恋は桃色
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*『機械仕掛けのエア』前書をご覧下さい。












 放課後のチャイムが鳴るとすぐ、ぼくは急いで荷物をまとめ、席をたった。
 教室を出るついでに、ギイに声を掛ける。
「じゃあね、ギイ」
「あ、託生」
「ごめんね、今日は急いでるんだ」
 何かを言いかけたギイに、手を振って謝りつつ、ぼくは外へと急いだ。今日こそは、麻生さんが迎えに来てくれているのだし、研究所に戻ったら、時間がかかる検査を行うことになっているのだ。検査が遅れると、夕食の時間が深夜にかかってしまいかねない。
 急ぎ足で校門へ向かうと、既に待っていてくれた麻生さんが、車の前で手を振っていた。
「託生くーん、お疲れ様ー」
「麻生さんこそ、ありがとうございます」
「よし、急ごうか」
 麻生さんはそう頷くと、すぐに車をアンロックして運転席に戻っていった、ぼくが助手席にすべりこみ、シートベルトをしめると、すぐに車が発進する。信号でとまると、ぼくはそっと麻生さんに問いかけた。
「あの、今日の検査は、兄さ……えと、博士、は、担当しないんですよね」
「うん、そう。それと託生くん、お兄さんはお兄さんで、いいと思うよ」
 ぼくは返事をせずに頷いて、前に向き直った。
 博士は、自分の弟の生き写しとしてバイオロイドのぼくをつくり、弟の変わりとして生きさせている、のだと思う。そうでなければ、しょっちゅう検査や調整をくりかえさなければならない、こんな面倒な実験体――つまり、ぼくのことなのだけど――を、こうして無造作に研究所から出したり、ましてや彼の弟だといつわって学校に通わせたりなど、しないと思うのだ。
 けれど、いや、だからこそなのか、博士は外ではぼくに兄と呼ぶようにと指示したくせに、本心では兄と呼ばれるのを嫌っているのだ。ぼくとしては、それも仕方のないことなのだと思う。ぼくは『葉山託生』とくらべればニセモノでしかないのだし、それも人間ではない、ただの機械だ。いくら博士がその機械の製作者だとしても、堂々と弟の代わりをされるのは、苦々しいことなのではないだろうか。それでもなお、ぼくというニセモノをつくらずにはいられなかったのだろう博士は、つまりそれだけ、弟である『葉山託生』を愛していたのだと思う。ぼくという身代わりをつくらずにはいられず、けれどその身代わりは決して弟にはなりえないという、そのジレンマの苦しさは、想像するにあまりある。
 それに、『葉山託生』はスポーツも勉強もできる、優秀な人であった、らしい。つまり、ぼくとはまるきり性能が違っていたらしいのである。ぼくが不出来であることを知るたびに、博士がいっそう苦虫を噛み潰したような顔になっていくのも、もっともなのである、なさけないことながら。
 ぼくはふとそのことを思い出して、溜め息をついた。
「中間テストの成績も、報告しなきゃ、ですよね」
「うん? 中間テスト?」
 麻生さんはしり上がり気味にそう言うと、すぐに続けた。
「って、託生くん、もう報告してたじゃないか」
「そう、でしたっけ?」
「うん、一昨日の夜。あ、物理はまだ返ってきてないっていってたかな、それのこと?」
「えっと、じゃないです、……そう、だったんでしたっけ」
 ぼくは恥ずかしくなって、思わず頬に手をやった。
「あはは、ちょっと託生くんらしいけどね。博士があんまり怖い顔するから、忘れたくなるのも無理はない、っていうか」
 声をあげて笑いながら、麻生さんはちらりとこちらを見た。
「そういえば、今日のお弁当どうだった? 新作のおかず、入れといたんだけど」
「あ、はい。えっと……、」
 麻生さんの質問に、ぼくは昼休みのことを思い出そうとして、ふと首を傾げた。
 昼休み――昼食、お弁当。
 ここのところ、昼食はたいてい、ギイと章三と一緒に屋上でとっているのだ、けれど。
「あれ?」
 ぼくは、思わず声に出してそう言った。
「昼休み……?」
「どうしたの?」
「……昼休みのことが、思い出せない」
「……え?」
 麻生さんはしばらく車を走らせると、ゆっくりと路肩に寄せて停めた。
「思い出せない? 具体的に、いつからの記憶がないのかな?」
「ええと、四時間目に物理の授業があったことは覚えているんですけど、その後……」
「じゃあ、その後は? 午後の授業はどんなことをしたか、覚えているかい?」
「……五時間目、は、古典で……」
「授業の内容は?」
「ええと、伊勢物語、だ。「初冠」の段で、元服について習いました」
 考え考えそう言うぼくを、麻生さんはじっと見つめると、小さく頷いた。
「よし、帰ってちょっと、調べてみようか。今日の検査は、後回しだ」


