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「やつ、退学だって?」
「ああ」
月曜の午後、通常生徒の立ち入りは禁止されている校舎の屋上にて、風紀委員長は三階長と生徒会長と共に秘密の会合を開いていた。事後の展開を共有し、以降各人がどう動くべきかについて内密に相談するためだ。
けれど、もはやその必要もなくなったようだった。
章三が先ほど270号に顔を出した際に見た託生は、予想していた以上に落ち着いて見えた――ギイさまさまだ。と章三は胸の内でつぶやいた。章三の連絡を受けて、土曜の深夜、日付がかわってから祠堂に戻ったギイは、それから丸一日以上託生の傍を離れようとはしなかった。週が開けて、託生は今日の授業こそ休んだものの、明日以降は出られそうな様子だったし、あとは時間が解決してくれるだろうと思われた。
一方の東は、学校側が決着をつけたようだった。ただ、暴行未遂で退学というのは、やや厳しい処置にも思われる。勿論、章三も昨日の託生の様子を思い返せばまだまだ怒りがわいてくるし、それくらいは当然のことだとも思えるのだが、学校側の措置としては少しひっかかるところだった。それに、理由はどうあれ東を殴った自分が――仮にも風紀委員長が――お咎め無しというのも、気になっていた。
章三の複雑な表情を見てとってか、ギイは少し笑って言葉を足した。
「確かにオレも動いたけどな、言っとくが家名も権力も利用してないぞ」
「そうか?」
「そうだよ?」
章三は不満そうに眉をしかめた。相棒の言っていることが、その含意がわからない。
そもそも一体、何がどのように判断されて、こんなに素早い対応がなされたというのだろう。
自分の知る限り、ギイは休日の殆どすべての時間を270号室で過ごしていたように思われるのだが……
三洲が皮肉っぽく三階長に笑いかけた。
「随分と手際がいいんだな。流石は崎、ってところ?」
「褒められたんだと思っておくぞ、三洲に誉められるってのは滅多にないことだからな」
にっこり微笑んでそう返され、好きにしろよ、と独りごちる生徒会長を横目に、章三は躊躇いながら再び疑問を呈してみた。
「でも、東はともかく僕は……」
「そっちも問題ないよ。東も馬鹿じゃなかったってことさ」
またしても眉をしかめながら章三が返す言葉を探して逡巡していると、ギイは腕時計を覗き込んで軽く舌打ちをした。
「時間だな。オレ、行くから。二人とも、いろいろサンキュな」
「……ああ、お疲れさん」
章三はあきらめ顔でそう返した。
時間のせいだけではなく、ギブアップだ。
まだ聴きたいことも話したいこともある気がするのに、うまく形にならない――ギイと会話をしていて自分が馬鹿になったような気分になるのは、これが初めてではない。けれど、何とも名状しがたい違和感が、胸の中にくぐもっている。何だろう、これは。
助けを求めるでもなく振り返るも、生徒会長は黙ったままどこか遠くを見詰めているばかりだった。
「あ、それと」
距離のあるその声に、章三の心臓は少しくはねた。
振り返るギイのいつもの顔に、ほっと息をついて返事を返す。
「何だ?」
「託生にはオフレコな、今の話」
「わかってるよ」
章三がぶっきらぼうにそう返すと、既にギイはこちらには背をむけて歩き出しており、章三はその後ろ姿を見送った。
校舎の入口となっている扉が閉まり、ついつい、改めてため息をついてしまう。
それに気づいてか気づかずにか、三洲はくすりと笑った。
「さんざん心配させられて、仕事を中断させられて、結局俺達は用無しってわけか。全くおいしいところだけ持っていく男だな」
三洲の評言が含むいつものギイへの皮肉ぶりに、章三は自分でも意識しないままに安らいで微笑んだ。
「ああ。生徒会長も風紀委員長も、必要なかったみたいだな」
「それを言うなら、階段長もFグループの御曹司も必要なかったんだろ? 葉山を守るには、ただの崎義一がひとりで十分、ってことか」
「……三洲?」
微笑みを消して独り言のように呟く三洲に、章三は怪訝な顔をした。三洲はふっと息をついて、章三をまっすぐに見詰めていった。
「俺はね、崎は葉山のためには、自分の能力以上のことを出来てしまうんだなと思ったよ」
「それは……そうかもな」
章三は躊躇いながら同意した。確かに、自分の違和感の原因も、そこにあるのだろうと思う。
一体、ギイは『何を』したのだろう?
そしてそれは三洲の言うとおり、葉山のためなのだ。
「赤池」
「何だ?」
「それって、恐くないか?」
先ほどまでの皮肉ではない、真剣なその表情に、章三もようよう三洲の言わんとしていることをおぼろげに理解し始めた。
「怪物と戦う者は、自らも怪物にならないように気をつけなくてはならない」
「……ニーチェか」
「崎の立ち向かおうとしているものが巨きく見えるのは、やつが誰の手も借りようとしないし、必要としてもいないせいだよ。そしてそれは全部、葉山のためなんだ」
三洲はそう言い置くと、三階長の後ろ姿が消えた校舎への入口へと向かって歩き出した。章三はそれを黙って見送り、秋の空を仰いだ。
―怪物と戦う者は、その過程で
自分自身も怪物になることのないように
気をつけなくてはならない。
深淵をのぞく時、
深淵もまたこちらをのぞいているのだ。
F.ニーチェ『善悪の彼岸』
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リクエストをくださったice様、ありがとうございました!ええと、未遂になりました、すみませんヘタレで…。その他、章三三洲に視点を置いたせいか、ギイのキレっぷりも直接的には書けなくてあまりカタルシスがないかもしれません。その辺りご希望に沿えていない気もします、申訳ありません…。どうもわたしはネクラなようで、ちょっと暗いお話になってしまいました。ので、裏になってしまいました…。少しでも楽しんで頂けましたら嬉しく思います。
他とのつながりでは、「ハピネス・イズ・ア」の二本目ということになっております。三年ブラックギイタクシリーズなのですが、テーマは一応タクミの「嫌悪症」とギイの「強さ」を、黒~く考えるという感じです。タクミくんから遠く離れてしまいそうというか、もう離れてしまっているかもしれませんが…。いつかまた黒いものを書きたくなったら、続きを書きます。しかしそれにしても今回、引用がニーチェって…ベタですかね…(笑、まあいいか。
あと、託生は魔性設定のつもりだったのですが、そこまで書き切れていない気がします。託生がモテるお話は、黒くなくてもまた書いてみたいです。
タイトルは用字を変えていますが中村一義「永遠なる物」の歌詞からです。「Let it be」の訳語、だとわたしは思っています。
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