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宣戦布告(TO YOUR EYES)

 ゴールまで残り直線1000メートル。生ぬるく粗いメキシコ渡りの追い風の中で、先頭を走るそいつは一度、大きく後ろを振り返った。
僕は、見られている。
土埃と人馬の熱い息の奔流に沈みこんで、吸う息にざらざらしたものが混ざり呼吸するのが段々苦しい、馬には乗り慣れているけれどこんなリズムは初めてだ、地が蹴り刻まれて揺れている。僕は全身で理解した、懐かしく、また新しく。
僕は、見られている。
 それは驚きだった。痺れるように懐かしく、しかし、目が醒めるほど新しく。

 視線というのは懐かしいものだった。かつて僕の周りには視線が気流になって、纏いつく盾のように渦巻いていたし、僕はそれにからめとられて呼吸して、寒いと思うことがなかった。
 それは目に見えない衣服のようなものだった。なぜそんなものをわざわざ見る必要があっただろう?
 だから僕が「マヌケな」(と人が言った)ことで撃たれて下半身不随になり馬に乗れなくなったとき、僕は生まれてはじめて突然裸になったような気がした。とても寒い。それに日光や風は直接皮膚に当たる。人の言葉は直接肌に刺さる。僕はそうやって寒い、熱い、痛いと思い苦しいと思い、視界に入る自分の腕をまじまじと見つめたし、そして視界にはまだ、車椅子に乗っている腰から下も入るが、それはしかしもうつながっていない。おかしなものだ。目にはつながって映るのに、つながっているのがわからない。
 ただ僕は生まれてはじめてなにかを探していた。僕という人間はまだ、いや、はじめてこれほどにものを感じ、頭の中ではいつも眩暈がするほど高速できれぎれの考えが回転しているのだ。そのうちの半分は問いだった。――どうしてなんだろう? それに上半身はまだ、僕が力を込めれば、拳を握りしめるのだ。どんな視線も僕を見ていなかった。けれど僕はだんだんそのことに慣れ、気持ちがいいとさえ思うようになってきてもいたのだ。

 皮膚は擦り傷と出血だらけで痛みに引きつっていたが、僕は僕の額をなめる馬の温かく長い舌を感じ、温かく心地よいと思った。もしかしたらあいつは僕をずっと見ていたのかもしれない。僕は下半身を失って初めて、もう一度馬に乗ることができた。あいつがきっかけを教えてくれたからだった。
ゴールまで残り1000メートル。そいつは一度、大きく振り返った。
 僕は、見られている。
 トップでゴールしたそいつは、突然僕に尾いてくるかと訊いた。尾いてこいと言った。僕は変な気がした。言われなくても尾いていってやるつもりだが、僕と共同戦線を張ったところで、やつに得になりそうなことは一つもない。ファーストステージのようなスプリント・コースならまだしも、キャンプを繰り返す長期戦になったらむしろ面倒な足手まといだろう。
そして今度は降り方を教えてくれる。こいつの目の前で僕は地面にはいつくばった。掌の下で崩れる細かい砂が柔らかい。そうだ、立てないんだからな。車椅子も置いてきてしまった。
 覚えたか、とあいつは一度だけ聞いた。僕は答えなかった。額を上げもしなかった。すると、馬に乗れ、もう一度、とまた上から声がした。
 馬の首を引き寄せて鞍に上がると、あいつは無言で手綱を引き、白いクロスのかかった長テーブルの隅のほうめざして大股で歩き出した。馬に乗った僕の脛あたりにあるテーブルには湯気の立つ食事が準備されていて、向かいのテーブルではやはり賓客や記者たちから離れて、驚異的な健脚のインディアンが健啖ぶりを発揮している。それを見たとたん突然、思い出したように激しい空腹が襲ってきた。当たり前だ。朝だってそれどころじゃなくて何も食べていない。腹が減っていたんだ。
 「腹減ったよなあ」
そう言ってあいつは悪趣味な金歯を見せて唇を引いて笑うと、空の皿をとって数種類山盛りにしてよそり、「ほれ」と先ず僕に差し出した。似合わない、何だか薄気味悪いな、そう思ったのが伝わったらしく、その途端に瞳孔の小さな目が冷たくなる。
 負傷して初めて馬に乗ってみてわかったことだが、風を受けて、馬の筋肉と蹄のリズムに乗って走っている時の方が、静止している時よりも安定している。馬が止まった状態で上半身だけ使って何かしようとすると、それを支える鞍の上の下半身がどれほど安定していられるものかまだわからないから、不安になって大きく動かせない。僕は手を伸ばして皿を受け取ろうとして、一瞬躊躇する。それとあいつの手が僕の腿を押さえるのとが同時だった。
 あっ。
 それがわかったのは、もちろん目で見たからだ。感じはしない。そんなのは当たり前のことだ。それなのに僕は驚いていた。それなのに、僕はあいつの手が僕の脚に触れたら、そこはそれを感じるだろう、そう無意識に思っていたのだった。
 理由は分からない。なぜかいつの間にそう思っていたのだ。
 僕が皿を受け取り終わって体勢を戻すまで、やつの掌は僕の腿の上にあった。僕はそれをほんの僅か感じもしなかった。僕は理由もわからずなぜかカッとなって、唇を噛み、自分の皿に料理を集めているあいつの横顔を睨んだ。
 あんたが僕を見たからだ。
 ちくしょう。尾いていってやる、絶対に。そう思った。このレースが終わるまで、何があっても絶対にあんたに離されたりするものか。尾いてこいというなら、好都合だ。
 あんたを見てやる、絶対に。あんたが僕を見たように。


(絵・葛城ゆずり)

後記

 選択肢がなかったです(笑)。原作現時点のあの構成でジャイロを語れる力量はわたしにはありません。タイトルださいですね。でもださいタイトル嫌いじゃないです。  自分で書くならこの程度が好き(笑。読むのはなんだって読みますけど。)馬降りたところで仕方ないよね、とか、車椅子置いてきちゃって日常生活をどうするんだとかが私は大変気になっていて、ごはん食べるなら馬上しかないだろうなあ(しかも絶対誰かによそってもらわなくちゃいけないし)とか考えていたのでそのあたりをめぐる話になりました。
 二次創作の場合思い切って一人称の方が恥ずかしくないと思う(だって名前が出ないからね)のですが、やっぱりいい年なので恥ずかしいですね。それで純文(?)の時より自然とスカスカのジュブナイル調になってしまいます。
 書きだしてすぐ気づいたのは、ジョニィは一人称が二つあるし、(ぼくとオレ。でも散文で「ぼく」の平仮名表記はちょっと厳しかったので変換してしまいました。)ジャイロの二人称もなんだか色々あるぞ、ということで、再度この人たち間の距離を面白く感じました。
 とにかく楽しかったので、きっかけを下さったゆずりさん、感謝です。またやりたいです(笑)



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