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 特別な人間、というのは確かに存在するのだと思う。

 三洲の二級上に居た卒業生の相楽は、まさにそう呼ぶに相応しい人間だった。知力・身体能力といった基礎的な力は言うに及ばず、問題処理能力・発想力・社会性その他、果ては人格や家柄といった点の全てにおいて周囲から一歩も二歩も抜きん出ていた彼は、やっぱり誰にとっても特別な存在だったし勿論三洲にとっても特別な先輩だった。彼に関する情報は入学当初から華々しい活躍話や・驚嘆すべき逸話、そして他愛のない噂の数々までいろいろな所で耳にした。話に聴いただけでも只者ではない先輩だと思われたものだが、短い期間ながらも生徒会で一緒に活動をしたことで、間近に相楽を見て・接して、やはり相楽は特別な存在なのだという意識を新たにして、三洲は相楽に憧れるようになっていった。

 基本他人と深く関わらない三洲ではあるが、逆に自分が認めた人間に対しては人並み以上に興味・関心・好意を持つという面を実は持っている。だがどんなに他人に惹かれようと、それでも外面だけはかわらないように取り繕って振る舞うので、三洲の興味のありどころというのは中々周囲には気付かれにくいのだった。しかも相楽の場合は誰にとっても特別な存在であったし相楽に熱烈に憧れる人間も多数存在していたので、その中で三洲がこっそり相楽に憧れてみても全く目立たなかったし周囲に埋没してしまっていた。そんな風だから三洲の相楽にたいする憧れが如何に強いものであったのかということは三洲の他の誰も知らないし、相楽本人も勿論知らなかったのである。

 三洲が生徒会長を志したのも、そもそもは相楽の影響が大きい。穏やかで如才のない(ように周囲には見える)三洲は、学校生活の中で役職というものを押し付けられがちな人間であった。三洲は見かけに寄らずお祭り好きなのでそうした仕事を苦に思ったことはなかったし、だから祠堂においても生徒会活動には自ら進んで協力していた。とはいえ様々な意味で派手な人間の多い祠堂においては、流石に自分は会長の器ではなかろうと思っていたし、一歩引いて裏方に徹しようと当初は考えていたのである。
 しかし相楽に出会い、特別な存在の持つ引力に引き込まれるようにして三洲は次第に考えを改めた。自分は会長以外の役職に就きたいのではなく他の役職でも構わないというふうに考えているだけであり、それは傲慢な考え方で且つまた怠慢でもあるのではなかろうか。向上心のない奴はバカだ、とどこかで聞きかじった言葉を自分に突きつけて、三洲は生徒会長を志すことを決めた。やるのならば徹底的に、が三洲の身上だ。それに自分には確かに派手さはないけれど、才覚においては同期の誰にもひけをとらない自信はあったのだ。そうして三洲は生徒会活動に打ち込むようになっていった。

 そんな三洲の努力・決心・心意気は相楽に三洲を意識させることに成功し、次第に相楽の方でも三洲を特別な後輩として認識しだしたようだった。三洲の努力に比例するかのように、相楽はしばしば三洲の仕事を褒めたり、更に外部の人間に三洲を自慢したりするようになった。自分の能力を過小評価する三洲ではないので、与えられた仕事を的確に・素早くこなしたからといって敢てそれを自慢に思うことはないし、これまでは他人に賞賛されてもむしろうっとうしいくらいに考えていた。だが相手が相楽であれば別だった。相楽に褒められるのは彼に認めてもらえたようでうれしかったし、励みになった。つまりは相楽が三洲にとって特別な人間だったということなのだ。

 相楽と比べるなどというのはおこがましいというか最早かわいそうになってしまうのだが、あのどうしようもないバカだって、認めたくはないがやっぱり三洲にとって特別な人間なのだろう。バカな人間の大嫌いな三洲が、バカだバカだと思いながら未だに真行寺の相手をしてやっているのはきっとそういうことなのだと客観的には思われる。もうそれは仕方がない。但し、特別の意味合いは相楽の場合とは全く違う。
 相楽は紛れもなく特別な人間だった。だが、彼は誰にとっても特別な人間だった。三洲にとっての相楽は、公の場における相楽とほぼ同一だった。尤も三洲は生徒会やプライベートで余人よりも少しだけ多く彼と関わることが出来たので、皆の知らない三洲だけの相楽というのも確かに存在する。だがそれは公の相楽の延長であって、純粋な意味で三洲だけが知りえた相楽ではないのだろうと思われる。

