裏コイモモ
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 あたたかな眩しいほどの光をくまなく降り注ぐ、まるで太陽のような崎義一と。
 蒼白い明かりで星々を拒絶する、凛とした月のような葉山託生と。
 何もかもが、正反対だと。
 全く似たところがないのに、いや似ていないからこそ、互いに惹かれ合ったのだろうか――と。
 当初、三洲はそんなふうに二人を見ていた。
 けれど、今ではこう思うのだ。
 あの二人は、まるで双子のようによく似ていると。







・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 「雨のしのびよる夜」






 薄い肩に触れようとして、一瞬ためらう。
 ためらいを押しよけて、ぽんと軽く触れる。
 振り返った無防備な表情にどきりとした内心が、悟られていないといい。
「三洲くん」
「今から食事?」
「うん。三洲くんも?」
 にっこり柔和な笑みをうかべて頷き返し、さりげなく同道しながら、そうして距離を推し量る。今日の距離は、これくらい、と。
 今年の同室者は、三洲の読みと希望とにたがわず葉山託生だった。
 一年時、崎義一いわく『「人間接触嫌悪症」の患者』であった葉山は、二年にあがる際に崎と同室にふりわけられた。これは偶然でもなんでもなく、教員たちが崎に期待してのことだったのだろうと思う。それまでも崎はいつでも葉山のことを気にしていたし、洞察力のすぐれた人間であれば、葉山が崎の気遣いを無視しつつも内心ではそれに応えたがっているのだということをわかっていたはずだから。
 祠堂の寮の部屋決めは、教員たちが行っている。祠堂の教員は、率直に言って一見凡庸に見える人も多いのだが、その実は相当に鋭い教員ばかりだ。こんな海千山千の生徒たちを指導しようというのだから、やはり皆有能な方々なのだろう――と、三洲はそう思っている。だから、葉山と崎との微妙な関係性にも誰かが気づいていて、部屋割りの際に進言したのだろう。
 前年度の部屋割りに関する、これら三洲の推測が正しいとして、であれば今年度誰が葉山と相部屋になるかも、おのずと想像がついた。
 葉山は――落ち着いたように見えるけれどまだまだ不安定だ、と三洲は気づいていた。なんの接点もない三洲にわかったくらいなら、教員たちも気づいていたはずだ。だから、ぞんざいな部屋割りは行われないと思われたのだが、もしその推測が正しいとすれば、葉山の同室者の候補は意外に少ないだろうとも思われた。片倉、崎というカードはすでに使えないのだから、風紀委員長にして崎の親友であり、葉山とも親しい赤池章三か、さもなければ自分だろうと、三洲は気負うことなくそう思っていた。
 赤池は、今でこそ葉山の友人として知られているのだけれど、一年の頃は葉山にたいして、周囲の生徒達とそう変わらない認識を持っていたようだった。もちろん今では葉山のことを理解し、好意的に接しているのはわかる。その好意が、彼の親友である崎義一の友人だから、という義理や遠慮めいたものでは既になくなっているというのもわかる。けれど、赤池にはまだ若干の子どもっぽさが残っている。時折覗く、意外なくらいの雑さが、むしろ彼を友人としては魅力的にしてくれているのだが、葉山の同室者候補としては少々物足りなくもある。
 三洲は――自分がまだまだ未熟であることは十分わかっているつもりだし、赤池にかなわない部分だってあるとは思っている。ただ、赤池よりも他者にたいして穏やかに接するタイプであるし、感情のゆれに左右されることもそれほどない――少なくとも、表面上は、だが。葉山と同室になるという点でいえば、きっと赤池ではなく自分を推す教員もいるだろうと思った。そして、実際に三洲の予想はぴたりと当たったのだった。
 案の定というか、葉山は三洲と同室になってすぐに接触嫌悪症を再発し、一時はどうなることかと思われたものの、周囲の助けもあって回復した――と、思っている者は多い。もしかしたら、崎でさえもう問題は解決したと思っているかもしれない。
 だが、きっかけはどうあれ以前の状態に戻ってしまったということは、またそうなってしまう可能性もあるはずで、つまり接触嫌悪症が根本的には治ってはいなかったということでもあったのだろう。そう思いながら一緒に暮らしていると、葉山のあやうさは三洲が予想した以上のものであった。
 そして、三洲へ、他の友人へと向けられる健気な微笑みに、いつか見た崎の苦い笑いがかさなることにも気付かされた。


