裏コイモモ
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「このブリオッシュ、すっごくおいしいね」
「気に入ってもらえたのは結構だが、ブリオッシュにバターか、託生」
「え、おかしいかい」
「元々たくさんバターつかってるパンだぞ」
「あ、そうなんだ。じゃ、カロリー高そうだね」
 あっけらかんと笑って、ふと真面目な作り顔をする。
「太ったらどうしようか」
 その言葉に、オレは少し首を傾げながら真剣に検討する。太った託生か。
「いいんじゃないか? 託生はもともと標準より痩せてるし。それに少しふくよかな方が、バイオリンの音がよく響くらしいぞ」
「そう? ほんとにそう思う?」
「ああ」
「じゃあ、ママレードものせようっと」
 素直に伸びる手にママレードのジャーをとってのせてやり、オレはじっとその目を覗き込んで、にやりと笑って見せた。
「それに、昨日は随分カロリー消費したし?」
「そうだね、ギイもね、もういっこ食べる?」
 返す手でのせられた手の中のパンを見つめながら、オレは黙った。
 つやつやと光るブリオッシュはあまりに健全で、いとおしくも頼りない。
「お前、前に、オレが太ったらふるって言ってなかったか?」
「そうだっけ」
 無責任な返答に、つい苦笑が洩れる。
「じゃ、ありがたくいただきます」
「ジャムもいる?」
「バターだけでいいよ」
 夜のうちに雪もやんだようで、すっきりと晴れた清清しい冬空が窓の外からきらきらと光を差し込んでいる。パンとコーヒー、卵、ベーコンの簡単な朝食を準備して部屋に戻ったオレは、ベッドの上でゆっくりと翼をひろげるかのような伸びをしている天使を見た。夜の中ふたりで散々みだしたシーツも朝の光に白く清められて、その美しさにぼんやりみとれてしまったオレは、託生に笑われて少しむっとした。
 それからこうして食卓にふたり向かい合い、託生は三つのブリオッシュをきれいに食べて、更にクロワッサンに手を伸ばしている。本当に太るんじゃないかと思い、オレはやっぱり安堵しながら少し拍子抜けしたような感があるのを否めなかった。
 あんなに、したのにな。


 三年になってからこちら、たまのデートは何しろ貴重な逢瀬なので、ゆっくり時間がとれるとついつい昨夜のように限度を超えて深く抱き合ってしまうようになっていた。最早オレにも止めようがない情動を知ってか知らずにか、託生もいとも簡単にオレを煽ってくれるので、ついつい行為が過ぎてしまうのだ。その度に深い眠りに落ちこんで長い睡りをとっている託生を見ては、オレはいつか託生を抱き潰してしまうのではないかと不安に駆られていたものだけど、いつからか託生は変わっていった。どんなに濃密な夜を過ごしても、朝にはすっきりと目を覚まして、こうしてオレのつくった朝食を食べている。
 勿論それはオレを安心させてくれる変化ではあったのだが、それでも何かが手のひらをすり抜けて零れ落ちたような気がして仕方がない。
 託生にはオレが物足りなくなってきているんじゃないか、なんて即物的な心配をしてしまうのは、おかしいことなのだろうか。逢瀬のたびに毎回疲れ切ってしまうのでは託生がかわいそうだとは思うし、それにオレの身体に溺れきっていて欲しいだなんて、傲慢で身勝手な感情だと自分でも思う。けど、身体で繋ぎ止めるという引力が託生にはまだまだ有効だとよくわかっているからこそ、少しだけ不安になるんだ。
 四月、オレが距離を置いたことで接触嫌悪症を再発させてしまった託生に対して、オレは心の底で昏い喜びを味わった。心の軋みが接触嫌悪症となって身体に表出してしまう託生には、言葉だけではなく身体で愛を伝えることがとても重要なのだと遅まきながら気付いたからだ。託生の心も身体も欲してやまなかったオレの恋情は、恋人という名のもとに、知らず深い楔を打ち込んでいたのだ。一年をかけて抜きがたくつくりあげた心と身体とでの繋がりは、少なくとも当分の間は託生をオレに縛りつけてくれることだろう。オレはそう解釈して、自分の身勝手さに自己嫌悪しつつも安堵していたのだ。
 けれど、このまま永久に託生を縛っておくことは出来ないのかもしれない。それは当然のことだ。託生は少しずつ変わってきたし、これからだってどんどん変わり続けるはずだ。
 だから、不安になるんだ。オレが力不足になる日が、もしくは相手がオレではなくても構わなくなる日が。いつか来てしまうのではないかと。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 




