世界ではじめのクリスマスは
……東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
(マタイ 2:9-10)
今日。いつものように彼と並んで校門を出た。そうして互いの帰路の分かれ道まで他愛のない話をしながら、一緒に歩いてそこで別れた。いつものように。今日は一段と冷え込むのだ。彼に背を向けた後で僕はマフラーを締めなおした。ちょっときつすぎるくらいに。振り返ってはいけない気がする。いつも。
寒い。白く曇った空は内側に光をにぶくこごめて揺れ、いまにも凝って震えていくつもの柔らかな欠片になって落ちてきそうだ。空気は何かを察知したかのように、その温かみを落として、背筋が伸びるような厳しさと清澄の中に僕らを、世界を、囲い込もうとしている。この日。僕はべつに今日が誕生日の神さまを信じているわけじゃない。けれど鼻筋が冷たくなって、内側が脆くなる。
鍵を開けて家に入ると誰も居ない部屋は朝の暖房の名残りのひとひらすらもうなくて、狭い自室にストーヴは危険だからと母親が置かせないのだけれど、唯一のエアコンで暖めるのには時間がかかる。何だか捨て鉢な気分で制服のままベッドにもぐりこんで身体を温めた。硬い襟と袖口ががさがさと蒲団の縁に当たってうるさい。十秒ばかりしてそれから跳ね起きた。ぐしゃぐしゃのベッドをそのままに、ドアも開け放して居間に戻った。
そうしていつもしないことをした。
彼のうちに、電話をかけた。ホリィさんが出た。あたりまえだと思った。名乗ってつないでもらった。承太郎くんはご在宅ですか、と言って。
そんなふうに喋れるのに彼が出たらちっとも喋れなかった。日本語を習いたての外国人みたいだ。用件だけ。理由なんか何も言わなかった。いつもじゃない。僕は少しいつもじゃない。彼は何も訊かなかった。「おう」と言った。
おう、だって。受話器から耳の奥に這入りこんで巻貝のかたちに頭の奥を抉って、喉もとがくすぐったい。歯痒い。安心する。切って僕は深い息をついた。皮膚と骨の内側がさらさらと溶けて口から流れ出ていきそうな深い息だ。
着替える暇もない。気持ちに暇がない。学校に着て行ったジャケットはもう寒すぎるから、一段階上のを制服の上に押しかぶせて一気に家を出た。
空条家の大きな門にはおそらく手作りの、緑の葉と赤い実だけの、けれどたっぷりとした大きなリースがつつましやかに一つだけかかっていた。それはそうだよなと思った。いくらホリィさんがアメリカ人だと言っても、この家の作りにクリスマス・デコレイションは似合わなさ過ぎるだろう。
出てきた承太郎はやはり紺の厚手のコートを着ていて、僕がそう言うとやれやれといった顔で首をすこし振った。
「と思ったらな。中は凄えぞ。ジジイがツリーから何から一式送ってきやがったからな」
それから門を後ろ手に閉めると僕を見た。奇妙に素直に、上から下まで。
「白いな」
「白いよ」
格好悪いのは承知の白のむくむくしたニットジャケット。僕は寒かったんだ。並んであてもなく、漠然と駅の繁華街の方へ歩き出して僕らは黙った。吐く息が白い。
一時間くらい、暇、ある? 散歩がしたい。それだけ言ったのだ、僕は。
僕の十五センチ上から彼が言う。
「…何か白山羊連れて歩いてるみてえだ」
僕は笑う。
「羊とかね」
住宅街が切れて商店街になる。アーケードのスピーカーから流れ出て、歌のない安っぽいインストゥルメンタルが臆面もなくそこらじゅうを埋め尽くす。ママがサンタにキスをした。ぶら下げられたぺかぺか光る飾り。駅ビルから垂れ下がるツリー型の宣伝幕。クリスマスプレゼントフェア。一等はフランス九日間の旅だって。僕はやっと自分から口を開く。
「クリスマスが好きなんだ」
「…こういうのがか?」と彼は訊いた。
僕はむくむくした襟に頬を埋めて首を振った。
「幼稚園がキリスト教系だったんだ。承太郎は?」
「いや、俺は寺付属だった。あの学校行く途中の石段の上の」
「あはは、全然反対だね。キリスト教の幼稚園だとね、毎年クリスマスに年長組が劇をするんだ。あれさ、マリアとヨセフがいてイエスが誕生する話。それをいやに鮮明に覚えてる。今でもね。そうしてクリスマスが来ると必ず思い出すんだ。一年間さっぱり忘れ果てているのに、寒くなって、気付くと24日で、そうするといつの間にか頭の中にある」
行き先なんか考えなかったが、僕たちは何だか一定の方向目指して歩き続けているようだった。彼がそれとなく道を選んで先導しているのかもしれない。少なくとも僕は考えていない。いつもそうだ。僕が話して止まらなくなるとき。そんな二十回に一回くらいのとき。
「衣装なんかたぶん十年前くらいから変わってなくて毎年クリスマスになると物置から引っ張り出して来るんだ。だから結構年季が入っていてね。今でもよく覚えてるけど、マリアの衣装なんか薄らぼけたピンクの大きなショールを、くたびれた麻布みたいなワンピースの上に頭からかぶるんだ。当日の朝はお母さんたちが準備の手伝いにくるんだけれど、衣装を着たマリア役の女の子を見てその子のお母さんが言ったんだ。「まあユイちゃん、」――そうユイちゃんという名前だった、ヤマモトユイちゃん、っていうんだ。何でそんなことまで覚えてるんだろうね?――「せっかくマリアさまなのに、お洋服がちっとも素敵じゃないわねえ」
