生はそこまでは自己分析をして割り切っている。手を洗うことが科学的には意味がなかろうと、手を洗わないことによっていらいらしたり不安になったりするよりは、洗ってしまったほうが精神衛生上もいいはずだ。だから彼は自分の満足のためだけに、自分の満足のためでしかないとわかっていながら、気が済むまで何度でも手を洗い続けてきたし、これからも洗い続けるだろう。


◇◇◇◇◇



 潔癖症という自己の不条理と折り合いをつけた麻生が、祠堂の生活において最も重要だと考えていたのは、不浄を避けることよりもなお、自らの癖が他者に露顕しないようにすることだった。自らの潔癖症が心の問題だと判っているからこそ、それが他人に知られた際によせられるだろう好奇や嫌悪といった視線を想像し、それによる自分の心への負担を考えると、後者の方がより痛手になると麻生には思われた。だから、他人に知られないということは、自らの潔癖症を満足させることに優先されると思われた。この『クセ』は、絶対、ばれてはならない――そのためには。ちょっとくらいの汚れものならば、残さずにぜんぶ食べてやる、と昔流行った歌を口ずさみ麻生はひとり皮肉に微笑んだ。
 ただ幸いにと言おうか、祠堂には育ちのよい人間が割合多かったこともあり、有る程度の清潔を保とうとする行為それ自体は別段かわった行動ととられはしなかった。だから麻生は、潔癖症が度を越さないように、周囲から見ておかしいと思われない程度にまで抑えるようにとだけ気をつければよかったのだ。
 とはいえ、祠堂の基本は集団生活である。生活の大半を共にするルームメイトの前では殊に気を使った。彼の目を盗んで日に何度も薬用石鹸で手を洗い、人よりも多い洗濯物を何食わぬ顔でランドリーに運びつつ、不意に菓子を勧められたりすれば、手の汚れが気になってもにっこり微笑んで饗応を受ける。
 麻生はこうした並々ならぬ努力という担保のもとに、暢気でおおらかで大雑把で無神経という評価を勝ちとったのだった。卒業前の数ヶ月、麻生が好んで枕にしていた広辞苑は破損によって買い替えられたばかりのものだったことには、誰も気をとめていなかった。


◇◇◇◇◇



 広辞苑に小さな頭を乗せて午睡し、時折ぱらぱらと真新しいページを繰っては任意の項目に目をとめる。ぱらぱら、ぱら。
 こい、という単語に目をとめる。曰く、一緒に生活できない人や亡くなった人に強くひかれて、切なく思うこと。また、そのこころ。特に、男女間の思慕の情、と。
 自分の恋愛とは、まさしくこのようなものだろうと、麻生はぼんやり思う。好きになった相手と、一緒に生活するというイメージが浮かんでこない。今の寮生活のように、共同生活を送っているかのように表面を取り繕うだけで精一杯になってしまうだろう。けれど、物理的な距離が離れているからこそ、恋慕が募るということもあるのだろう、辞書もそう言っているのだからして。
 拡げたままの広辞苑から、カウンタにすわる彼、に視線を向ける。彼が外界に興味を払わないのをよいことに、無遠慮なほどじっくりと見つめてみる。二つ年下の後輩で、図書委員。背は麻生と変わらないくらい。大人しやかな雰囲気に、けれど眸には意思の強さが時折のぞく。そして――接触嫌悪症。
 そんな彼だから、早い時期から主にマイナスの意味での有名人になっており、麻生もまだ暑かった時期から、彼の顔と名前だけは知っていたのだった。秋も過ぎて、麻生が午睡のために図書室を利用するようになって、図書委員の彼と行動圏に重なりが出来た頃から、ついつい目で追うようになった。接触嫌悪症だという彼と、潔癖症の自分とは、どこかで似た者同士なのではないかと期待していたのかもしれない。だが麻生の視線の先の彼は、麻生が想像していた以上に不器用だった。麻生のように自分の性分を割り切ることも受け入れることも出来ずに、ただただ他人の存在を拒絶するだけの彼を見て、麻生は自分のことを棚にあげ、あれじゃあ生き難いだろうな、と考えていた。
 可哀想に、とは思わなかった。ただ、彼の望みには興味があった。彼は周囲の総てを拒絶して、何もかもを諦めているように見える。けれど、何にも望まない人間など居はしない。麻生はそう思う。彼だって、願いのひとつやふたつ、きっとあるはずなのだ。
 触れられないものの多い自分ならば、彼を多少なりとも理解できるのではないだろうか。詰める距離を見極めて、少しくらいは触れることだって出来るのではないか。そんな思いは、単なる好意という以上にただの好奇心であり、しかし麻生はそう思いつつも、距離を詰めてみたいという衝動にゴーサインを出すことにした。何故なら、自分自身の望みだって、ごく珍しいものだったから。潔癖症を治す気がない麻生には、何しろこれが初恋だったのだ。