 一方真行寺の場合は、他の誰にとっても特別な人間というわけではない。勿論真行寺を特別に思う人間もいるのかも知れないが、とにかく三洲にとって真行寺が特別なのは、公の真行寺ではない彼を知っているという意味においてだ。アラタさん好きです、とか頬を染めて言ってしまうような最高に頭の悪い状態の真行寺のことは誰も知らないだろうし、あれは三洲だけのものなのだ。思えばあのわけのわからないを見たときから、既に真行寺は三洲の特別だったのかもしれない。わけがわからないながらも、バカだと思いながらも、それでも忘れられなかった。三洲はバカが大嫌いなのに。

 更に三洲は、そんな真行寺を誰にも譲りたくないとまで思っているのである。相楽は三洲のものではなかったし、三洲自身も彼を独占したいと思ったことはなかった。勿論相楽にあこがれていたのだから、彼とって優先順位の高い存在になりたいとは思っていたし、実際彼が三洲よりも崎や他の人間を優先することに少し痛みを覚えたのも確かである。だが相楽に近づきたいと思う気持ちは、相楽を一人占めしたいというのとは似て非なる感情である。
 真行寺に対してはそうではない。三洲は自分しか知らない、自分だけの真行寺を誰にも教えたくないと思っている。逆説的だが、だから真行寺は三洲の特別になったのである。三洲にとって特別な真行寺を、三洲が独占したいと思ったからこそ、真行寺は三洲にとって特別な存在なのだというパラドキシカルな感情回路があって、それが三洲があのバカを拒絶出来ない理由になっているのだ。
 三洲にとっても誰にとっても特別な相楽と、三洲にとってだけ特別な真行寺。それぞれに対する三洲の思いは明らかにカテゴリーの違うもので、名付くならばそれは憧憬と恋情××××××××××××××××××、この辺りの考察は使用禁止用語が多量に含まれるがゆえに難航を極めており、三洲の中で曖昧なままにされている。だが、言語化するとすれば明快に・論理的に・速やかに片がつけられるものと思われる。

 だからむしろ今厄介なのは、三洲にとって明らかに特別でありながらその理由が全くわからない葉山なのだ。
 葉山はいろいろ風変わりなところはあるものの、そういった意味では明らかにごく普通の人間である。そして三洲にとっての葉山もまた、ごく普通の友人・クラスメイトでしかない。せいぜい踏み込んだとしてもルームメイトという関係だ。だから三洲の前の葉山は公の葉山の延長でしかない。三洲だけの特別な存在である真行寺とは、全く違う。
 葉山が三洲の前でを見せたのも、言ってみればアクシデントのようなものである。確かにあの葉山は他の友人・クラスメイトの知らない特別な葉山だったのだろうが、三洲がそこに居合わせたのはただの偶然でしかない。葉山が三洲の前でああも無防備に泣いたのは、葉山にとって三洲が特別な存在だからではなく、三洲の存在を等閑視していたからだ。だから特別な葉山を見たということ自体に少しは喜びも感じつつ、しかし覗き見をしてしまったかのような後ろめたい気分の方が勝っているのである。

 それでも、たとえあれがただのアクシデントであったとしてもだ。
 あのをこうして思い出すだけで、三洲の胸はしくしくと痛むのだ。
 あの特別な葉山は、三洲の存在を許容した葉山というわけではないのだから、三洲が見るべきではなかった葉山なのだから、見なかったフリをしておくのが一番よいのだと頭ではわかっている。なのに三洲は未だにあの涙を忘却・遮断することが出来ずに、無駄な思考をぐるぐると続けている。あの痛ましい、うつくしい涙、触れることの叶わないそれを何度も思い返しては三洲は多大なる脱力感と・かすかな無力感と・理由のわからない焦燥感とを感じた。何故こんなにも心が動くのか、未だによくわからない。この感情は何なのだろう。苛立ちや呆れも勿論あるが、こうまで引きずっているのはそうした感情からではないはずだ。三洲の中にある感情を名付くとするならば、一番相応しい言葉は何だろう――同情・憐憫、あるいは共感・同調? 感覚的に一番近いのは、感動という語彙だろうか。確かにあの葉山に三洲の心は動いた。だが、どんな方向へ?
 葉山の涙に自分の心が動かされたというのならば、この心はどこに向かっている? わからない。

