ぱしっ、という乾いた音に目をやれば、丁度白ワインが男の頭にぶち撒かれる場面であった。流線型のワイングラスから金色の滴が飛び散り、ほんの刹那の芸術をつくり出して消える。
 暗い色の髪はみじめに頭にはりつき、ワインの洗礼の直前うたれたのであろう頬はやや赤みを帯びて、こんな時でも男は伊達で美しかった。前髪を垂れる水滴を見つめふっと笑い、新たに頬にしたたるワインを右手ではじき、そのまま前髪をすき上げる。首をくっと反らせて振ると、髪の先からまた幾許かの滴が絨毯に降った。
 余裕の見られる男の仕草に、空になったグラスを持ったままの女は、肩をふるわせながら柳眉をさかだてている。ステムが折れるのではないかと思うくらいに強く握り締めるその手もまた、そんなに力を入れては壊れてしまうのではないかと思うくらい白くたおやかだ。赤く染めた爪の先まで繊細で、こんな情景に配されてしまうには少々痛々しくもある。
 男が口を開きかけたとき、カメリエーレが早足で歩み寄り、タオルを差し出しながら声をかけた。「お客様、いかがなさいましたか」「ちょっとした行き違いなんだ。ああ、悪いね」流暢なシチリア語で返し、タオルを手渡した青年ににっこり微笑みさえした男を、女はすさまじい形相で睨みつけている。のんきにもタオルで顔をぬぐい出した様子に、女は美しくルージュでいろどった唇をゆがめて英語で叫んだ。「このろくでなし! あんたみたいに最低な男、見たことない!」


「きのこ」
「え?」
「きのこ、平気だったか」
 アフロディーテは急いで振り返り、男の言葉を考えた。からになっている手元の皿を見下ろし、ああと思う。男が選んだセコンド・ピアットの白身魚には、他の野菜と一緒にポルチーニ茸のつけあわせが載っていた。
「ああ、おいしかった。わたしは何でも好きだ」
 今日のオーダーはすべて男に任せていた。アフロディーテはいくつか好みを伝えただけだ。イタリア語はまだ勉強中なので、特に外出先では男に頼り切りになってしまいがちだ。自分のために男があれこれ考えてくれるのが殊の外楽しい、ということに気づいてしまったからでもある。
「トマト味のパスタもよかったし、ワインもとてもおいしかった」
 素直なアフロディーテの言葉に、男は一瞬目をしばたたかせてから、にやりと自慢げに笑った。
「なにしろ、シチリアーノだからな」
 男はそううそぶいた。