そうしたらその子が言ったんだ。「でも本当のマリアさまはきれいなお洋服なんか着てなかったでしょ」、って。お母さんはね、唖然としてたよ。
僕はそれをそばで聞いてて、そして十年以上毎年思い出してる。変な話だよ。でも今にして思えば、あれが女の子が印象に残ってる最初で最後かもしれない」
承太郎は斜め上からちらりとこちらを見た。僕は思い切りあほらしいことを訊きたい。「妬いた?」とか言って。でも訊けやしないからやおら肩からぶつかってみた。ごく軽く。さらに軽く、承太郎が押し返した。
「…で、テメエは何の役だったんだ?」
「聞きたい? 言っとくけどひどいよ」
「悪役か」
「ヘロデ王? 違うよ悪役は結構人気があるんだ。幼稚園児なんかでもね。見せ場もあるし、確かジャンケンになったよ。僕はその頃からもう引っ込んでたからね、何にも手なんか挙げなかった。そうすると残りでその他大勢。台詞もないんだ」
「天使か?」
「甘い」と僕は言った。「まだその下がある」
「…何だ」
「羊」
「羊か」
「うん羊」
僕は一歩前を踏み出す。その前へ出た首根っこを、フードつきのニットジャケットの、ミルク色の太編みの、もこもこしたそのあたりを大きな手が後ろから掴む。柔らかい。
僕は本当に羊にでもなった気がした。
離さないでと願いながら振り返ると離さない。あまり思った通りになるから僕は少し気味が悪いくらいだ。おまけにクリスマスだ。羊の僕は気味が悪いくらいに、凍りそうだった頬に上気して微熱が出るほどに幸福だ。
「羊に台詞はないけど、最後はみんなで歌を歌うんだ。その歌もちゃんと覚えてる、こういう歌。」
そうして歌った。We wish a merry Christmas とスピーカーががなるのを押しのけて。
世界ではじめのクリスマスは
ユダヤのいなかのベツレヘム
宿にもとまれず家畜小屋で
マリアとヨセフのふたりだけ
グローリア、グローリア、グローリア、グローリア、
イン、エク、セル、シスデーオ
「世界ではじめのクリスマスは、小さなまずしいクリスマス」。この歌とあのマリアの女の子の言葉を聞いたときから、僕はクリスマスが好きになった。東方の三博士が最初に勘違いして王宮に行ってしまったように、満員の宿屋にお腹の大きな若い妻とその夫のための部屋はなかったように、世界を救うスーパースターは、そうしたごくふつうの、僕らの隣に、貧しい日常のまっただ中に生まれて来るのだ。そうして誰よりも一番傷ついて血を流してなお一番最後まで諦めず戦うんだ。
「それで」と大きな手の持ち主が言った。
「え?」
「羊は何をしたんだ? その話で」
「羊はね、羊飼いたちと一緒にベツレヘムを目指して走ったんだ。天使に救世主の誕生を教えられてね。言われたとおりに、空に昇った約束の星だけを頼りに、その光を追っていったんだ」
僕は白い羊毛が包む腕を上げて、手を開いて、隣やや上方にあるその場所、左肩の上にぐっと強く押しつけた。承太郎はまだ羊の首根っこをつかんだ手を離しはしないから――周囲は勝手にツリーやサンタやプレゼントの喧騒に巻かれて流れ、僕らが澄ましているから、誰一人気付きはしない――僕らはおかしな格好で肩を組み合ったかたちになった。
眩しい。僕はとっさに目を細めた。
約束の星が、こんな傍にある。
そんな乱暴なことを言ったら、あの小さなマリアさまは何と言うだろう? でも構わないんだ。そのために僕は君を、「世界ではじめのクリスマス」を、羊だった自分をずっと覚えていたんだ。多分今どこかの街角でばったり会ったって、僕には君がわかるだろう。そうしたらそう言おう。成長した君がもうマリアじゃなくて、全然意味が分からなくても、怪訝な顔をしてもそう言おう。
ねえ、僕はまだ羊だ。
+後記+
…冬の個人誌の小説書いてるときにも思いましたが、わたしの書くのってもはや承花でもなんでもない気が……それ以前というか。
2004年冬は個人的に試練の冬で…今もさまざまな方面で辛いことに向き合っているのですが、そんな中で自分の心の中に灯火をともそう!(笑)と思って書きました。そんなわけで相変わらず地味というか予定調和的というかな感じになってしまいましたが。出てくる歌はこのあと四番まで歌詞があるのですが、正式の讃美歌集には載ってないので何なのかよくわかりませんがすごくいい歌で、こういうのありましたよねー、と歌うと教会で同年代の人まではすぐにわかってくれます。興味を持たれたという方がいたらもうそこに乗り込んで行って歌ってあげたいくらいに(大迷惑)いい歌です。でも今の子供は知らないみたい。しかし「漁師の息子」のときも思ったけれど、馬小屋に生まれたこととか大工の息子だったりしたことって、きっとカトリックの人はまた違う解釈をするんでしょう。ちょっと話してみたくなります。
とまれ、メリイクリスマス! 「地には平和、御心に適う人にあれ」です。