◇◇◇◇◇



 殊更に寒い、寒風の強い日だった。
 冬休み間近のその日、麻生は初めて彼に声を掛けてみた。
 返却書籍をカートにのせて、棚の間を行ったり来たりしている彼に、本を探しているフリでそっと近づく。真剣にラベルの分類番号を確認している様子を覗いて、ふっと麻生は微笑んだ。彼がカートの上の数冊を取り上げた際、その手元が少しく狂ったのか、
「わ」
ばさばさっ、と本が床の上にこぼれおちた。
 あわててかがみこむ彼との間に、そっと、距離を測る。
「大丈夫?」
「……は、い」
 抑えた声での呼びかけに、すっと上げられた顔は、瞬間何の感情も写さずに麻生を迎えた。
 初めて間近で見た彼のまっさらな表情に、麻生は息をのんだ。
 何て無防備な顔をするんだろう。接触嫌悪症だというのに、警戒の色のない、こんな表情をするのか、彼は。突然声を掛けてきた麻生に驚いているのだろうか、ぱちぱちとまたたく黒い眸が綺麗で、思わずみとれてしまう。
 床の上にちらばった本を見て、麻生に近い数冊を床に触れないようにさっと取り上げ、彼に差し出してやる――後で手を洗わなければ。
「はい」
 彼は礼を言うでもなく、麻生が差し出した本を凝視した。黒い眸の先の本と、それを差し出している自分自身の手を意識して、人よりは清潔に気を使っているつもりの自分の手に、その手に彼は怯んでいるのだと、麻生は初めて気がついた。勿論、彼の接触嫌悪症は潔癖症とは異なるのだろうから、麻生の手が汚いと感じているわけではないのかもしれない。しかし、彼の中では、自分もその他大勢とひとしなみに捉えられているのだと思うと、麻生の胸ははじめてちくりと痛んだ。
 人と違うことを知られるのを恐れ、人と同程度に無頓着なのだと装っていた自分が、人と同じだと見なされたことに、初めて傷ついている。すなわち自分は、彼に評価されたがっているのだ。
「大変そうだね。俺、手伝おうか」
「大丈夫、です」
 そっけなくも聞こえる返答に、麻生はなるべく自然に見えるように努力して、微笑みで返した。
 人に馴れない、野生の獣みたい――馴れたなら、一体どうなるのだろう。自分ではだめだろうか。きっと他の人間よりは、うまく彼に近づけるはずだ。そうなのだと、彼にも知って欲しい。俺を認めて欲しい。
 思いがどんどんとふくらんで、麻生は胸を騒がせた。好奇心に好意に、もっといろいろな感情が綯い交ぜだ。
 一方的で、幼く拙い。思い返すだに、厄介極まりない恋だった。


