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その手をここに――(「宣戦布告」続編)

 かつて僕は走る動作をとおして馬が何を感じ、何を思ってるのかわかる気がした。でも今は、こいつの沈黙がわかる。こいつが黙っていたいときと、そうでないときとがわかる。僕を乗せたいのだということがわかる。僕は自分の脚の感覚を知らないが、こいつはそれを知っている。
 僕の馬。僕の脚。
トップでゴールして20位降格されたあの男、あいつは飯を食っている間にさっさとどこかに歩いていってしまい、おかげでこちらはえらく難儀して皿を返さなければならなかった。親切の方が逆に腑に落ちない気持ちと、さっきの「共同戦線」の話はなんだったんだよという気持ちが混ざって、僕は何だか混乱して馬の背にもたれた。馬のたてがみは柔らかく、日が温めた土ぼこりの匂いがする。
それに、礼も言いそびれてしまった。
本部に寄って簡単な補給を受け、馬を繋ぐ場所を指示されたが、もちろんつなげるわけがない。こいつをつないでしまったら、結局僕も一緒につながれることになってしまう。 馬から降りると猛烈に眠気が襲ってきた。スタートにはまだ時間があるし、一時間くらい仮眠したっていいだろう、と思っているうちにもう眠りこむ。
目が覚めると、馬がいない。戻ってくることはわかっているので、退屈になって散歩にでも行ったのだろう、くらいにしか思わないが、こちらは何だか一人きり、手持ち無沙汰になって寝転がっているしかない。僕は辛うじてできること、上体の向きを変えて地面に肘をつく。戻って来いよ、もう起きたからさ。
「ジョニィ・ジョースター」
 名前を呼ばれる。目の前にざっと砂埃を上げて、ブーツの踝が一対。またこいつだ。でもこいつがこうやって現れることは知っていたような気がする。共同戦線?
 なんだよそれ。
「腹いっぱいになると眠くなるのかよ。ガキだな」
「何だとッ」
 カッとなって睨むと、ジャイロ・ツェペリは例のやりかたで、唇をにっと引いて笑った。
「馬はどうした」
「今いない」
「留守番のガキかよ。つないでおかなかったのか」
「つながないんだ。」と僕は遮るように言った。「あいつは僕のことをよく知ってるし、あいつはあいつで考えているんだ。だからつながないことにしてるんだ。」
 やつの目の奥が一瞬動き、深くなる、といきなり屈んで僕を抱き上げた。と言うと変な感じがするが、文字通り、背中と膝の下を抱えて抱き上げた。
「う、わッ」
「じゃあこっちから出向いてこうぜ」
 とこいつの声が耳のすぐ上で言う。
 これは家にいるとき使用人によくしてもらっていた体勢だから、違和感はない。妙に懐かしいような気と刺すような変な感じが入り混じって僕は顔をそむけた。
 背中にやつの大きな手の骨格までを感じるが、脚の方はやはり何も感覚がない。気流を巻いて鉄球を回転させる手、その手がいま僕の脚を抱えていて、僕は不思議な、そしてやはり悔しいような感覚をこめてそこを見つめた。やつも同じところを見ていて、逆から辿るように、目が合った。
 やつは何も言わない、かちり、と照準が合った視線を逸らして、僕の頭の上のどこかを見る。
「自分のせいだ」と咄嗟に言っていた。
「は?」
「自分の責任なのか、それとも事故でこうなったのか訊きたいんだろ。自分のせいでこうなった」
 僕は思い切り顔を反らして上を向き、帽子の下で陰になったやつの視線めがけてそう言うと、耳のそばで深い含み笑いのような低い響きが聞こえ、
「わッ」
 僕は荒っぽく抱えなおされて頭をやつの胸にぶつけた。
 スタートライン付近はずいぶんともう人でごったがえしていて、そしてその人波をわけて歩く僕たちを行きかう人々がじろじろと凝視する。なかにはあからさまに覗きこんでくるやつがいる。あたりまえだ。女の子を抱えるような格好で大の男を持ち上げて運んでいるんだから、奇妙でないわけがない。ジャイロも煩いと思ったのかごく軽く舌打ちし、しかしにっと唇を曲げる例の笑い方で金歯をのぞかせると、
「何見てんだい。羨ましいのか?君たちも抱っこしたいのか?」
 といきなり大声で言い放つ。面食らった顔の群集をわけて歩調を緩めない。こっちは度肝を抜かれて「おいッ」とまた首を上げた。
「なんだよ。気になるならこんなことしなくってもいいんだよッ」
「気になる? 何が?」
「だからその、変な風に見られるだろうが。変態だと思われてもいいのかよ」
 途端にジャイロは弾かれたように派手に笑った。「ばか。お前なんかおれのガキがせいぜいだろうが」
「そんなわけないだろ!あんた俺が何歳か知ってんのかよッ」
「興味ないね」
 と、つと頭の上に顎がのって首を向かされた先に、ぼくの馬が一頭でうろうろ歩き回っていた。ほんとうに散歩でもしているみたいに。「あ。」
「おたくはあいつが考えてることが分かるのか?」
「分かるよ」僕はむっとして言った。耳のすぐ上でまた含み笑いが聞こえた。僕はもういちど口を開ける。
「ありがとう」
「何?」
「ありがとう」
 と僕は繰り返した。
「さっきの食事のとで二回分だ。人に助けてもらったらきちんと礼を言うという教育を受けて育ってるんだ。」
「ふん、良い心掛けだ」とやつは喉の奥で言い、また頭を上から押さえつけられる。「ガキだな」
「ガキガキって言うな、ジジイ」
「俺がいくつか知りたいのか?」
「興味ねえよ。アゴをどけろ」
「なあ、どうしたんだ奴さん? 分かるんだろ、考えてることがよ」
「……」
僕の馬はそこにいるのだが、僕に気づいてもじっとこっちを見て立ち止まっているままで、いっこうに近づいてこない。「おいっ」と僕は呼んだ。聞こえてるだろ。馬は鼻面を上げて僕を見ている。尾をぱたり、ぱたりと二回緩慢に揺らす。
「なんだよどうしたっていうんだよ。こっちこいよばかっ」
 ジャイロ・ツェペリは僕の頭の上で声を上げて笑いながら、大股で馬に向かって歩き出した。
 さて。
 僕はふてくされて、何か言いたげな僕の馬の顔をじっと見る。
 ――再スタートだ。


後記
 ゆずりさんの初「ダメ人間」(笑)風イラストUPを記念して。いや素直に誘発されただけですが。例の「抱っこ」セリフまで引用させていただきましたッ(笑)。タイトルはトルネード竜巻の「スタートです」の、「再スタートです その手をここに」というリフレインが好きだったのでそこから取ってみましたが、あんまり本編と関係ないですね。っていうかまんまBLみたいですね。うーん。
 とにかく一番の功労者は馬ということで。お利口さんすぎです。



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