 運がいいのか悪いのか、博士は翌日まで出張の予定だった。だからこの状態を博士に知らせる前に、麻生さんがぼくを調べてくれるのだと言う。
「記憶がない、と言っても、いろいろな原因が考えられるんだよ」
 ベッドに寝ているぼくを安心させるように、麻生さんはにっこり笑いながらそう説明してくれた。そうしていながら、相変わらず、手だけはすばやく作業をこなしている。
「ひとくちに記憶と言っても、情報の取得、保存、再現ってふうに、いろいろな機能が複合的に作用……ん、連携しているわけだから、それらのうちのどこに問題があるのか、原因をつきとめなきゃね」
 ぼくは頷いた。要するに、機械と同じなのだ。メモリに情報を書き込む時に接触かなにかが悪くて失敗したのか、メモリが静電気かなにかで記録をとばしてしまったのか、最終的にメモリから情報を取り出すときに失敗したのか、ということだ。
「ざっと確認して見たところ、それぞれの機能は正常に思えるんだけどなあ……」
 麻生さんは首をかしげつつ、モニタを覗いている。
「まあ、そんなに心配する必要、なかったのかもね。物忘れなんて、誰にでもあることだし」
「そう、ですかね。ぼく、もともと忘れっぽいし」
 顔を見合わせて、互いにぎこちなく微笑んだところで、インタフォンが鳴った。
「誰だろう、業者も院生も来る予定はないんだけれど」
 そうつぶやきつつインタフォンの受信機に向かった麻生さんは、カメラからの映像を見てあれ、と驚いた声をあげた。
「え、ギイ?」
「えっ?」
 ぼくも驚いて、麻生さんと一緒に画面をのぞき込む。
 今まで、ギイがここに来たことはない。たぶん、博士がよその人間を研究所に入れる許可なんて出さないだろうと思ったし、ギイもそれとなく雰囲気を察してくれたのか、そういう話が出たこともなかったのだ。けれど、ギイの実家はこの研究所に出資しているという話だし、この場所についてなんて、調べようと思えばきっといつでもわかるものだったのだろう。
 あわてて研究所を出て、敷地への入口へと向かうと、そこにはやっぱりギイが立っていた。
「すみません、突然伺って」
「いえいえ、えっと……どうしようかな、中に入ってもらっていいのかどうか、俺じゃちょっと……」
「あ、すぐお暇しますから、ここで結構です。これを持ってきただけなんで」
 困り顔の麻生さんにそう言うと、ギイはバッグからプリントをいれたクリアファイルをとりだした。
「託生、これ」
「え?」
「物理選択者は、放課後宿題のプリントを受け取りに行くようにって言われてただろ。お前、忘れて帰っちゃうんだもんなあ」
「……そう、だったっけ。ごめん」
 やっとそれだけ口にしたぼくに、ギイは屈託なく笑った。
「や、託生らしいけどさ。お前、記憶力が『ない』もんな』
「そう、……なのかな」
 思わず、麻生さんと顔を見合わせる。麻生さんの顔からも笑みは消えて、とまどうような表情が浮かんでいた。
 ぼくは、胸の辺りがひやりとする思いがした。













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