◆◆◆◆◆



 後輩が待ち合わせ場所に設定したそのカフェには、入り口がふたつあった。
 大通りに面した入り口と、裏道に面した小さな入り口と。小さい方の入り口から入り、賑やかな店内をぐるりと見渡した麻生は、すぐにそのふたりの姿を見つけた。テラスに近いテーブルについて、通りの向こうに視線をやっている横顔は、どちらもほんの数ヶ月の間に随分面差しが変わったような気がした。既に懐かしくまなざすことが出来るようになった彼と、そしてその彼の隣りには、麻生の友人でもある栗色の髪の後輩が座っている。
 託生が礼を言いたいって言ってます、と、連絡をくれた後輩ことギイは、少し誇らしげだったような気がした。それはそうだろうなと麻生は思う。夏休みの数日間を軽井沢で過ごすというので、麻生も今年は同地の別荘を利用することにして、半日だけふたりに合流する約束をした。数ヶ月ぶりに彼に会えるのだと思うと、過ぎ去ったかすかな痛みと、あたたかい優しさとを思い出して、やっぱり少しせつなくなった。彼は変わったのだろうか――おそらくそうなのだろう。
 駅からの道を見つめているふたりは、この店に入り口が二箇所あることを知ってか知らずか、麻生が立っている方向には気を配って居ない。それをいいことに、麻生は柱の蔭にしばし立って、ふたりをつくづくと眺めてみた。
 ギイは随分背が伸びたらしい。半年前には葉山託生と然程変わらないくらいで、つまり麻生ともそれほど差は無かったというのに。もう追い越されたかな、と思い麻生は声を出さずに笑った。けれど、時折隣りに話しかけて笑っている様子は、幸せそうではあるものの、以前と変わりなく屈託がない。麻生は安心し、また少し微笑んだ。最愛の存在を手に入れて、しかし変わらずにいるということは、どんなに難しいことなのだろう。けれどそうでなければ、あの葉山託生の隣りにたつことは叶わなかっただろうとも思う。だって、葉山託生はあんなにも変わったのだから。
 わかっていたけどね、完敗だよ、ギイ――麻生はみたび微笑んで、おもむろに携帯電話を取り出すと、受信履歴を呼び出した。
「あ、ギイ? ごめんねー、遅れてて。うん、そう。歩いて来たら、ちょっと道に迷っちゃって。今? 今ねえ、駅の近くまでは、来てるんだけど…うん、白い建物? 見えるよ。うん。あ、迎えに来てくれるの? うん、ありがとう」
 通話を切って、立ち上がって麻生を捜しに店を出て行く気の毒な後輩を見送り、ゆっくりと彼の側に向かう。一歩、一歩。息をつく。彼が、振り返る。
「あ」
「久しぶり、葉山くん」
 驚きに瞠られた眸の色と、無防備な表情は変わっていない。そう、変わらないのだ。素のままの葉山託生は、以前も今現在も、ここにこうしてずっと存在していたのだ。
 だからこそ、接触嫌悪症という殻は、ギイによって壊されて、今。
「こ、こんにちは。お久しぶりです、麻生先輩」
 彼は少し照れたような顔で、麻生が見たこともないほどきれいににっこりと微笑んだ。












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 お礼企画なので、もっと甘いいちゃいちゃ話を書きたかったのですが、どうしても麻生をこの設定で書きたくて、どうしようかな~と考えているうちにものすごい時間が経ってしまいました…(汗
 結局タイトルにもつかっていまいましたが、全般にthe pillowsの「YOUNG STER」の雰囲気をイメージしてます。この曲冒頭の「Set you free, 何処に行こう?起死回生のプレリュード」というところが、すっごく好きなのです。初夏のイメージがある曲です。原作の麻生と、勝手設定のワケあり麻生、そして「YOUNG STER」の雰囲気をかさねてお話を書きたいなと思っていたのでした。結局夏の終りの話になっちゃいましたけどね。
 あと、ご覧の通りではありますが、本文中にはMr.children「名もなき歌」と『広辞苑』も引用してます。

 ギイタクと麻生との再会は、一応ですが、同人誌のお話「DAYS/色のついた夢へ、希望の歌」の後日談ということになっています。麻生はとてもおいしい存在なので、いろいろ想像がふくらんでしまいます(笑

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