 だが、三洲がこうして悩んでいる間にも、葉山はひとりで泣いているのだ。
 だから三洲は、考えるよりも先に動く決心をしたのだった。







■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■








 点呼をすませ、ベッドの上で見舞い品の雑誌を眺めている葉山を見て、三洲は改めて満足の吐息を吐いた。その表情は穏やかで、今朝までのものとは全く違う。これが普段の葉山なんだなと思うと、三洲はうれしくなる。これから一年間、三洲は「これ」と一緒に暮らすのだ。
 ジャケットをはおりながら、声をかける。
「葉山、今から出掛けてくるから」
 雑誌から顔を上げると、葉山はきょとんとした目でこちらを見守っている。こんな無防備な表情も多少間が抜けているが愛嬌があると、三洲は好意的にその視線を受け止めた。
 少し首を傾げて、葉山はおずおずと口をひらいた。
「え、でも……こんな時間に?」
「こんな時間だから、だろ?」
 余裕の笑みを送ってやると、葉山は目をまん丸に見開き、やがてうろうろとさまよわせはじめた。子どもっぽいうぶな反応に、三洲が呆れつつもしかし安心してしまうのは、その表情の豊かさのためだろう。この朝までの、外界を遮断しているかのような葉山は本当に辛そうだったのだ。何もかもがすぐに顔に出てしまうこの葉山こそが、本来の葉山なのだろう。三洲は大いに満足した。
 葉山のために何をしたらよいのか、何が必要なのか、それは考えるまでもなく判ることだった。
 だが、その必要な何か、即ちあのバカ、つまり――崎は、どうやら動きそうもなかった。崎の親友であるところの赤池も、今の崎は友人でも恋人でも動かないだろうと言ったのだ。一番大事な存在である葉山を拒絶している以上、他のどんな友人でも相棒たる赤池であっても、崎をうごかせないだろうと。だから赤の他人である自分が動いた。崎のことはどうでもよかった。ただ、葉山のためにしたことだった。ある意味では葉山の相似形のように外界を遮断していた崎は、三洲の忠告によって初めて葉山の状態を知ったらしかった。だからあいつはバカだと言うんだ、と三洲は大いに呆れた。三洲が動かなければ、まだしばらくは葉山の不調にも気付かずにいたことだろう。となればつまり、崎が動いたのは、即ち葉山がこうして早々に元気になったのは、全て三洲のお陰ということになる。
 だからこの葉山は、言わば三洲の戦果なのだ。
 本当に、今朝までとはまるで違う。
 もっと、見てみたい。近くで。
 三洲はわざと葉山のすぐ傍まで近寄ると、その顔をじっと覗きこんだ。
「なに、葉山?」
 近づいた顔に少し怖けるのには気づかないふりでその眸を見詰めると、葉山も引かずに三洲の目を見返した。そのまなざしはとまどいを含ませつつも、三洲を拒絶するものではない。
 白い頬だ。 
 三洲はまたふとそう思い、昨夜そこに流れたうつくしい涙を思い起こす。あれは綺麗だった。けれど同時に、痛ましかった。もうあれが流れることがなければ、それでいい。
 三洲はふと葉山から離れ、会話を再開させた。
「治ったらしいな、病気」
「あ……、うん」
「つまり、仲直りも成功したんだ」
「えっ! や、いや、それは、その……」
 葉山はあからさまに動揺しつつ、三洲がまた釘をさしてやると観念したように言葉を捜しながら報告した。
「仲直り、したことはしたんだけど、でも、やっぱり以前のようには、つきあえないかな、うん」
「……そうか、そう来たか、ヤツは」
 そこまで警戒するような、一体何ほどのものがあるのだろうとも思うのだが、少しからかってやればみるみる顔を赤くする葉山の様子に、流石に崎も気の毒になってきた。
 ああ、全く。こんなにあけすけで無防備で、いいのだろうか。こんな状態では、三洲の目にはささいな機微まで丸見えである。バカだバカだとは思っていたが、ここまでバカだったとは、流石にちょっと予想外だ。真行寺以上だ。だが、ああ……これこそが本来の葉山なのだ、おそらくは。
 確かにこんなバカを守ろうとするならば、それは並大抵の苦労ではないだろう。新入生の名簿に三洲でさえ不安になるような名前を一つならず見つけた後では、そして葉山がここまでバカだったと知った後では、崎の過剰な心配・不安・用心も判らないではなかった。だが、その過剰さが却って害ともなり得ることも、今回の件ではっきりした。
 だから、三洲が守ってやるのだ。
 葉山が予想していた以上のバカであった上に、そしてその葉山を守るべき崎までもがこれまた意想外にバカであると判明した以上、三洲がフォローしてやらなければ仕方がないではないか。
 三洲は微笑んで、改めて葉山と目を合わせた。念には念を入れてやることにしたのだ。自分からは動きそうもない葉山を崎の元へ送るために、三洲はこんな下世話な策を弄した――今夜は一晩崎と過ごして、完全に元に戻して貰えばいい。
 だが、バカで鈍感な葉山には言葉にしなければ伝わらないかもしれない。三洲は壁のカギをとると、はっきりと釘をさすことにした。
「一応持って出るけれど、俺と真行寺はそういうことだから。今夜は葉山もここへ崎を連れ込むなり、崎のゼロバンへしけこむなり、好きにしろよな」
 わざわざらしくもなく真行寺の名前まで出して、挑発してやった。
 一体今度はどんな顔をするのだろうと、三洲は葉山の顔を見返した。
「み、三洲くん、それって、」
 顔を真っ赤に染めた様子に満足し、三洲は意味ありげに笑って部屋を後にした。