 入学当初からしばらくの間、三洲にとっての崎義一とは、やけに目立つ同級生であり、なんとはなしに虫の好かない人間であり、そして当時の生徒会長相楽の心寄せるようになった相手であった。
 相楽は常にあっけらかんとしていて、周囲の誰もが冗談として流せるようには配慮していたのだけれど、それでもごく近しい人間は皆気づいていた。相楽は崎に、本気だった。
 勿論、崎自身もそのことには気づいていたのだろうと思う。人の心の機微には、聡い男だから――聡い男は、一番知りたいのだろう相手の心を、ときどき読み間違えるようだけれど。それはさておき、崎は先輩としての相楽は好きだったようで、陰では随分褒めていたらしいし、生徒会の活動その他においては割合に相楽に協力的だった。けれど相楽の冗談交じりの、時には本気の誘いに崎が返すのは、いつも呆れたようなため息や冷たい言葉、ひどい時には無言でしかなかった。崎が相楽に答える気がないのは、誰の目にも明らかだった。
 崎は相楽を恋愛の相手として見ることはできず、だから少しでも期待をさせるような行動はしないようにしていたのだろう。けれども、それだけでは崎の冷淡さの説明がつかないように三洲には思えた。そして、相楽だけではなく崎にも興味――けして好意とは言えないが――をもってまなざすようになった。
 注意深くみていると、崎の冷たい対応は相楽にだけのものではなかった。崎に恋愛感情を、それも避けがたい形で向ける人間にたいしては、相楽にそうするように、そして時にはそれ以上に冷淡であることに三洲は気づいた。
 いつだったか、崎と友人が話しているのを、陰で聞いてしまったことがある。相手の顔は死角となって見えなかったが、相楽のことが話題だというのはすぐに分かった。
「とはいえ、あれだけ好かれれば幸せかもよ? 結婚は、好きな相手より、好かれた相手とするのがいいとか聴いたことあるし。いい人だし、魅力的な人だってのは間違いないんだから」
 たとえ崎が相楽を好きではなくても、付き合えば幸せになれるのではないか、と。
 三洲にでさえお節介だ、と思えたそのアドバイスに、崎は怒るでもなく苦く笑ってこう返した。
「お前の言いたいこと、わからなくもないけど……オレじゃあ、駄目なんだよ。オレには勿体無い人だからな」
 謙遜するフリで、あるいはそれも嘘ではなくて、でも底に隠した本音では、自分には相楽では駄目だといいたかったのだろう。崎は、決して相楽を受け入れることは出来ないから。だから確かに、相楽には崎では駄目、という言い方も出来るし、それもまた一面では真実なのだ。三洲はそう感じ、達観したような諦めたような崎の笑いに、また少しだけ関心をもった。
 顔だけは笑っていても、それは外界を遮断するものでしかない。その笑顔は、まるで世界に愛は一つしかないのだとでも言っているようだった。ただ一人の心だけを願い、もしもそれが手に入らないのなら、他の何もかもは必要ないのだと。


 今の葉山は、あの時の崎によく似ている。顔では笑って、けれど何者をも受け入れようとしない。崎でなければ、他のすべては無用であると無言で主張しているかのように、少なくとも三洲の目にはそう見えるのだ。
 だが、そういう排他性に惹かれてしまう人間もいる―自分のように。もしかしたら、拒絶されてもなおやまなかった相楽の崎への好意もまた、そうしたものだったのかもしれないと、今になって思い返す。





・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・





 三洲はここのところ、意識して葉山に触れる機会をつくっている。
 なるべく何度も。広い範囲で。出来るならば、膚にじかに。
 接触嫌悪が起きないかどうか確認をしながら、三洲の――ギイではない人間の体温に慣れさせるために。それは瀬踏みであり、リハビリテーションのつもりであり、三洲の淡い欲望でさえあった。恋愛とは明らかに違う、ただ触れがたい、だから気の毒な、そして近寄ってみたくなる友人への興味として、葉山への欲は三洲の中にきざしていたのだった。だが、そんな興味は、なんと名付けたら良いのだろうか。


