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「覚悟してるから」
 オレの顔を覗き込み力のこもった声でそう囁くと、託生はかすかに微笑んだ。











「春にして君を想う」










 先週の入寮日、新入生名簿を受け取ったオレは、新階段長の打ち合わせに遅れるのを承知で街に降り、髪を切って度の入っていない眼鏡をつくった。
 計画を託生にだけは伝えておこうかとも思ったけれど、夜まで迷ったあげく結局連絡はしなかった。
 新入生名簿を見ただけでは実際にどんな状況になるのかは判らなかったが、もしかしたら新学期の祠堂はオレの予想を超えた悪い環境になるかもしれず、もしもそうなればオレも何らかのえげつない手段をとらざるを得なくなるかもしれない。そんな可能性もゼロではなかった。
 そして……そんな状況を託生が見たら、オレから離れたくなるかもしれない、と思ったのだ。もしそうであれば、その現状からだけではなく、現状から予期されるオレとの未来を拒むようなこともあり得るだろう、と。



 本気なのかどうかは測りかねたにせよ「家をつぐから」という一言でオレをシャットアウトした、それが出来てしまった託生であれば、わずらわしい環境を背負って生きることになるだろうオレとの未来を拒否するということも、充分に考え得ることだと思われた。オレの方では、託生とオレの未来が明るいばかりのものではないだろうということについてはとうに覚悟が出来ているし、それでも完全に――そう、完全にだ、『可能な限り』や『力の及ぶ限り』だなんて修辞のついた意志は、オレにとっては何の意味もない――託生を守るという決心だって出来ている。けれど、託生にそんな覚悟を強制することなんてできやしない。そしてもしも託生が、オレと生きる未来を回避することを決断するのなら、オレには託生を非難する権利なんてない。託生には託生の進む道を自分で決める権利があるのだし、託生がそう望むのならオレは潔く身を引くしかないのだ。
 だから、託生に択んでもらおうと思った。どんな状況になるにせよ、託生自身に判断してもらいたかった。予備知識のない状態で祠堂に戻ってもらうために、オレはあえて電話を入れなかったのだ。



 けどそんな決心は、託生に再会した瞬間に吹き飛んでしまった。
 どうしてあの手を自ら離そうなどと、一瞬でも迷えたのだろう?
 オレに向かって駈け寄ってきた託生に触れた瞬間、このぬくもりを失う時はオレの世界が終わる時だと思い知った。
 結局はオレの決心など、託生に拒絶されることを想定することで、いざそうなった時の自分の痛みを緩和しようという自己中心的で愚かな浅知恵でしかなかったんだ。託生のためなんて本気で言うのなら、オレは『同性の恋人』なんてやっかいなものを押し付けるべきではなかったのだ、最初から。けど、自分が友人という位置では決して甘んじることができなかっただろうこともよく判ってる。どうあっても身を引けない以上、託生を巻き込んでしまう覚悟をすべきだったのだ。



 とはいえ、オレが本当に事態を理解したのは、おそらく託生が他の人間にキスされているのを偶然見てしまったあの日だったのだと思う。正確には、託生を中庭で抱いたあの時だ。


 あの特の自分の精神状態を思い出すと、流石に我ながら恥ずかしい。あれほどまでにセルフコントロールのきかない状態は、生まれてはじめてだった。
 や、正直な話健全な青少年としては、外でいたす、ということに全く興味がないわけではなかったけれど。でもそれは別にスリルを求めていたというわけではないし、あんな危険な場所でというのは全く考えていなかったことだ。
 第一、そういうのは託生が嫌がると思ってたし。
 だから、オレを止めようともすることもなく、自分でも制御できない状態のオレを声を殺しながら迎え入れてくれた託生を思うと、すまなさを感じると同時に、どうしても昂ぶってしまう気持ちを抑えられない。



 だってあれは、託生の覚悟なんだ。


 「覚悟してるから」と告げてくれた当の本人は、果たしてその言葉の意味を解っているのだろうか?
 その言葉が軽い気持ちで口にされたものなのだとは思わない。確かに「家をつぐから」とあっけらかんと告げられた夏から、まだ一年も経っていないけど――けど、問題はそんなことじゃない。