「忘れ物はないか?」
「うん。携帯も、持った」
 玄関に荷物を運んで、身支度を整え終えると、託生はオレの正面に立ち、改まった様子で口を開いた。
「ギイ」
「ん?」
「いろいろ、チョコも、ありがとう」
「こちらこそ」
 そんなふうに改まって言う託生の意図を測りかねて、オレはわざと軽く笑ってみせる。
「なんだよ、改まって。駅まで送っていくぞ?」
「お返し、するから」
「え?」
「チョコのお返し」
「託生だってくれたじゃんか」
「じゃなくて、おととしまでの分だよ」
 託生はふっと笑うとすぐに顔をしかめて手にした紙袋をあげて見せる。
「もう、こんなにいっぱい、荷物になっちゃうじゃないか」
「失礼な。愛の重みだろ」
「わかってる」
 軽口のつもりだったのに、真剣なまなざしで返されてしまい、オレはドキリとして、そして。
「だから、ホワイトデーはあけておいて」
 不意の言葉に、すべての思考が停止した。
「十六年分のお返し、考えておくから」
「……託生」
 覗きこんでいたまなざしをふわりとゆるませて、託生は微笑んだ。
「あんまり期待しないで、待っててよ」


 戸の隙間から覗く空は、昨日の荒天を忘れたように淡い蒼だった。真っ白い世界はきらきらと陽をうけて、清浄この上もない。照り返しを受けて髪の上にエンジェルハロをつくり、託生はノブに手を掛けたまま開きかけた扉を背にして半身をとらわれている。オレは引き寄せた肩を片腕で抱き、開いた手で託生の頬をそっと支えると、恭しく唇にキスをおとした。
 厳かに、誓いを唱えるように。
 果敢ない言葉が、想いが、消えてしまわないうちに、こうして閉じ込めてしまいたい。












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 「ハピネス・イズ・ア」の、黒ギイでは一応ラストです。黒タクミも気が向いたら書くかもしれません。

 ブラック(暗い)ギイタクシリーズということではじめたハピネスですが、結局ラストは多少浮上…したつもりです。当社比で。本当は、もっと黒くぐるぐるしたまま終わるのもよいかと思ったのですが…。
 でもやっぱり託生はどこか突き抜けてる人だという印象があるので、どんなに黒~くぐるぐるしてみても、託生は託生だろうって気がします。ギイの方は、この人は落ちたらとことんって予感がしますが(笑、でも託生が居る限り絶対大丈夫だろうな、という気もします。

 内容については、いろいろと説明不足だと思います。進路のこととか、この時間の前後とか、推測できないように書いたつもりです。原作でまだ書かれてないですし。あまり暗い未来は書きたくないのですが、しかしブラックギイタクでは明るいだけの未来も書けないし、ということで宙吊りです。

 タイトルは、バッハの教会カンタータ「来たれ、汝甘き死の時よ」から拝借…では勿論ありませんとも、ええ違います、某有名アニメ映画の挿入歌タイトルからですすみません…(しかしこのタイトルのネタ元がバッハだって知ったときにはちょっとびっくりしました…。甘い死という言葉には別の意味もあるそうですが、そっちの意味でも合っているのかもしれません。

 ところで、やはりR18って…難しいですね…今まででいちばんきわどいのを書いたつもり、なんですが、推敲が大変でした。まだミスがありそうな気もします…。
 実は、このお話は一年前に書き始めてはいたのです。R18の部分が書けずに放り出していたのを、余所で修行してきて、やっとなんとか書いてみたのでした。しかし、まだまだ修行が必要だなあ、と再確認してしまいました…(笑

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