 自室に戻ると、机の前で、何やら小さな紙を見て薄く微笑んでいる葉山を見て、三洲は首をかしげた。
「葉山」
 声を掛けながらあと二歩ほどという距離へ近づいて、葉山の手の中の紙を指す。
「それ?」
「あ、うん。おかえり、三洲くん」
 そんなふうで葉山が答えないので、うれしそうなので、なんとなく崎からの伝言だなと推測する。
「ふうん。よかったな。今晩?」
「あ、……うん……そう、です」
「へえ、じゃあ、もう機嫌治った?」
 答えに迷うような、それでもうれしそうな葉山に、三洲は呆れたような安心したような気持ちでついその先へ踏み込めば、ふとこちらを見て、困ったような顔をした。
「機嫌、悪くしちゃってたかな。いつも通りにしてた、つもりだったんだけど」
「そうだな、というか俺は、葉山は体調でも悪いのかと思ってた」
 三洲の知る限り、崎との約束は八日ぶりのことだ。日ごとに元気がなくなっていく葉山の様子に、とるべき距離が増えていった三洲は、じりじりと崎への苛立ちを募らせていたのだった。
「……そっか、ごめん」
「謝ること、ないけど。勝手に心配してただけだから」
「うん、心配かけちゃって、ごめんね」
 素直に謝罪を繰り返し、首をかしげてまた微笑んだ。
「でもさ」
「なに?」
「自分でいうのもなんだけど、ぼくって案外、簡単だなあって思って。」
「簡単、ね」
「うん、メモ一枚で幸せになれちゃうって、お手軽だよね」
 …どこが簡単なんだ。要するに、ストレスコーピングの手段がそれしかないってことだろう。
 葉山託生という人は、結局どこまでいっても崎でなければ駄目なのだ。
 三洲は拗ねて投げやりな気持ちになり、また少し嫌味を言いたくなってしまう。
「まあね、メモ一枚で葉山を元気にできるなんて、確かに俺や赤池には出来ない芸当だね」
 隠れた棘に気づいたのか、葉山はあわてて反論する。
「……それは、そんなことないよ。三洲くんも、赤池くんも、ほかのみんなだって気にかけてくれてるの、わかってるし。ほんと、すごく助けられてるんだよ」
 真剣にそう弁解しながら、葉山は椅子から立ち上がり、三洲へと向き直った。
「四月のはじめの時だって、三洲くんたちと、真行寺くんだって一緒に助けてくれて、うれしかったんだ」
 ――葉山託生に手を出したら、怖いのは崎だけではないのだと知らしめてやる。そんな思いで、三人で葉山を護った場面を思い出す。
 確かに、それはそうなのだが。自分や赤池や他の皆も、葉山を助けてやりたいと思っているのは確かだし、葉山の感謝の言葉がウソだとも思わない。
「だけど……」
 俺達じゃ――俺じゃ、崎のかわりにはなれないんだろう。
 言いかけて、口を閉ざす。
 そんなことは、当たり前のことだ。たとえば三洲にとって、葉山が真行寺のかわりになれるかどうかというのは、あまりに愚かな問いだとすぐにわかる。
 それに、崎の名前を出せば、脆い均衡を保っている葉山の何かを壊してしまう気がした。
 だけど、そうではない。自分が言いたいのは、そういうことではない。そんな表層的なことではなく、もっと根源的な……うまく言葉にできないが……
 三洲は言葉にするのを諦めて、さらに一足を踏み出して、じっと葉山の目を覗き込んだ。黒い眸に、三洲自身の顔がうつりこむ。
「あの、三洲くん?」
「黙って」
 さらに、もう一歩。
 ゆっくりと近づいて、ふわりと彼を抱き込んだ。
「三洲くん!?」
 動揺が大きすぎたのか、逃げるのは失礼だとでも思ったのか、拒絶はせず、といって身じろぎもできずにいるのを、けれど嫌悪はないと――少なくとも、今のところはまだ――確認する。固まったまま、葉山は目だけで三洲を見上げる。
「な、なんで」
「なんでだと、思う?」
「……ギイのかわり?」
 …俺は、言わなかったのに。深く考えないで、恐ろしいことを平気でいう奴だ。
「んなわけないだろ、怖いこと言うな」
 けれど、うまく言葉にできないのは、三洲だって同じことなのだ。