 人気のない廊下に立って、三洲は一人息をついた。足音を潜めて歩きながら、自然と頬が緩んでしまう。
 三洲は葉山のために自分が出来ることを見つけられて、単純にうれしかった。
 崎がバカだから、赤の他人である自分が助けてやるのだ。らしくないことだとは思うが、それが葉山の援けになるのならそれでいいではないか。何しろ葉山は、三洲にとって――何なのだろう? それは未だにわからない。
 わからないながらも三洲は、あの胸の痛みがきれいに消えていることにふと気付いた。
 痛みの代わりに、だが妙にあたたかいものが残っている。
 これは、何だろう。
 まるで、胸の中に小さな
が灯ったかのような。
 決して激しい焔ではなく、しかしとてもあたたかい。
 この初めての感情は、一体何と名付ければよいのだろう?
 三洲はそれ以上考えるのをやめた。言葉にするとそのあたたかいものが減ってしまいそうだったのだ。それでも、そのあたたかいものが葉山によってもたらされたものであることは明白だった。三洲は一人で微笑んだ。
 いずれにしても、今回は自分はうまく役に立てたのだと思う。
 またこんな機会があれば、また援けてやろう。
 三洲は足取りも軽く、真行寺との約束の部屋へ向かって歩いていった。

 (To be continued...)












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 お付き合いくださいまして、ありがとうございました。
 そのにの後間が開きまして、すみませんでした。

 三洲ってすごく好きなんですが、いまだに全然理解出来ない人です。
 過去には家族間での呼び名の件で既にかなり仰天させられましたが、『暁』なんかでも、ギイが企画を一抜けしたことにガッカリした三洲だとか、真行寺からのチョコに毛を逆立ててる三洲だとかには、結構ビックリしたのでした。でも意外に思いつつも、納得もするというか。真行寺がいつか言っていた、本当とウソが同一平面上にある、という表現がとてもしっくりくるのですが、つまりよく判らない人ってことなんですよね。なので、わたしにとってはいまだにビックリさせてくれる面白いキャラなのです。

 しかしそれゆえに、二次創作で書きづらいことといったら、ギイと同じくらいかもっと上、って感じです。まあ多分、判った!という気になることはこの先もなさそうなキャラなので、いっそ好きなように書くとか、何通りか書いてみるとか、してみようかな、という気になっています。
 というわけで、今回は三洲を好き放題に書いてやる!ってことで、かなり極端につくったつもりです。結構最低な性格だったり、実は託生大好きだったり、にもかかわらず真行寺にも本気で、でもちゃっかり真行寺を利用したりもするような、そんなアラタさんになって、アラタさんファンの方には怒られてしまいそうですが、わたしとしては満足しております…(笑

 けど、そんな感じで好き放題に書いていた途中、『シエル』本誌のタクミくん特集を見てまたビックリ。原作者さまの三洲へのコメントは、「毎日楽しそうだよね」…!…!!…そうだったんですか!!(笑。わたしはよく判らないなりに、三洲って息苦しい生活を送ってそうだよなあ……、と思っていたので、この言葉には驚きを禁じえませんでした。でもこの件でますます三洲が好きになってしまいました(笑。まだまだ想像する余地がたくさんありそうな人です。

 そんなわけで、まだまだよく判らない三洲の、まだまだ途中経過の三洲タクでございました。なんだか半分くらいは真三洲になってしまったような気もしますが…でも途中経過ということで、実はまだ続く予定です。どこまでって、もちろん三洲が思いを遂げるまで!(笑。その折にはお付き合い頂ければ幸いです。










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