 託生の身体に異変が起き、一年前と全く変わらない症状を目の当たりにして、心の底から自分の手際の悪さと判断の怱卒さに後悔する一方で、やっと理解したことがあった。
 おそらく託生は、心よりも身体でオレを求めている。というか、その二つが分離できない状態にある。
 考えてみればそれも当然のことだ。なぜなら託生の人間接触嫌悪症は、心があげていた悲鳴が外部に顕れたものだったのだから。見えない心の傷がダイレクトに嫌悪症として身体に顕れる託生であれば、その心を癒してやるためには身体で愛情を伝えてやることもきっと必要なのだ。勿論それは情交である必要はないのかもしれないけれど。そして、その相手はオレじゃなくても……たとえばもし三洲だったら、たぶん三洲でもよかったんだ。
 一年前なら。
 けどたぶん、今はだめだ。己惚れではなく、おそらく今はもうオレにしか癒せない。



 ひよこの刷り込みインプリンティングみたいなものかもしれないけど、託生がオレをパートナーに選んでくれた今は、オレが、しかもオレと身体をかさねることが必要なのだ。
 だから、託生の覚悟はきっと心よりも身体でなされている。あんな場所で抱かれたのはたぶん、そういうことだ。だって、託生にはオレが必要なのだから、オレが――そうさせたんだ。
 卑怯だったのかもしれない。勿論ここまで想定していたわけではないけれど、託生との関係に身体をつなぐことを含みこませたのはオレの恋情なのだし、それはただの身勝手だったのかもしれない。
 だって、託生はもうきっとオレなしでは居られない――すくなくとも、今はまだ。
「ごめんな、託生」
 託生の覚悟は、オレがさせてしまったものなのだとしたら、オレは




(・・・・・)



 周囲の耳目を憚るかのようにつつましいノックが二回、ドアがそっと開かれる。
 もしそうでなければ、オレは一体どうなってしまっただろう?
 オレはつまらない思考を中断し、全神経をそちらへ向かわせる。
 細く開いたドアの隙間から滑り込んできた託生を、心からの笑顔と隙間のない抱擁で受け止める。挨拶も交わさずに何度もキスをして、どこかの誰かに感謝と怨嗟の祈りを捧げる。
 オレの手にした類い希なる幸福と、それを失うことに対する絶望にも近い恐怖に。












---
 ギイにせよ託生にせよ、「美貌のディテイル」の二人の行動や思考ってわたしにはかなり唐突でした。一番違和感があったのは、あのギイにしてはこの策がオソマツすぎるということ(少なくとも前夜に託生に電話の一本でも入れればよかったのに、と思う)と、ギイの言葉を託生が受け止められなかったこと(いくらギイの変貌でテンパってても、ギイの必死さを託生がいっこもわかんないというのは寂しい…)でした。
 でも、これもまた、急に三年編やることになって設定や展開に無理がきちゃったんだな~と考えてしまうと、つまんない気がするのです。なので、なんとかその違和感に説明をつけよう!ということで、個人的に三年編と折り合いをつけるために書きたかったお話なのです。理屈っぽくて説明ばかりで…すみません。

 このお話はつきつめて考えると、すごくしんどいことになっていくだろうという気がします。
 個人的にはタクミくんっていくらでも暗いお話が書けてしまう設定だと思うのですが(いえ元々わたし自身がネクラなせいもあるのでしょうが)でもやっぱりタクミくんなので、基本的にはぐるぐる考えてても結局ハッピー、であってほしいという気がわたしはしています。なので、こういう暗い系ぐるぐる話は裏に置きます。こういう系統を続けると、もっとダークになっていってしまうと思います…(あ、でも、ギイタクの別れとかは、死別も含めて、書きません…多分。イレギュラーを除いてですが)。

 タイトルは小沢健二の同題の曲からです。すごく好きなタイトルなんですが、「想う」の字面が少し苦手です。でも「想う」も「思う」もなんだか違う気がします。うーん。

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