 顔をあげて、考える。夜の近づく窓の外は、ちょうど雨が降り出したようだった。予報通りだ。
「そうじゃなくて……そうだな……」
 自分は、何なんだろう。
 恋人ではもちろんない、でも特別な友人でもない。友人というカテゴリの中であれば、おそらく三洲よりも、片倉や赤池のほうが葉山と近いはずだ。では、自分は一体葉山にとって何者なんだろう。恋人ではない、親しい友人でもない、けれどただのクラスメイトというには近い……その役割は、父のようではなく、兄弟のようでもなく、けれど今こうして腕の中に、彼を抱きすくめることができている、自分。
 雨は本降りになってきたようだ。けれど、室内にいれば濡れることはない――部屋の中、葉山と二人きり。恋人でもないのに? それはあたりまえだ、だって、
「ルームメイト」
「……ルームメイト」
 頑是なく繰り返す葉山に、やっと視線をもどし、三洲は薄く笑った。
「ってさ、なんなんだろうな、家族でもないし、友達じゃなくてもなれるし。知ってる? 二つ隣りの部屋、犬猿の仲って言われてた、関山と大谷が同部屋」
「そうなんだ。じゃあ、喧嘩ばっかり?」
「喧嘩どころか、お互い無視しあってる」
「そんなのって……」
 つらくないのかな、と眉根を寄せる葉山に、三洲もうんとだけ返す。
 一体あれはどういう采配なのだろう、と三洲も首をかしげてしまう二人であった。教員達としては、二人が和解することを期待していたのだろうか? それとも? わからない。
 けれど、何か理由があったとして、あの二人にはわからない――そうか、いつかその意図を理解してほしいという教員達の願いが、そこにはあったのかもしれないが。でもわからなくたって、喧嘩をしようが、口を聞かなかろうが、あの二人がルームメイトであることはかわらないのだ。
「家族だって、一緒に住んでいても、同じ部屋で寝起きしていないことも多いのにさ。好きでも嫌いでも、恋人同士でも友人同士でも、時にはあかの他人とでさえ、ルームメイトにはなれる。考えてみると、不思議じゃない?」
「それは、そうかも、だけど」
 葉山はそろそろと俯いた。
「でも、へん……ルームメイトだからって、普通こんなに密着する? あ、三洲くんは、前のルームメイトとも、こんなふうにしてたりして?」
「あのね……気持ち悪いこと言うなって」
「だって、だったら」
「いや、俺もおかしいとは思うけど」
 三洲は苦笑した。詭弁だということは、自分だってわかっているのだ。
「ルームメイトなら、どんな関係もあり得るんだって、そう考えれば、おかしいけどおかしくない」
「でも、なんで……」
 かわりじゃ、ないけれど。
 かわりにはなれないけれど、でも。
「……身代わり、かな」
「……やっぱり、それって」
「だから、違うってば」
 断じて、崎の、ではない。
 けれど、いつか葉山が、自分の体温に、崎とは別の種類の安堵を覚えられるようになればいいのに、と思う。葉山自身のために、三洲のために。抱きしめることで得られる、安堵……。
「……抱き枕?」
 の、かわり。
 笑ってくれるかなと思ったけれど、葉山は下を向いたまま黙っている。
 その表情を覗こうと思った瞬間、そっと上げられた腕が自分の背中に回り込むのを感じて、三洲ははっとした。
「……確かに、眠くなってくる、かも」
 安堵と喜びで胸が高鳴る。けれど、少しの後ろめたさが、三洲自身の腕にさらに力を込めることを許しはしなかった。
 窓をたたく雨は、少しずつ勢いを増しているようだった。











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 通称「よるよる」…。
 着地点を考えていないので、ブラックギイタクなのかどうかもまだわからないのですが…そもそもブラックギイタクってなんだろうって話ですね、冷静になると。

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