「アリオーソ」




 わたしは月夜を歩いていた。
 暗闇の中、真っ直ぐに続く道を、月の光が細く照らしている。
 わたしはその中を歩いている。


 一本道をてくてくと歩きながら、いろいろなことを思い返す。懐かしい北方の国、生まれた朝の日の光。初めてサンクチュアリを訪れて目にした、並み居る聖闘士たちの聖衣のきらめき。その後長い間――わたしが最初の死を死ぬまで、日々丹精した薔薇たちのつややかさ。
 随分意識的な回想ではあるが、おそらくこれがあの走馬燈というものなのだろう。――そういえば、あの青銅とまみえた時も、冥闘士となり果て嘆きの壁に参集した折にも、走馬燈など見なかった。今度こそ本当に、これが最後になるのかもしれない。


 記憶のひとひらひとひらが、きらきらと光って現れては消え去っていく。そしてきっと、わたしの手には二度とは戻ってこない。大切な記憶たちを見送りながら、わたしは一向に現れてくれない男の姿を探していた。影のような闇のような、あのどこか薄暗い男は、わたしの思い出の中にはほとんど居ないも同然だった。時折黒い姿をさっと閃かせては、またすぐに消えてしまう。わたしは少し失望しながら、同時に諦めも感じていた。なにしろ生前、いや死んでからもだが、彼とわたしにはさしたる接点もなかったのだ。